今日読んだ聖書はレビ記9.1-24

またもや延々と聖別の儀式

昨日に続けてなので今度はちゃんと読もうとして

そうだ!「パノラマ・バイブル」っていう本もってるんだ

と思いだして書棚から掘り出してきた


書店に勤めてた頃

税込特価26,400円もするのに

これは売れる!と思って

おもいきって5冊仕入れたら

2冊しか売れなくて

責任とって1冊僕が買ったのだ

店頭でダイレクトマーケティングしたんだけど・・・


とにかく

ようやく日の目をみた


44-45ページに

「献げ物 アロンの祝福」という見出しで

ちょうどこの箇所が解説されている


まず写真

タボル山ってでっかい甲山みたい

イラストは

正装した大祭司の衣装がかわいい

メイド服みたい(笑)

なぞの脂尾羊のイラストもある

シッポがふっくらしてて素敵!


解説のメインは献げ物について


神々に献げ物をすることは、古代世界において普通のことだった。


レビ記は祭司が民のためにささげる基本的な5つの種類を説明する。


①焼き尽くす献げ物

 神への献身を示す

 神の赦しを願う

②贖罪の献げ物

 神の赦しを願う

 故意でない特定の罪を償う

③和解の献げ物

 神を礼拝し、神の祝福を願う

④穀物の献げ物

 感謝の礼拝を神にささげる

⑤賠償の献げ物

 神を欺いたこと

 誤って神に属する物を濫用したこと

 他の人の物を盗んだり着服したこと

 の償い


賠償についての律法は現代の法律によく似ていて

被害者の損害分+その2割を支払うよう規定している


祭司と献げ物

神が臨在する幕屋を中心とする民の生活にとって、神との関係を正しく保つのは最も大切な事柄だった。それを担ったのが祭司と献げ物である。民は罪を犯した時は、罪を赦してもらうようにと贖罪の献げ物をし、神に赦され、神との平和が回復すると和解の献げ物をささげて祝い、穀物を収穫した時には穀物の献げ物をして神に感謝した。また、全地の主である神への献身を表そうと、焼き尽くす献げ物をささげた。これまでは、このような献げ物は家長がささげていたが、律法が与えられた後は、正式に祭司と任じられたアロンとその子らによってささげられることになる。


アロンはモーセの兄弟

祭司の祖とされている


モーセが主の声を聴き

アロンが祭司となった




どこの文化でも一定の文化コードがあって

何が良くて何が悪いかという価値観がある

だから悪いことをする度に儀式によって贖罪する事柄もだいたい決まってくるだろう


何十年何百年とそうしていると

罪を重ねる側と罪を犯される側とに格差が開いてくる


罪を重ねる側を表とすれば

罪を犯される側は裏側になる


罪を重ねる側は何度も同じ過ちを繰り返し

しかもその罪を被害者に償うのではなく

儀式によって神と祭司に赦しを請うのだ


賠償に該当しない限り

被害者は放置されることになる





僕の知っている牧師は

困っている相手をイエスのように見立てて励ます

罪を犯した相手をイエスが迎えたように赦す

傲慢になってる相手をイエスが批判したように批判する

誰に対しても一貫してこうしている


信仰の力は偉大だ

このことは僕も見習いたい



イエスは律法に見離された人人と共にいたのだ

文字通り命をかけて共にいたのだ

そして死語も永遠に共にいるのだ


罪を犯しながら相手に償わず

儀式によって神と祭司に贖罪する

それを定める律法って何なんだ?



現代を生きる僕らはどうだろう?


常識とか「勝ち組」とか自己責任とか・・・

たまたまお金に困らなかったり育ちが良かったりで

ラッキーな人たちがストレス耐性を身につけて

すくすくと育ち富が集まる一方で

育ちがわるくて過去に傷があって

どうしたって道が閉ざされる人もいる


アメリカの階級社会って基本的にそんなもの

僕は日本をそんなものにしたくない



男なんだからいいとか

女のクセに・・・

なんていうのはもう過去のことだけど

社会にはまだ「後遺症」がある


急進的なフェミニズムは

やりすぎだとかばかげてるとか的外れとかいわれるけど

彼女たちがラディカルに突っ走らなかったら

トラックの女性運転手とか

電車の女性運転手とか

女性の鉄筋工とか

今頃こんなに増えてないだろう


あんなに極端なフェミニストがいるけど

自分はシンプルにこうしたいだけなんだ

なんて台詞が言えるようになった

個人として自由に言動できる余地をつくったのは

まちがいなく急進的なフェミニストだ

ぼろかすいわれながら突っ走ってきた彼女たちのお陰だ

彼女たちはいわば巫女的に行動してきたのだ


ちょうど的を射抜いたような

中道的な主張ばかりしてても世の中は変えられない



階級社会、男女格差

他にもいろいろあるけれど・・・・




かたちを定めることで初めて多様性を認識できるんだけど

かたちへの固執から生じる副作用は悪影響を広範囲に及ぼす



僕は生まれることで母は病弱になった

僕は育つことで姉が心を病んだ

僕は初めてセックスして彼女を強姦した

僕は初めてプロポーズして彼女を傷つけた


なぜ男性でなければならないのか?

もういいかげんにしてほしい


それがどんなに正しくても

それがどんなに文化的に価値があっても

みんなが生きられなくなる危機を知覚するならば

適切に変更できるのが健全で持続可能な文化なのだ


何かを切り離したければ

文化と律法とを切り離せばいい

文化からジョーシキや先入観や社会通念を切り離せばいい


そして人どうしはつながりあうのだ