サヤとヒロキの性的関係は、当初からプロトコルによって管理されていた。
ヒロキは、自身のパニック障害を克服するため、サヤが開発したドライオーガズム誘導プロトコルを実行し、そのデータを提供した。
しかし、サヤ自身のデータは停滞していた。
「ヒロキ、今日は挿入を試行する。」
ある夜、サヤは実験室のテーブルに向かうのと同じ冷静さで告げた。
彼女にとって、挿入(ペネトレーション)は、ボルチオオーガズムに不可欠な深部神経入力を得るための、「非効率だが、理論上必要な手段」であった。
ヒロキは既にドライオーガズムで最高の充足を得る術を体得しており、サヤの指示に静かに従った。
しかし、行為の間、サヤの意識は常に観測者であった。
(心拍は安定。骨盤神経への圧力信号は十分。しかし、迷走神経の活性化を示す心拍の急激な変化が見られない)
ヒロキのペニスによる刺激は、彼女の膣深部に空間的な圧力を与えたが、それはただの物理現象でしかなかった。
快感の波が来そうになると、サヤの脳は無意識に「制御の緊急性」を発動させる。
「ダメだ、サヤ。まただ。」ヒロキは疲弊した声で言った。
サヤは冷静に分析した。
「私の陰部神経経路が、クリトリスオーガズムの最適化により、ボルチオオーガズムへの移行を妨げている。
快感のエネルギーが深部に向かう前に、クリトリスオーガズムでの『緊張の排出』という浅い経路で放電されている。」
彼女は自ら、陰部神経の入力をバイパスするため、強力なバイブ(多機能深部刺激器具)を導入した。
しかし、結果は同じだった。快感のピークは、一瞬の鋭い閃光に終わり、
ボルチオオーガズムに不可欠な「深い鎮静と、理性の完全な手放し」は、決して訪れなかった。
実験失敗後、サヤは研究室に戻り、自分の脳波データとヒロキのデータを比較した。
ヒロキは、射精という「低効率な機能」しか持っていなかったにもかかわらず、
サヤの技術によって高次のドライオーガズムを達成し、情動の深い安定(心拍数の劇的な改善)を得ていた。
一方、サヤ自身は、「ボルチオオーガズムという最高の機能」を持つはずの女性の身体を持ちながら、
意識的な抑制により、それを自らブロックしていた。
「私の身体は、ボルチオオーガズムの神経経路を生理的に持っている。
にもかかわらず、私の『知性(理性)』が、『情動の完全な解放』を『リスク』と認識し、最強の抑制信号を送っている。
私は、自分が最も証明したい論理を、自己の機能不全によって裏切っている。』
彼女の葛藤は、感情的な苦しみではなく、論理的な欠陥から生じた。
彼女は、「なぜ知性は、自己の最適化を拒否するのか」という、究極の矛盾に直面した。
「ヒロキのシステムは私の技術で最適化された。
しかし、私のシステムは、私の知識でも制御できない。
これはデータが不足しているからだ。
抑制のメカニズムを理解する必要がある。」
サヤは、自身がボルチオオーガズムを体験できないという「個人的な機能不全」を、「人類の知性における最も重要な未解明領域」へと昇華させた。
翌朝、サヤはヒロキに対し、新たな研究計画を提示した。
「ヒロキ、私はボルチオオーガズムのメカニズム解明を、私のキャリアの最優先事項とする。」
「それは…サヤ自身の経験から?」
ヒロキは尋ねた。
サヤは表情を変えずに答えた。
「違う。これは効率的な判断だ。
私の身体がボルチオを拒否するという事実は、『知性による情動の抑制メカニズム』が、予想以上に強力であることを示している。
このメカニズムを解明し、ボルチオオーガズムを誰もが論理的に達成できるプロトコルを確立しなければ、
女性の情動安定性という研究は机上の空論で終わる。」
彼女は、自身の機能不全を知的な探求の燃料に変えた。
「ボルチオオーガズムを体験できないのは、私の身体のせいではない。
それを可能にする技術が、まだ私の知識に追いついていないからだ。」
サヤにとって、ボルチオオーガズムの研究は、自己の肉体的な敗北に対する知的な報復であり、
「理性こそが最終的な支配権を持つ」という彼女の哲学を、世界に対して証明する唯一の手段となったのである。
