お昼に鯛茶漬けつくって食べました

 

写真はあまりおいしそうに見えませんね

 
鯛茶漬け

 
すりゴマと醤油のタレに

 

鯛の刺身をあえてご飯にのせ

 

最後に鰹節でとったおだしをかけたら

 

ネギもゴマだれも流れちゃって

 

鯛の刺身がカマボコみたいに見えます

 

でも、とっても美味しかったです

 

 

 

夜は「東京タワー」見ました

 

オカンの抗ガン剤治療
私も見ていてつらかったです

 

やめたか
まーくん
もうやめたか


やめようか
そうしよう
よーがんばったね
オカンがんばった
がんばった


雅也:抗ガン剤治療をやめたいと思います

医師:もって、あと2,3ヶ月だと思っていてください

 

 

 
私は自分の父が大腸癌になったとき
主治医と話しました

 

他に転移する前に早く手術すべき
このままだとあと3、4ヶ月
手術すればあと1年
と言われました

 

私はすぐに父のいる病室に行って説明し
手術に同意する署名をするよう言いました

父はしばらく考える様子でしたが
すぐにしぶしぶ署名しました

 

それから手術の日まで
私はなるべく仕事を早く終えて
父が入院している病院に行きました

 

父はたいてい屋上でタバコを吸ってました
そのころは私も喫煙してたので
いっしょにタバコ吸いながら話しました

 

父の病状と余命については隠しませんでした
母の癌治療のとき父が医師と話して辛い決断をしてきましたから

 

実際、父は自分の治療のことで話してても
よく母のこと、すなわち自分の妻のことをよく話しました
「体中に管がこんなに巻きついとった・・・」といって
自分の腕のから胴体にかけて指さすのでした

 

私のこと、姉のこと、親戚、近所、保険・・・
一通り話してもらいました

 

父の手術は無事に終わり
数週間後ちょうど私が30歳になる誕生日に一泊だけ仮退院しました
3ヶ月ぶりに帰宅して何食べるかと尋ねると
お好み焼きを食べたいと言われました
なんでお好み焼きやねん?と思いながら
キャベツと長芋と豚バラ肉買ってきてつくりました
やはり病院食ではあっさりしたものばかりで
食べ応えのある油っぽいものが食べたくなったみたいです

 

昼食も夕食も時間はかかるけどちゃんと食べてくれました
でも、薬を服用して就寝後、起きてきてトイレに行くのですが
身体がうまく動かせなくて、途中で転んで起き上がれません
ズボンもパンツも下ろしたまますっぽんぽんで眠ってしまうのを
なんとかして寝室に連れて行かないといけませんでした

 
医師の話だとMSコンチンというモルヒネの一種も痛み止めに処方していたとこのこと
夜のおトイレもうまくいかず、要介護状態でした

 

翌朝も歩いて3分の病院まで
途中で何度も座り込んで休憩しながら
10分以上かけてたどり着きました

 

やがて合併症を起こし胃潰瘍ができて
さらには癌が肝臓に転移しました

 

がんばって胃潰瘍なおそう

 

そうか、胃潰瘍か、がんばって治そう

 

苦手なウソをつく私

 

いつもは疑い深い父のクサい芝居

 

それから2度ほど峠を越えましたが
結局、入院して4ヶ月後の11月26日18時に亡くなりました
その日の午後に病院から職場に電話があり
私はすぐに病院に来ることができましたが
夜勤の姉は間に合わず
最期は私一人で父を看取りました

 

父はもう呼吸を続けるだけで精一杯で
とても話が出来る状態ではありませんでしたが
それでも一言だけコミュニケーションがとれました
私と父の最後の会話です
内容はヒ・ミ・ツ☆

 

ちなみに、このころ姉は失恋したばかりで
私はいろいろと手を尽くして元気づけていたのですが
私が断りなしに介護で外泊してきただけで
露骨に機嫌を悪くしていました
父の入院で自分のことでも危機感を募らせていたのです

 

そういうこともあって
私自身もかわいい看護士さんとろくすっぽ話しができず
その後も、とくに適齢期の女性とのつきあいは避けていました
実はその当時、職場の人妻に恋をしてましたが・・・
めでたく姉が結婚した頃には
すっかり女性とのご縁を失っていました(T_T)

 

親の入院の話だったのに
結局、最後は自分の愚痴になってしまった~(・_・;)

 

 

 

すみやかに退出いたします

 

おやすみなさ~い☆