朝から怠惰の限りを尽くしていた1月3日。


昨夜のキツい酒も少し残っていたこともあり、このまま年明け働けるのか?、はたまた大阪にも帰れないんではと自分を疑うほどゴロx2、ダラx2と過していた。


これではイカンと身を起こし、とりあえず外に出よう、コンビニに行こうと自転車に乗った。
(自転車に乗って、ちょっと出ないとコンビニが無いのが辛い。)


目的のコンビニを過ぎても、しばらくぶりに変わってしまった風景を眺めながらペダルを漕いでいた。



気づけば通っていた小学校、高校の南東方向。百射山神社。小学校の遠足とか、それくらいぶりである。



元旦に実家近所の氏神様に初詣は済ませており、参る理由もないのだけど一応参拝。

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そして拝殿脇の山道を本殿を横目に少し上ります。すぐに本殿の真裏の尾根部分が開けます。



そこが 宮山墳墓群 です。



小学校の頃に友達と登って来て以来、あの頃よりは考古学の知識は増えています。あの頃に戻ったような、何とも言えない不思議な気分。


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墳墓群全体。私の背後に宮山墳丘墓があり、それに付随する墳墓群となります。



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いろいろ埋まってたのでしょう。


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ここからあの宮山型特殊器台が出土したのです!


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西端からの眺めは、平地から川までが一望でき埋葬されたであろう首長一族の力が分かります。川向こうに見えるのは伊予部山か。伊予部山にも墳丘墓があったはず。途中の四角い植え込みは母校グラウンド。



さらに尾根を東方向へ登ります。休憩所を越えて、宮山展望台古墳。

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手前が前方部で奥が後円部。

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墳丘端に目をやると、お地蔵様がポツポツとちょっとしたお遍路道なのかもしれません。
遥か古代から現代でもなお特別な山となっているのでしょう。


勢い余って出かけたもんだから、この辺りでスマフォの電源も果ててしまう(泣)。


この後、隣の三笠山古墳から山道を下る。このまま行くと神社の前の道となるが、説明版の地図にはもう一本の山道がありその側に横穴式石室があるとの事。


すこし下ってさらに上に向かう道が見えてきたので登ってみるとすぐ側に石室。見つけやすい位置にあったのに記憶に無い、昔に来たときはこの道を登らなかったのか。

ともかく多くの著名コフニストの皆様のブログに書かれていて、見てみたかった石室だったので非常に満足。


その満足感と共に三輪の地を後にし、一応帰りにコンビニには寄った。


帰宅し、迎えてくれた母親には


『ちょっとぶらっとして、コンビニ行ってきた。』


とだけ答えた。