サヤは、薄暗い研究室のベッドサイドに設置されたモニター越しに、夫ヒロキの生体データを観測していた。
ヒロキは、ドライオーガズムのピークを迎えようとしていた。
彼の顔には、苦悶と恍惚が混ざり合った表情が浮かんでいる。
ヒロキのデータは完璧だった。
心拍変動のデータが示す副交感神経の活性度は、
彼女が「最高の情動リセット」と定義する数値を超えていた。
呼吸法と乳首・前立腺刺激の同期が、
射精という「低効率な排出機能」を持つ男の身体に、
女性のボルチオオーガズムに匹敵する深い鎮静をもたらしている。
(「成功だ。私のプロトコルは、男性の生理的限界を克服し、情動の恒常性を回復させた。
彼は、私の知識によって、より効率的なシステムへと再構築された。」)
サヤの脳は、論理的な勝利にドーパミン報酬を受け取る。
しかし、彼女の視線は、モニターの数値から、ヒロキの完全に弛緩し、無防備になった顔へと移った。
サヤは、自身の肉体的な経験と、ヒロキの現在の状態を冷徹に対比する。
彼女は、「なぜ自分がボルチオオーガズムに到達できないか」の原因を知っている。
自身のクリトリスオーガズムの最適化により、
快感のエネルギーが陰部神経の浅い排出経路で放電され、
ボルチオオーガズムに必要な骨盤神経や迷走神経の深部統合経路が機能不全に陥っている。
PFC(前頭前皮質)の意識的抑制が強すぎる。
ボルチオオーガズムに必要な「理性の完全な手放し(自己支配の放棄)」を、
自己の生存本能と知性が『リスク』として認識し、無意識にブロックしている。
ヒロキは、自分の意志をサヤのプロトコルに完全に委ねることで、最高の情動的解放を達成した。
彼は、自己の支配権を放棄することで、最適化された。
葛藤の核心は、ここにあった。
(「私は、彼が到達した場所が、情動と神経システムにとって最も効率的だと知っている。
私は、それを可能にするすべての知識を持っている。
しかし、私の肉体は、私の知性に服従しない。私はヒロキを制御できたが、自己を制御できていない。」)
サヤは、ヒロキの隣に横たわりながら、ペニスでも、道具(バイブ)でも、
膣オーガズムという中間の安定性すら得られなかった自身の「機能不全のシステム」に囚われていた。
サヤの絶望は、「欲しいものが得られない」という単純な感情ではない。
それは、「自己の知識と論理が絶対である」と信じてきた知的な傲慢さに対する、肉体からの冷酷な罰であった。
(「ボルチオオーガズムは、私が最も軽蔑した『感情』、『信頼』、『無防備』といった非論理的な要素を、鍵として要求している。
私は、それらのノイズを排除し、論理だけで世界を支配しようとした。
その結果、私は今、最高の機能に知識だけでは到達できないという、最も非効率な状態に置かれている。」)
彼女は、自分が研究してきた「情動の統合と鎮静」という最高の報酬が、
自分自身から永遠に閉ざされていることを悟った。
ヒロキは技術で救われたが、サヤは知性によって肉体に裏切られたのである。
サヤの目には、涙という「非効率な排出物」は流れなかった。
しかし、その瞳の奥には、「すべてを理解しているのに、自分だけは救えない」という、
冷たく、底なしの絶望が、新たな研究動機の炎として燃え上がり始めた。
サヤは、自宅でのオーガズム研究を公的な研究へと拡大するため、放射線科の教授を説得する必要があった。
サヤが大学院の指導教授に、
オーガズムの放射線機器による分析(fMRI/PETを用いた神経画像解析)、
という前衛的なテーマを認めさせる過程は、彼女の冷徹な論理と戦略的な支配の原型を示すものだった。
教授は、権威主義的で保守的であり、「情動」や「性」といった分野を「科学的厳密性に欠ける」と見なす傾向があった。
時期は、大学院博士課程。サヤは、完璧に製本された研究計画書を教授の重厚なデスクに置いた。
テーマ:
「高機能女性における
オーガズム体験中の大脳辺縁系および前頭前皮質の機能的連結性の評価:
高磁場fMRIを用いた新規情動制御メカニズムの解明」
教授は分厚い計画書をめくり、鼻で笑った。
「君の成績は素晴らしい。
だが、これは下品で非科学的だ。
オーガズムだと? 君は性科学者になりたいのかね?
