長谷川選手V8おめでとう!
神戸で1ラウンドKO勝ち!
奥さんもお子さん二人も
そしてお母さんも大喜びだった
今日は映画を観た
「ベンジャミン・バトン~数奇な人生~」
観てると朝日を眺めるシーンが2回あった
どっかで見たな~と思って
思い出してみると
昨夜見た彼女のブログの写真だ
アメリカ東海岸から見える日の出
ベンジャミンが危篤の父を背負い
産みの母が大好きだったという日の出を見に行く
桟橋の向こうに日が滲む
お迎えが来たら行かなければならない
幼なじみであり恋人であるデイジーが
年をとりたくないといって泣き出す
ベンジャミンは彼女をバイクに乗せて海岸へ
不揃いな木材を組んだ桟橋の向こうに
日の光が一滴ずつ水平線に滲み出す
すっかり顔を出した太陽を二人で眺め
新しい前向きな人生を歩みはじめる
バトンってBUTTON ボタンのことだった
物語の始まりは第一次世界大戦後
それから金具でできたファスナーが出てくるけど
洋服を着て身体に留めるボタンはなくなることがない
色、形、大きさ、材質
ひとつひとつ個性的なボタンは心に留まる
一着の衣服を着る度に
ひとつひとつ留めていくボタン
一日の生活を終えて
ひとつひとつ外されていくボタン
僕らが毎日するこの行いは
丁寧に着ること
そして
やさしく脱ぐこと
毎日を新鮮に始めては終える
ひとりひとりの人と出会って別れる
人生を大切に留めて外す
僕は彼女とのお別れを
ひとつひとつボタンを外すように
丁寧にやさしく行おうとしていた
2007年正月から明確にそう意識していた
しかし
2月下旬からうまくいかなくなって暴走し
明確な釈明も謝罪もできないまま5月に消えた
供述はやってみるとけっこう抜けてしまうもので
書いた後になって思い出すことが少なくない
ブログのコメントやメッセージの下書きとして
テキストファイルが5つ残ってるのがわかった
その中に先日の供述で漏れているものが見つかった
2006年12月31日
なんと彼女の公式ブログに送ってしまったメッセージだ
どうしてもお話したいことがあるので、あえてメール送ります。12/24イブの朝ぴろりのブログに書かれたコメントを読んで私は少し感心しました。ぴろりってけっこうおもしろい男かもって思ったんです。だから、ぴろりが書くコメントをしょっちゅうチェックしながらあえて自分は書かずに東京までやって来ました。Kが本当にMを思う純粋な気持ち・・・それは全人格ではないけれども一面としても微笑ましかったんです。そう思えたのは、3年前にガンと闘う患者のみなさんにメール送って励ましたという話があったからです。彼は実はけっこう物事をまじめに考えてるんだとちょっと期待してたんです。
ところが・・・お仕事前2006-12-28 19:45ぴろりのコメントを新幹線の中で見て愕然としました。子供たちからとったアンケート結果を参照して「いじめられる方が悪い…』『マジ、○んで欲しい』など 若者の心が荒れていると思いました…という話のあと、みんな、お父様、お母様お姉ちゃん、お婆ちゃん そして僕たちと応援し、見守ってます、とさらりとつなげてるんです。私はこの部分にカチンときました。いじめられて本当に死んでしまおうかと悩んでいる子どもたちの状況を余韻にして自分はMを応援していることを強調するこのやり方に腹が立ちました。困っている人たちを助けたいと本気で思い、自分は何をしようかと考えてきた人間じゃないかと期待してた分、この部分にめちゃめちゃムカつきました。イブのあれはいったい何だったんだ!?という反動が大きかったのだと思います。
でも、今日になって気づいたのは、イブのことは私の勝手な解釈だったのかもしれないということです。Mが私に暗に伝えようとしていたことは、そうじゃなかったのかもしれない。
Kが自分が死にたくなったという記憶をもって他人の気持ちを推し量ることができないのか、そもそも死にたくなったという事実がないか、思い出せる記憶がないのか・・・Mに話してもらわないとこれ以上は詮索できませんが。
彼女からは覆面ブログからメッセージが届き
今忙しくてそれどころじゃない!といわれたと記憶してる
もっともなことだと納得した
収まりきらないままの僕は正月に
彼女の公式ブログのコメント欄を占拠した
それでまた彼女に嫌われる
落ち込んだ僕はもうやめようと考え始めた
1月2日のこのブログにコメントが一つ残ってる
http://ameblo.jp/kc76native/entry-10022666928.html#cbox
彼女の覆面ブログの一つから励ましの言葉
このとき僕はそのブログのコメント欄に
もう僕は退くけど
君が傷つくことがないように
事態がまるく収まるように
なんとかしよう
といった旨のことを書いた記憶がある
警察が調べればはっきり確認できる
一方
彼女の公式ブログのコメント欄に
正月か2日に現われた覆面ブログには
4日にこのレストランで食事する・・・と書いてある
それで3日夜から4日夜まで東京に行って
