ホーホー。私は表情がかたいと言われることがある。いつもかたいわけではなく、にっこり微笑んで話しかけると「おもしろい人だ」と思われることもある。でも、たいていはかたいのだろう。

 
 私が育った家庭には笑いが少なかったのかもしれない。自分が育った家庭は自分にとっては普通なのだから、よくわからない。それでも、我が家に触れ合いが極めて少なかったことだけは間違いない。とくに中学生になってからは、休日も自分の部屋から出ないでじっとしていることがあった。ふすま一枚隔てただけのすぐそこに佇む父に会うのが嫌で、物音立てずにじっとしていた。大学へは自転車で36分で行けたけど、家を出て独り暮らしをはじめた。学生運動にのめり込んでからは、他の友人との関係も自ら切っていき、政治や社会問題、差別といったマイナーな関心事が日常的に話せる仲間だけとのつきあいになっていった。就職してからは、今度は学生時代の仲間との関係も疎遠になった。腰痛がひどくてボランティア関係も縁遠くなった。

 
 私の表情がかたい理由はたぶんこんな個人史にあると思う。気持ちを入れ替えれば、にっこり笑って人を楽しませることもできるけど、長続きはしない。ネタはすぐに尽きるし、自分が疲れる。

 
 こんな私にとって、一点の曇りもない満面の笑みは・・・こわい。驚異だ。若い頃なら、別世界の人だと自分に言い聞かせて避けてただろう。でも、私は年をとってずいぶん素直になってきている。いいものはいい。ていうか、本当は、どうしようもなく惹かれている。

 
 しかし、気持ちの整理は簡単にはつかないみたい。ものごころつく以前の遠い記憶のように、あたたかくてこわい感じがする。畏れと憧れが交互にあらわれる分裂状態にあるらしい。ていうか、私がかかわったこともなければ、理想として描いたこともない未知の女性かもしれない。だから、好きという気持ちをたしかめられないのかな・・・。

 
 逢って話したい。つきあいたい。という気持ちは間違いない。確実。

 

 実は、去年からまなざしを共有するような感覚を覚えている。私のまなざしと彼女のまなざしが重なる。私の頭蓋と彼女の頭蓋が重なる。。。そんな映像をみてしまう。私の勝手な妄想にすぎないと思ってきたのだけど・・・だけど、間違いなく、私の心の奥にある身体は、彼女の太陽のような笑顔に照らされている。

 

 

 ホワイトデーって70年代末からお菓子業界の人たちがはじめたらしい。毎年この日が近づくとデパートなどに営業に回り、販促物を考案し、陳列レイアウトを提案してきた努力が実って、今日のようなホワイトデーが定着した。働くパパたちから生まれた素敵なハッピーデイ☆に敬意を表しつつ

 

ホワイトデー:素敵な笑顔へのささやかな返礼として♪