さっきニュース番組で性犯罪被害の特集をみた
無理矢理体を犯され心を傷つけられ事件後も永く後遺症がある
家族や友人からは「忘れなさい」「もう終わりにしよう」
つらいのにますます距離を感じて孤独になる
同じ性犯罪被害者の女性たちと話すと
そんな台詞は出てこない
自分の話を最後まで聴いて受けとめてくれる
言い出すことができないでいる被害者たち
語られることで傷つき辱められるのは被害者になりがち
でもそれはおかしい
本当は加害者こそが恥じることなのだ
それは僕自身の恥なのだ
今日読んだ聖書は、ルカによる福音書9.21-27
その中にこんな一文がある
わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。
殺されて復活するとイエス自身が予言する中で語られるところ
自分を捨てて自分の十字架を背負ってイエスに従いなさいという
その言葉を恥じる者は・・・という展開
恥じるべきは彼女たちではなく僕自身だ
というふうに読んだ
彼女たちと彼女たちの言葉を恥じる者は、その者を恥じる
僕自身を恥じる