我々は放射線科医を育てている。情動の分析は、厳密な科学ではない。
私の研究室の貴重なリソースを、そんな気まぐれなテーマに割くことはできない。」
教授の拒絶は、テーマの「内容」ではなく、テーマの「社会的な位置づけ」に対する軽蔑だった。
サヤは、感情を一切見せず、論理的な反論を静かに、しかし断固として述べた。
彼女は、教授の「権威」と「研究費」という二つの弱点を正確に把握していた。
サヤ: 「教授、ご指摘は理解できます。しかし、このテーマは性的な研究ではありません。
これは情動制御の究極のリセット機能の解明です。
我々が扱うパニック障害や難治性うつ病は、すべて大脳辺縁系(扁桃体など)の制御不全に起因します。
オーガズムは、その制御不全を最も短時間で、最も強力に、薬物なしで是正する自然な生理現象です。」
サヤは、計画書の特定ページを開かせた。
そこには、先行研究のfMRI画像 が添付されており、
オーガズム中の扁桃体と前頭前皮質の活動の劇的な変化が強調されていた。
サヤは、教授の保守的な権威主義と、彼の研究室の資金源への切実な欲求という、二つの最大の弱点に照準を合わせていた。
サヤは、自身が作成した研究計画書の「経済的意義」のセクションを開かせた。
そこには、現状の性機能不全治療薬市場のデータが並んでいた。
サヤ: 「教授、現在、勃起不全(ED)治療薬は年間数十億ドル規模の市場を形成しています。
しかし、女性の性機能障害に対する効果的な治療薬は、ほとんど存在しません。
その理由は、男性の機能が血管の拡張という単純な物理現象で定義されるのに対し、
女性の機能は中枢神経系の情動制御に深く依存しているからです。」
サヤは、計画書に添付された、男性と女性のオーガズム時の脳活動のfMRI対比画像 を示した。
サヤ: 「我々の研究は、ボルチオオーガズムがもたらす扁桃体の沈黙とPFCの一時的な活動停止のメカニズムを解明します。
これは、『理性の抑制を解除し、情動の解放を促す』という、
女性の性機能障害の根本原因を治療するための神経学的標的を提供します。
大手製薬企業は、年間数十億ドルの潜在市場を持つ『女性版バイアグラ』の開発に向け、
この神経回路の特許と治験データを喉から手が出るほど求めています。」
教授の目は、「下品さ」ではなく、「数十億ドル」という数字に釘付けになった。
続いて、サヤはさらに大胆な資金源へと論理を展開した。
サヤ: 「製薬分野に加え、より即時的な資金源として、医療機器とアダルトグッズの境界領域があります。
現在、女性用アダルトグッズは、『セルフプレジャー』という名の下、
格安量販店やネット通販を通じて膨大な市場を形成しています。
この市場は、心理的な後ろめたさから『健康』や『美容』の延長線上に移行しつつあります。」
サヤは、彼女が設計したボルチオオーガズム誘導プロトコルが、その市場を根本から変えると主張した。
サヤ: 「彼らの製品は、単なる振動や刺激に留まっています。
しかし、我々の研究がボルチオオーガズムに不可欠な深部神経刺激の周波数や波形を特定できれば、
それは新しい治療器具、あるいは高機能プレジャー器具として特許化できます。」
彼女は、自身の研究が生み出す「新規器具の特許」は、
現在の市場に存在するすべての製品の優位性を無効化すると断言した。
サヤ: 「この特許は、『情動制御を科学的に保証されたオーガズム誘導装置』として、
現在の数千万ドルの市場を、『情動安定化のための医療ガジェット市場』へと変貌させます。
メーカーは、この新規技術の独占権を得るために、膨大な研究開発資金を提供するでしょう。
この資金は、我々の研究室が自由に使える、最もクリーンな外部資金となります。」
サヤの提示した論理は、教授の保守的な信念を資金獲得という現実的な要請によって完全に上書きした。
