ryuu style Dungeon

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フリースタイルバトル。

Twitter : @i_doggstarr
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最近、ナンパを素直に楽しめなくなった。

悪い意味で落ち着いたのかも。女の子にストレートに欲望をぶつけられなくなった。

本当は欲情してるのにぶつけられないのではなく、素直に欲情出来なくなった。汗

で、周りの話を聞いて、ナンパで女の子に食いつかれるかどうかで一喜一憂するなんておめでたい奴だな、精神年齢低いから自分がバカなことにも気づかないで、ヒーロー気取りでおめでたい奴だなと思いつつ、どこかでそんな人間が羨ましいのかも知れない。

確かに、そういう人を見てて虚しくなるし、辟易するし、過去の自分を見てるようで恥ずかしいやら同族嫌悪的な目線もあるけど、楽しめてるその精神性が羨ましい。上から目線でもなく、単純にそう思う。

時にはバカな方が幸せなのかも知れない。

楽しんでると決めつけることが失礼なら、そういう人も本当に楽しんでるのかは分からないよ?でも、少なくともナンパに臨む場面において、その人の緊張感のピークは、相手から食いつかれてSEXを得る瞬間だろうし、そういうことに目的意識を持って楽しんでる時点で、俺の言うバカだけど羨ましい奴に当てはまる。

俺も前みたいに、女の子に食いつかれるかどうかで一喜一憂したいし、脇目も振らずに声掛けしたい。そんなバカをやれたあの頃に戻りたい。

ナンパ出来ない側の本当の嫉みってのは、「俺は女の子に声掛けしたいけど、嫌われるのがこわくて、周りの目がこわくて声掛け出来ないのにあの野郎」っていうものではなく、掘り下げると、そんなことを「楽しんでる俺でいられる」ことに対するものなのかも知れない。実はそんなこと思われてると思うとこえーわ。笑

自分はバカをやれなくて楽しめないでいるのに、あいつだけ楽しそうに振る舞っててずるいみたいな。

どんな過程にせよ、楽しめるってこと自体、楽しめなくなって小さくなってる人にとっては羨ましいものなのかも知れない。

こうなったら、俺はリハビリのために、コンクリートに頭を打ってでも前みたいにナンパへの熱意を取り戻し、ついには周りなんか見えなくなってしまいたい。

カッコつけるなよ俺。

変なプライドなんか携えて、カッコつけたら終わりだぜ。











弱めの女の子やメンヘラなどの声掛けて下さいと言わんばかりのアプローチしやすい層は取りこぼさず、サンドバッグにして手際良くジャブを食らわしとく。


(彼女たちと談笑して、強めの女の子にアプローチしてシカトや罵声で萎えたメンタルを回復。)


そしてまた波長の合わなそうな強めギャルとかケバい墨入ったギャルとか意識高そうなアパレル系などにもアプローチしていくというサイクル。









JKとの恋愛。

その理想と現実。

相手はまだ16歳。

歳の差は気にならないと言ってくれたりしても、一緒にいてくれて嬉しいと言われても、俺はどこか引け目というか、後ろめたさを感じてしまう…。俺なんかじゃもったいないだろと。

彼女が俺を受け入れてくれても、俺自身の気後れが生じてしまう。彼女を縛ったら、彼女の人生の幅を狭めてしまうかも知れない。

本来なら、若い男の子との恋愛をしてほしいかなと思うし、その方が波長も話題も合うだろうし。そんなことを彼女に言ってしまう自分。

だから俺は彼女を縛るつもりはない。他に好きな人が出来たらいつでも去ってくれていい。

なんなら出会いをサポートしてあげてもいい。男子校の文化祭に連れてってあげたり。笑

変な話だが。歳の離れた女の子は、対等に見ることが出来ない。










ダンジョンで言えば俺らはチャレンジャー。
下手なラップで失敗して恥かいても良い。

なぜなら、リスクを恐れず、壇上に上がってラップパフォーマンスしてるだけ偉い。

歩いてるだけの歩行者。

通行妨害してまで炎のチャレンジャー。

野次飛ばして来るだけの奴はマイナス1000ポイントざけんな。









バンゲ力を鍛えればナンパは結果にコミット出来る。

即はメイン要素ではなくサブ要素とすれば、結果はより確実になる。

1日10バンゲさえすれば月のアポ数はおのずと増える。

そのアポ数の中から結果を出すことを主軸にしていけばいい。










19歳 美容専門学生 即

23歳 エステサロン社員 準即

1○歳 JK 即

さて、8月は雨ばかりでしたが、今は安泰。JKは夏休み終わり、JDはまだ夏休み。今月も頑張りましょう。(´∀`)










社会で失敗することも多いが、それが生きるということ。


ダメな自分を嫌というほど見せられるのが社会。


というか人間が集まれば社会が生まれ、何かしらの優劣が訪れるのは当たり前。


むしろ自分に元からすごいスキルがあると思う方がおかしい。


僕はこう考えたい。


社会での成功は、先天的な遺伝子の優劣などの要素より、後天的な努力などの要素で望めるはずだと。


そもそも社会生活って、ひとつのルールがある中での競技みたいなもんやし。


朝早くに起きて満員電車に乗るのも、競技で定められたルールの一環。そこに遺伝子の優劣はほとんど関係ない。


何が技ありとされるかもそれぞれの解釈がある。


その中で人生を左右するのは、先天的な要素だけではないはず。










サバの味噌煮 投げつける母の瞳

風鈴の音色 ムーミンの渓谷

無理の継続 ムーディーじゃねえ夜

暴走する孤独な老後

ボンネット乗せたままGO ON