木馬
日の落ちかかる空の彼方
私はさびしい木馬を見た
幻のように浮かびながら
木馬は空を渡っていった
やさしいひとよ 窓をしめて
私の髪を撫でておくれ
木馬のような私の心を
その金の輪のてのひらに
つないでおくれ
手錠のように
大岡 信
木馬
日の落ちかかる空の彼方
私はさびしい木馬を見た
幻のように浮かびながら
木馬は空を渡っていった
やさしいひとよ 窓をしめて
私の髪を撫でておくれ
木馬のような私の心を
その金の輪のてのひらに
つないでおくれ
手錠のように
大岡 信
大岡信さんを悼む
大岡は詩のなかで火になり岩になり、批評のなかで
後白河院や岡倉天心になった。
詩とは他者に乗り移る精神のことなのだ。
巫女のようなこの資質が、国際的な舞台で連詩を巻く
ことを可能にし、現代日本の驚異的な詩のアンソロジー
「折々のうた」を可能にしたのであった。
温厚で包容力があったが、核心には激しさがあった。
学者に深い敬意を払っていたが、学者であろうとした
ことはなかった。詩が文学と芸術の中心にあると確信
していた。(略)
大岡の身近に接して痛烈に教えられたことは、人間に
とってはその人格こそが最大の作品だということである。
大岡は他者の人柄を、批評するよりも先に愛した。
愛するに足る人柄を求め続けた。
大岡の詩と批評の原型はそこにあったのだと、私は
思う。(略)
大岡の十代の詩は素晴らしい。
失恋から新たな恋愛への飛躍が陰翳深く歌われていて
記憶に深く刻まれている。だが世間はその詩の魅力に
気づく前に、鋭敏な批評のほうに瞠目したのである。
詩人たちは、この俊才に、現代詩の進むべき方向を示す
批評家を期待し、大岡はそれに応えて獅子奮迅の活躍
をした。同じことが画壇にも起こった。
画壇も清新な批評家を必要としていたからである。
大岡信は日本における詩のイメージを変えた。
盟友、谷川俊太郎とともに戦後詩、現代詩といわれるものの
イメージを変えた。明るく爽やかなものに、自由で伸びやかな
ものに変えた。ここで大岡が果たした役割はまさに画期的なもの
だった。