正月は外に出ずに勉強しましょう。
いろんな自己啓発系のジャンルの本を読んでいると、立場や主張はそれぞれ違えど、内容がちょいちょいかぶってきます。その中でも、僕は医者が書いたポジティブな本とかが好きです。医学って自己啓発系の本の中でも、科学的にアプローチしてそうだから、内容に個人差を生まないと思えてなんとなく安心です。あと個人的にアドラー心理学の中で、一番エッジが効いていていいなと思う部分は、トラウマ否定論ですね。これは未来を信じていこうというポジティブシンキングの後押しをしてくれます。
というこで、以下は2014年6月の記事だけど、改訂してリバイバル投稿します。特に意味はありませんが、なんとなく気が向いたからです。
以下は、ライター 古賀史健氏による著書、嫌われる勇気より編集したものになります。Twitterじゃないんで、無駄に長いのはご勘弁。
(オーストリア出身の精神科医、アルフレッド・アドラーの心理学=思想、哲学。フロイト主催のウィーン精神分析協会の中核メンバーだったが、学説上の対立から独自の理論に基づく「個人心理学」を提唱する。フロイトのことを父のように慕っていたユングとは異なり、彼とは対等な研究者として関係を結んでいた。世界的にはフロイト、ユングと並ぶ三大巨頭の1人。)アドラー心理学には、常識へのアンチテーゼという側面がある。
⚫︎人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味付けを施した主観的な世界に住んでいる。我々は「どう見ているか」という主観が全てであり、自分の主観から逃れることは出来ない。問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるか、なのです。サングラス越しに世界を見たら、暗く見えるのは当然。サングラスを外せばいい。それは勇気の問題。
⚫︎過去の「原因」ではなく今の「目的」を考える。「不安だから、外に出られない」ではなく、外に出ない目的のために、不安や恐怖をこしらえ「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」=「目的論」一般的なカウンセラーや精神科医は、過去の問題に原因があると指摘して、だからあなたは悪くないと慰めて終わることが多い。災害や虐待が人格形成に与える影響はゼロではないが、それによって何かが決定されるわけではない。過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは自ら選択するものである。
外に出ず引きこもっていれば親に心配してもらえる=特別な存在になれる。外に出たら誰からも注目されないその他多勢になってしまう。
⚫︎怒りとは出し入れ可能な道具
⚫︎フロイト的な原因論=我々の自由意思を否定し、人間を機械のように見なしている。
⚫︎答えとは誰かに教えてもらうものではなく、自らの手で導き出してゆくもの。他者から与えられた答えは所詮、対症療法に過ぎない。
⚫︎あなたが変われないのは、自らが「変わらない」という決心をしているから。色々なライフスタイルを知ってしまったら、どうするかは自分の責任。幸せになるには、幸せになる勇気が必要。だが、世界や自分への意味付けを変えれば、世界との関わり方、行動までもが変わらざるを得なくなる=あなたはあなたのまま、ライフスタイルを選び直せばいい。
⚫︎対人関係の中で傷つかないことなど基本的にはありえない。対人関係に踏み出せば大なり小なり傷つくし、あなたも他人を傷つけている。
⚫︎孤独を感じるにも他者を必要とする。人は社会的な文脈においてのみ「個人」になる。個人だけで完結する悩みは存在しない。どんな種類の悩みであれ、必ず他者が介在している。自分が嫌い=対人関係を避けている。
⚫︎劣等感に苦しむのは主観の問題。客観的な劣等性ではなく、主観的な劣等感。客観的な事実ではなく、主観的な解釈による。劣等感それ自体は悪いものではない。一方の劣等コンプレックスとは、劣等感を言い訳に使いはじめること。やがて優越コンプレックス=偽りの優越感に発展する。自慢は劣等感の裏返し。不幸自慢も、特別であったり、人の上に立とうとしている。不幸を武器に相手を支配しようとしている。
⚫︎人生は競争ではない。誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいい。他者と自分を比較する必要もない。健全な劣等感とは、他者との比較ではなく、理想の自分との比較から生まれるもの。同じ人間はいないが、みな対等。競争に生きている人は、他者は自分を攻撃してくる存在と見ている。対人関係を競争の軸で考えなければ、人々は仲間になっていく。対人関係を競争で考えたら、他者の成功=私の負けと捉えてしまう。
⚫︎相手の挑発に乗ったら権力争いになってしまう。我慢するという発想も権力争いにとらわれている証拠。
⚫︎リストカットの目的=周囲の人や親への復讐。
⚫︎他者からの承認や評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになる。
⚫︎自らの生について、自分に出来るのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」その選択について他者がどのような評価を下すのかは、他者の課題であり、自分にはどうにも出来ない話である。他者の視線が気になるのは、他者からの承認を求めているから。課題の分離が出来ていない。対人関係に苦しんだ時は、「これは誰の課題なのか」を考える。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きする。他者の課題には介入せず、自分の課題には誰1人として介入させない。課題の分離は、対人関係の最初の入り口である。他者からの承認を選ぶか、承認なき自由の道を選ぶか、大切な問題である。承認欲求が強いのは、誰からも嫌われたくない又は自分を好きになりたいから。嫌われたくない、承認欲求は本能的な欲望であるが、それに従うのは欲望の奴隷ということである。
⚫︎承認欲求にとらわれてる人は自己中心的である。他者がどれだけ自分に注目し、自分を評価し、満たしてくれるのか…他者を見ているようで実際には「わたし」にしか関心がない。他者の視線を気にしているのは、他者への関心ではなく、自己への執着に他ならない。こうした人たちにとっての他者とは、「わたしのために何かをしてくれる人」でしかない。