教授は、自分の研究室が世界的な医療トレンドと巨額の商業的利益の中心となる可能性を無視できなかった。
教授は、計画書の「経済的意義」のページを閉じ、ゆっくりと顔を上げた。
その目には、もはや「下品」という軽蔑の色はなかった。あったのは、計算と欲望の光だった。
教授: (声を低くして)「君の論理は、冷酷だが完璧だ。その...『特許』が、本当に君の言う通りの独占的な優位性を持つと保証できるのかね?」
サヤ: 「はい、教授。私は、情動の究極のリセットが、肉体的屈従や感情といった不安定な要素ではなく、
科学的なプロトコルによって万人に保証されることを証明します。
この技術は、市場にとって絶対的な優位性です。」
教授は、大きく息を吸い込んだ。
教授: 「よろしい。研究を承認する。
だが、資金獲得は君の責任だ。
そして、この研究は私の名の下に進められる。理解しているな?」
サヤ: 「理解しています、教授。
これは教授の権威を永続させる、最も効率的な投資です。」
サヤは一礼し、研究計画書を手に研究室を後にした。
彼女の足取りは冷静だったが、心の中では確信していた。
彼女が獲得したのは、研究資金だけではない。
自己の屈辱を解消し、世界を支配するための「武器」の、正式な製造許可であった。
サヤは一礼した。彼女は知っていた。
テーマが承認された今、リソース(fMRI、資金)の支配権は教授からデータを持つ彼女自身へと移ったことを。
この瞬間、サヤは「オーガズムの支配者」としての最初の、そして最も重要な一歩を踏み出したのである。
しかし、サヤの指先が触れていたのは、分厚い紙の裏に焼き付いた、誰にも読まれることのない「真の目的」であった。
研究室に戻ったサヤは、デスクの椅子に深く腰掛けた。
研究計画書の裏に書かれた真の動機は、サヤの味わった屈辱に対する知性の絶対的な報復であった。
サヤの目標は、ボルチオオーガズムを「ロマンスや男性の支配」という非論理的なノイズから完全に解放することだった。
(「ボルチオオーガズムを、誰の『愛』にも『屈従』にも依存しない、純粋な技術的成果へと変える。
私はその現象を解体し、再構築する。
神経回路を制御し、脳に直接介入するプロトコルを確立する。」)
彼女の欲求は、「万人が確実に膣オーガズムとボルチオオーガズムを体験できる脳の制御プロトコルの確立」へと集約された。
このプロトコルが完成すれば、知性の低い女性や受動的な態度を取る女性が、
偶然性や屈従によって得る優位性は、技術の普遍性によって無効化される。
最高の報酬は、最高の知識によって制御されることになる。
サヤ自身も、「理性の放棄」という心理的なリスクを負うことなく、
技術的な操作によって、自身の身体をボルチオオーガズムへと強制的に導くことができる。
自己の身体が「知性」に服従する瞬間、彼女の知的なシステムは完全な勝利を収める。
サヤは立ち上がり、研究室の壁に貼られた神経回路の図を見つめた。
彼女の目は、ただの図を通り越して、人類の情動を制御する究極の支配構造を見ていた。
(「私は、この世界が定める非効率で不公平なルールを破棄する。
オーガズムの達成は、生まれや感情、男性の能力に左右されない、私の知性が生み出した絶対的な法則となる。」)
彼女の研究は、もはや医学や神経科学の枠を超えていた。
それは、「知性こそが、肉体と情動の全てを支配する」という、
彼女の冷徹な哲学を現実の法則として書き換えるための、究極の試みであった。
研究計画書の裏面に隠されたこの灼熱の欲求こそが、
サヤを、オーガズム研究という前人未到の領域へと駆り立てる、真のエネルギー源だったのである。
サヤの戦略は、「女性オーガズムの中枢神経ネットワークのモデリングと予測」を行うことだった。
彼女の研究は、もはや「現象の観察」ではなく、「現象の完全な制御と再現」を目的としていた。