帰ってきたら荒らし事件に巻き込まれた
という展開だった
そしてまた思い出したことがある
2006年10月中旬から2007年1月まで
HKは原付バイクで西日本を一周する旅をしており
その模様をshogun将軍という名前でブログに書いていた
そして2007年1月8日か9日
荒らし事件を自作自演して僕を犯人にしたてあげたHKは
彼女をどこかに呼び出して一度会っている
なぜわかるかというと
HK自身が将軍名でのブログでこれ見よがしにほのめかしていたのと
また別のブログでティファニーでネックレスを買ったと書いていたからだ
12月24日に僕は自作のハート型のネックレスを彼女にプレゼントすると伝えていたのだ
そして1月の8日から11日の間に彼女が仕事でネックレスをしていた
HKのブログで見たのと同じティファニーのものだ
2005年12月に彼女は最寄りの警察署に行ってHKのことを相談したようだ
翌年3月以降にはHKが2ちゃんねるにこんなことを書いていた
「どうしてMPSに行ったんだ?」
「家に行くとか、手紙を出すとか、そういうこともできないんだ」
ということは
まだ彼女はHKに会いに行ったと世間に知られるわけにはいかなかったのだろう
だからもらったネックレスを人知れずそっとつけてたんだと思う
ところがやがて彼女はそのネックレスを身につけなくなる
代わりに明らかに違うのをつけてた
僕のブログのコメント欄で僕とHKが書き込みしてるのを読んで
荒らし事件の真犯人はHKだと悟ったのだ
それにしても
彼女は警察に行ってHKに
近寄らせないように、手紙も出させないようにしたとすると
いま僕は彼女によって
行動が制限されているのか?いないのか?
どんな制限がされているのか?
2008年春に月に2通ずつ手紙を書いて謝罪していきますって書いたけど
そもそも僕が彼女に手紙を出す行為はどうみなされるのか?
それから4月5月とたてつづけに
手紙を出す度にちょうど凄惨な殺人事件が起きて
僕は怖くなって手紙を書けなくなってしまった
タイミングは偶然だけど報道のされ方から間違いなく意識されてると思った
2008年1月から電話盗聴とメール傍受は間違いなくされてるとわかったので
警察も意識して情報を流していると思った
そして夏以降あちこちで
「約束」とか「誓い」といった言葉を目にするようになった
たしかに手紙を書くと言っておいて書かないでいるから仕方ないと思ってきた
でもよく考えてみると
僕は彼女に手紙を出すなんてことが許されるのだろうか?
そもそも僕は
自分が何の容疑で捜査されているのか未だに知らない
組織的詐欺、結婚詐欺、収賄、わいせつメール、ストーキング
こうしたことが考えられるけど
わいせつメールはみんな読んでたはずの手紙の内容と大差ないけど
それは彼女が受け入れざるを得ない状況だったのだから
僕は謝罪しなきゃならないと思っている
ストーキングについては違うってことを
今こうして供述することで説明していく
残りの組織的詐欺、結婚詐欺、収賄はまったくない
かすりもしていない
毎日ブログで「供述」と書いているけど
ちょっと1日2日書かないだけでアイチャンネルのニュースには
「逃走」という文字が増えるのだ
手紙を出すと言ってるのにどうなってんだ???
いったいぜんたいどうなってるのか?
いったい何がしたいのか?
不思議???に思う毎日だ
ところが今日は
日テレの態度がころっと変わったように見えるけど
気のせいだろうか?
そりゃそうか
もしも検察が言論の自由をおびやかすとんでもない陰謀をはかってるとすれば
日テレの報道内容もそれに関係してるんじゃないかと疑われる
だからどんなに僕が憎くてもそれはしばらく置いといて
検察の陰謀とは関係ないってことをしばらくはアピールせざるを得ないだろう
例の献金事件から昨日まで黙って見てきたけど
やはり検察はかなりあやしい
陰謀を隠している疑いは極めて濃厚だ
人が書いているブログを勝手に読んで勝手に参考にする行為
これをいったいどうして権力で制限するのか?
言論の自由を何だと思ってるのか!?
しかも捜査権や逮捕権を使って恫喝をかけているのは
誰の目から見ても明らかだ
さらに人が主張する内容によって権限を発動してるとなると
この議会制民主主義の国で政治犯が発生するおそれすらある
国会議員が選挙の都合で
検察に好き勝手やらせてる場合じゃない
いったい誰のための何のための政治なのか?
特定の人のための政治ではないからこそ
それを権力で制限することもまたおかしなことになる
よ~く考えるのだ
過去の親告罪をちらつかせて
僕を黙らせたり不利な供述ばかりさせようったってそうはいかない
僕はどんな脅しにも決して屈しない
起訴されても実刑くらっても刑務所にぶち込まれても
僕は僕でありつづける
近代合理主義か?
アメリカ原理主義か?
はたまたただの
ミーハー恋愛至上主義だかなんだか知らないけど
日本を階級社会なんかにさせてなるものか!