先週末は映画「レッド・クリフ」を観た
ジョン・ウー監督による「三国志」だが
さすがに白鳩と教会は出ないだろうと思いきや
白鳩だけは諸葛孔明のペットとして登場する
しかも曹操の水軍を偵察までする
楽しい~♪

そして最も興味深いのが「八卦の陣」
曹操が水軍を主力に戦うとみせかけながら
味方をも裏切って騎馬軍団を送り込む
その襲来を見破った周兪と孔明が「八卦の陣」で迎え撃つ
最高~♪

「八卦の陣」についてまともに説明しだすとたいへんそうだけど
占いのときにいう
「当たるも八卦、外れるも八卦」の台詞だってことは確か
人生の深淵さと思い起こさせるけど
陰と陽の対を基本にして各種対極をなす対のものを円形に配列したもの
じゃないかと思う

たとえば
すべては過ぎ去る ― 一生償え!
誰だってそうさ ― こんなのお前だけだ!
これも成長の糧 ― 取り返しのつかない重罪だ!
いつかは分かり合える ― どこまでも疑ってやる!

これだけで「八卦の陣」はできる
要するにアメとムチを何対かつくって円形に配列する
アメにつられてうかつに入り込むとそこはラビリンス


東洋医学では
邪気を追い込んで抹殺するんじゃなくて
邪気に出て行ってもらって円満解決をはかるらしい

上の例でいえば
「八卦の陣」は邪気を追い出すどころか抹殺しようとしてる
ていうか
「八卦の陣」そのものが邪気でできている
そりゃそうか
両極端な対で構成されているのだから半分は邪気になる

邪気を追い出すための「八卦の陣」ではなくて
「八卦の陣」自体が邪気でできていたらどうする?
難しい治療だ・・・

でもよく考えてみると
いつも忙しく仕事する有能な人をみてると
いつもひっきりなく人を褒めたり怒ったり好きになったり憎んだりしている
そんなことを繰り返すうちに業績をあげてる
まるで歩く「八卦の陣」じゃないか!

「邪気」にみえるものがすべて邪気とは限らないのかもしれないし
邪気にも適量があるのかもしれない

いずれにしろ
「八卦の陣」をしく個人の心や組織の陣形は
その人や組織にとって掛け替えのない無形資産なのだろう



な~んてことも考えてみたけど
自分が助かりたいがために
何の信念も倫理観ももたずに
助っ人にみえる人にすがっていると
自分で勝手にラビリンスに迷い込んで
かえって堕ちていくだけなんだろうな
と思う


かといって
すっかり有頂天になって勘違いに満ちた言動があったのも事実(真実?)
だから
対話の可能性については追求したいと思う

そんなわけで
キレるかなんだかしらないけど
公共のためにリスクをおかしてでも主張すべきだと思ったら
書くべきことは書く
言うべきことは言う

自分が肯定されるよりずっと前からそうしてきたし
否定された後のこれからもずっとそうする

ちょっと反発しただけでなんでもかんでも
自分個人への攻撃だと受け取られたんじゃ
対話にならない

し、
「八卦の陣」にもならない