「性犯罪被害にあうということ」
という本を読んでいる
序章と
著者が事件に遭って警察に行ったところまでを読んだ
私にとっては、レイプされたという事実は、過去のことでも乗り越えられたことでもない。
「私」という人間を構成する一部になってしまったのだ。それに伴う感情も、身体反応も。
誤解を招きそうなので伝えておきたいのだが、これは寂しいことでも辛いことでもない。だから、消す必要も、忘れる必要もない。乗り越える必要もない、ということ。
「理解」
これが、私が願うたったひとつの、とても強力な被害者への支援である。
僕は彼女があれからどんなふうに生きてきたかと想像してみたこともなかった。こうして手がかりを探ることもしてこなかった。今こうして初めて、彼女の心境を想っている。
「抵抗できたはず」「大声を出して逃げることもできたはず」
そんなことは、机上の空論。理想論。できない。自分の身体なのにできない。
僕は彼女とつきあっていたのだから、逃げることができたとかいうのは問題外。そんな問題じゃなかった。僕が彼女をどう思い、どうしたかが問題なのだ。好きなのは本当だ。でも、高ぶる性欲がどうしても抑えられなかった。恥ずかしくても彼女と向き合ってそのことをちゃんと伝えるべきだったと思う。
加害者でもないのに。そして自分を否定し嘘をつくことが当たり前になっていくことが、悔しく思えてきた。悔しい気持ちでいっぱいだった。
時間と一緒に流れていくことのない「悔しい」という感情だけが、毎日変わらず私の中にあり、それがすべてだったように思える。
その後も彼女とは何度か会い、いっしょに勉強したりした。僕はまだ彼女が好きだけど、彼女はそうじゃない。それでも僕といっしょにいる彼女の気持ちが僕にはわからなかった。でも、ずいぶん後になって少し思うようになった。彼女は僕に変わってほしかったんだ。唯一人理解してくれる可能性のある僕にしか近づけなかったんだ。だから僕は、つきあうとか仲直りするとかじゃなくて、彼女のそばにいて、彼女を理解するように、ねばり強く向き合うしかなかったし、そうすることが加害者としての責任だったのだ。それなのに何年経っても気づかなかったし、思い始めても実行しなかった。それどころか、過去から自分だけ逃れて、理想的な未来を手にしようとしてた。
だから、同じことを繰り返す結果になってしまったのか・・・
今にしてそう思う。