「感情や感覚といった非論理的な領域は、脳内の電気信号と化学反応の集合体に過ぎない。
オーガズムの瞬間に『意識が途切れる』という現象すら、予測可能で定量化可能なデータとして取り扱う。
それが、究極の知性の勝利だ。」
サヤは、初期の被験者から得たPET・fMRIデータを基盤とした。
彼女の野心的な研究計画は以下の通りだった。
機能的磁気共鳴画像法(fMRI)や陽電子放出断層撮影(PET)から得られた脳の各部位の時間経過データを、
緻密に構築したディープラーニングモデル(AI)に読み込ませる。
入力データ: 視床下部、扁桃体、前頭前皮質、帯状回など、
性的な快感と情動の制御に関わる主要な神経核および皮質領域の活動レベルとその相互作用。
学習目標: 脳の活動パターンから、
被験者のオーガズム中の主観的体験(アンケート、リアルタイム言語化)を完全に予測すること。
サヤのモデルは、当初は誤差が大きかったが、
泌尿器科、産婦人科、精神科の共同研究により被験者を増やすことで、急速に学習を深めた。
彼女は、個体差(年齢、経験、ホルモンバランス)といったノイズさえも、モデルに取り込み、予測の精度を高めていった。
AIモデルの精度が向上するにつれて、サヤの研究室では、驚くべき予測が可能となった。
データからの体験予測:
扁桃体の急速な鎮静とPFCの機能低下 ⇒「頭が真っ白になる」または「意識が途切れる」。
側頭葉の活動と前庭系の同期不全 ⇒
「浮遊感」や「身体が宙に溶け出すような感覚」。
聴覚皮質と情動回路の分離 ⇒
「音が遠ざかる」または「世界の音が消える」。
運動皮質の不随意的な活動 ⇒
「全身痙攣」または「コントロールを失った強い収縮」。
サヤは、脳の各部位の活動データをインプットするだけで、その女性がどのような主観的体験をしているか、
そしてその体験の強度がどの程度かを、90%を超える確度で予測できるようになった。
「これで、『言葉にできない』とされてきた領域が、完全に知性の支配下に入った。
情動は、もはや曖然としたノイズではない。正確に読み取れる電気信号だ。」
この予測モデルの真価は、性機能障害を抱える患者への応用にあった。
各種疾患(糖尿病、うつ病、脊髄損傷、婦人科系手術後)を持つ患者のオーガズム時の神経活動データを取得し、
AIモデルに読み込ませた。
モデルは、「この患者は、側坐核のドーパミン報酬系の入力が、扁桃体のネガティブな情動処理によって抑制されているため、
主観的には『快感よりも不安が勝る』という体験をしている」
といった、神経ネットワークのどの部位の異常が、主観的体験での問題(例:オーガズム不全、疼痛)に繋がっているかを明確に予測できるようになった。
サヤの研究は、性機能障害を「心理的な問題」から「神経ネットワークの具体的な故障個所」として再定義した。
これは、医学界における性機能障害に関するパラダイムシフトであり、サヤの知的な優位性を絶対的なものにした。
真夜中の研究室。
サヤはゆっくりと椅子にもたれかかる。
目の前のモニターには、彼女が過去に集積した女性被験者たちのオーガズムデータが並ぶ。
その中で、ボルチオオーガズムに到達した女性たちのデータに、サヤの冷たい視線が釘付けになった。
被験者から得たボルチオオーガズム中の脳機能画像が鮮やかに映る。
そこには、情動中枢(扁桃体)の沈黙とPFC(前頭前皮質)の活動停止という、究極の解放の証拠があった。
彼女が最も憎悪したのは、データが語る「非効率な真実」であった。
(「なぜだ。なぜ、このデータ解析もできず、情動の複雑さも理解できない女たちが、
原始的な手段でこの最高の機能に到達し、私は到達できないのか。」)
彼女の劣等感は、知性の敗北であった。
ボルチオオーガズムがもたらす脳の深い鎮静、扁桃体の完全な沈黙、そして副交感神経の広範な活性化は、