⚫︎「自由とは他者から嫌われることである」誰かに嫌われているということは、自らの方針に従って自由に生きている証である。自由とは組織からの解放ではない。他者の評価を恐れず、承認されないかも知れないというコストを支払って手に入るもの。幸せになる勇気には、「嫌われる勇気」も含まれる。
⚫︎対人関係のゴールは「共同体感覚」他者が仲間だとしたら、そこに自らの居場所を見出すことが出来るでしょう。貢献しようと思える。自分の人生の主役は自分だが、世界の中心に君臨しているのではなく、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部である。人生の課題つまり対人関係の課題に立ち向かうことで、共同体へ積極的にコミット出来る。所属感とは自らの手で獲得していくものである。学校が合わなくても世界には別の居場所がある。世界の大きさを知ろう。対人関係で困難にぶつかった時は、より大きな共同体の声を聞け。共同体感覚を持てれば、承認欲求は消える。共同体の範囲は無限大=宇宙全体。
⚫︎褒めるという行為には、能力のある人が、能力のない人に下す評価という側面がある。褒める人は無意識に上下関係を作り、自分よりも能力の劣る相手を操作するという目的がある。叱るのも褒めるのも、背後にある目的は操作である。人は他者から褒められると、「自分には能力がない」という信念を形成していくことになる。褒められることを目的にしてしまうと、他者の価値観に合わせた生き方になる。子供に勉強しろと命令する親など、他者の課題に介入することは、対人関係を縦の関係でとらえ、相手を自分よりも低く見ているからこそ。介入と援助は違う。大切なのは、他者を評価しないということである。評価の言葉は、縦の関係から出てくるもの。横の関係=素直な感謝、尊敬、喜び。褒められて評価されるのではなく、「ありがとう」という感謝の言葉を聴いた時、人は自らが他者に貢献出来たと思える。
⚫︎「人は、自分には価値があると思えた時にだけ、勇気を持てる」
⚫︎他者のことを「行為」のレベルではなく、「存在」のレベルで見ていきましょう。人は存在しているだけで他者の役に立っているし、価値があるというのは疑いようのない事実である。
⚫︎自己肯定ではなく、自己受容
1人の空間では自由に振る舞えるのに、人前では自由に振る舞えないのは、無邪気な自分に自信が持てていないから。自己への執着を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。必要になるのは、「自己受容」「他者への信頼」「他者への貢献」である。全ては勇気を持てるかの問題。
⚫︎他者への無条件の信頼とは、対人関係を横の関係で築いていくための手段である。他者を信頼することを恐れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことは出来ない。他者から裏切られることの恐怖を乗り越えるには、ありのままの自分を受け入れて、自分に出来ることと自分には出来ないことを見極めることが重要。それでも裏切られたら、思い切り悲しめばいい。痛みや悲しみを避けたら深い関係を築くことは出来ない。他者を仲間だと見なすためには、まず信じること。他者への貢献とは、自分を捨てることではなく、むしろ自分の価値を実感する為のものである。
⚫︎行動面での目標
自立。社会との調和。わたしには能力があるという意識。人々はわたしの仲間であるという意識。
⚫︎特別な存在でありたい人が進む道
と、普通であることの勇気。特別に良くあろうとすることも、特別に悪くあろうとすることも、目的は同じで、普通ではなく特別な存在になること。普通であることは無能ということではない。登山が失敗に終わったとしても、仮のわたしの姿で人生が終わったわけではない。その考え方は、人生を1本の線でとらえ、大半の状態を途上として見なしている。人生は線でとらえるのではなく、点の連続であり、連続する刹那である。人は今ここしか生きられない。それを真剣に生きるべき。過去や未来を見ている人は、今ここにあるかがえのない刹那を見ていない。
⚫︎一般的な人生の意味はない。人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ。
⚫︎自由を選ぼうとした時、自由なる人生の指針として、導きの星を掲げよう。それが他者への貢献。自分がどんな刹那を送ろうと、誰かに嫌われようと、他者に貢献するという導きの星を見失わなければ、迷うことはないし、何をしてもいい。過去も未来も見ないで、今ここにある刹那を真剣に生き、誰かと競争する必要もなく、目的地も要らない。真剣に踊っていれば、どこかへ辿り着く。そして人生の意味は、今ここを真剣に踊りきった時に明らかになる。
⚫︎1人の力は計り知れないほどに大きい。わたしが変われば世界が変わる。世界とは、わたしによってしか変わり得ない。
以上の文体は本を参考に、僕がオリジナルに表現したものであり、無断転載ではないとする。
僕は必ずしもこれらの考え方の全ての箇所を手放しで受け入れようとは思わないが、参考にすべきところはかなりあるだろう。
ものごとの責任を他人と自分のものに区切り、自分のことは自分で責任を持って取り組み、他者のことには介入しないといったような課題の分離は、お互いに依存しあって足の引っ張り合いをするのはやめよう的な考え方でそれぞれの自立を促すし、他者からの承認にとらわれ過ぎず、共同体感覚を持って世界に参加し、自由に仲間を見つけることが出来るという考え方は、我々を囚われの身から自由へ促すし、自分の人生をいかに生きるべきかという問題を意識するきっかけになると思う。
あと個人的には、対人関係=社会への第一歩は、勇気を持てるかの問題だという部分も、忘れがちなポイントだと思う。勇気を出すってシンプルだけど忘れがちだ。
そして何より、他者からどう見られているかを過度に気にしたり、承認欲求にとらわれてばかりの人は、自分にしか関心がない自己中心的な存在だという指摘も、まさにその通りだと思った。
自己主張をしたら誰からも好かれることは出来なくて、必ず反対意見や自分を嫌う存在が出てくる。だからこそ、それらにとらわれることなく、自分の進むべき道を見つけ、積極的にコミットしていく勇気を出したい。