画面中央で、道具で自慰をして快感に悶える女性。
その女性に次々に射精して、立ち去っていく男たち。
ぶっかけ動画でよくある構図。
彼らの動きは、どこか事務的であった。
ほんの一瞬のために近づき、そして用事を済ませると、何事もなかったかのように背を向けて歩み去っていく――
その一つひとつの仕草に、妙な空虚さを感じずにはいられなかった。
本来であれば、人が「快楽」と呼ぶものには、ほんのわずかでも余韻があるはずです。
体の奥に波紋が残り、息遣いが変わり、どこか名残惜しさのような揺らぎが生まれるものではないだろうか。
けれど、そこに立っていた彼らには、その影がまるで見えなかった。
表情も、呼吸も、足取りさえも、淡々とした作業の延長のように思われた。
その光景を前にすると、胸の奥がそっと痛む。
「もしや、この人たちは、喜びというものを受け取る器をどこかで置き忘れてしまったのではないか…」
そんな想像が、静かに浮かんでくる。
彼らの身体が、
──快楽という温度を感じ取る力をどこかで失ってしまった、
ひどく冷えた器のように見えた。
その不自然さが、哀れとも、不憫とも言えぬ感情を呼び起こし、
しばらくのあいだ胸の奥に薄い影を落としていた。