サヤが持つ知識によれば、人類の情動システムにおける究極の安定機能である。
にもかかわらず、彼女自身の身体は、その扉を固く閉ざしている。
彼女が目にしたのは、知性の放棄によって幸福を得ている女たちの姿だった。
彼女たちは、支配的な男性に身を委ねるという、
最も受動的で非論理的な行為を通じて、サヤが全人生を捧げた知識でも掴めない至高の生理的報酬を得ていた。
「この世界には、私の知性を無力化する『野蛮なルール』が存在する。
そのルールは、最高の安定を屈従と偶然性に依存させている。この矛盾は、私の存在そのものへの冒涜だ。」
彼女の心は、感情的な嫉妬ではなく、知的な屈辱で焼かれていた。
この屈辱を解消するには、「なぜ到達できないか」を知るだけでは不十分だった。
彼女自身の身体は、その扉の前で固く閉ざされていた。
ある日、サヤは自身の「機能不全」を客観的な言葉で表現する必要に迫られた。
論文執筆のための文献レビューを進めるうち、彼女は、自身の症状を指す既存の医学用語に直面した。
(「膣オーガズム、あるいは性交時オーガズムの持続的な欠如。
これは、外部刺激によるクリトリスオーガズムとは区別される…」)
彼女の専門知識が、彼女自身の状態を冷酷に診断した。
「診断名: 不感症(Anorgasmia)。特に、挿入によるオーガズム(膣オーガズム)の欠如。」
この言葉は、サヤの絶対的な知性に対する、最も直接的で、最も侮蔑的な攻撃となった。
(「不感症? 私は感情のノイズを排除し、論理的な真実のみを追求する人間だ。
にもかかわらず、私の身体は、『感覚を感じられない』という、最も原始的な欠陥を持っていると、医学は定義するのか。」)
不感症という言葉は、彼女が軽蔑してきた「情動的な弱さ」や「機能的な欠陥」を、権威ある医学のラベルとして彼女の存在に貼り付けた。
サヤの屈辱は、「病名がついた」という事実そのものではなく、その病名が持つ社会的、知的な含意にあった。
不感症は、社会的に「欠陥のある女」「女性として不完全」というレッテルを意味する。
これは、自己の価値を「知性」と「機能的な優位性」に置いてきたサヤにとって、耐え難い屈辱だった。
彼女は、オーガズムの神経回路をナノレベルで理解している。
にもかかわらず、「何を知っているか」ではなく、「何ができるか」という最も原始的な能力で、彼女は「欠陥品」として分類される。
この屈辱的な診断は、サヤの劣等感を灼熱のエネルギーへと変えた。
(「医学は、私のこの状態を不感症という曖昧な言葉で片付ける。
それは、情動制御の複雑なブロック構造を理解できない無能な医者たちがつけた愚かなラベルだ。」)
彼女の支配欲は、この屈辱を解消するために、さらに絶対的になった。
「よろしい。私はこの『不感症』というラベルを消滅させる。
この現象は『不感症』ではない。
これは、最高の知性が、最高の機能に到達するために自身に課した、『究極の自己抑制機能不全』だ。」
この屈辱的な病名を科学の力で無効化すること。
研究室のPCの中で、彼女は自身の脳機能画像解析の計画を最終確認した。
fMRIとPETという冷たい、客観的な光線を使って、不感症という主観的で感情的な病名の背後にある、「自己抑制の物理的な回路」を画像化する。
彼女は、「不感症」の原因を「愚かな感情や心理的な問題」としてではなく、
「特定の神経回路の過剰な機能亢進」という客観的なデータとして世界に提示すること。
サヤの目標は、不感症という診断名を「過剰な理性による情動制御回路のオーバーライド症候群」といった、
知的で機能的な名称で置き換え、自己の優位性を医学界に強制的に認めさせることであった。
彼女の屈辱は、人類の情動制御の新たな解明という偉大な研究動機の、最も暗く、最も個人的な炎となったのである。