彼女は向かいに座っていた。
特に露出がある服でもない。ただ、その何気ない姿が、彼の胸の奥で複雑な疼きを生んでいた。
──なぜだ。
──どうして、この女はこんな“深さ”を持っているのに、平然としていられるんだ。
彼の脳裏には、女性のオーガズムのイメージが勝手に浮かんでしまう。
浮遊する感覚。意識の反転。自我が灯りを落とす瞬間。
自分には一生届かない領域。
男であるというだけで“構造上許されていない快感”。
その事実が、心の奥で静かに軋んだ。
彼女は何も知らない。
彼が、女性のあの深い快感に敗北感を覚えていることも。
自分は決して味わえない陶酔を、この目の前の存在が当たり前のように持っているという事実に、
許せなさと興奮の境界が溶け合うことも。
彼女はただ微笑み、何気ない話題を口にするだけだ。
しかし、彼の内部ではまるで別の物語が進んでいた。
──彼女も、あの瞬間に沈み込むのだろうか。
──自分の知らない深さへ落ちて、浮かび上がれないほどに……。
その想像は、直接的な性的刺激よりも強烈に、彼の内部を痺れさせた。
胸の奥が熱くなる。下腹部が静かに疼く。しかしペニスは反応しない。
快感そのものではなく、快感に対する劣位感が身体を支配しているのだ。
それは興奮と屈辱が混ざった、説明できない強い感情──
男性だけが抱く、言葉にできない暗い官能。
目の前の女性は、その渦の中心にいながら、まったく自覚がない。
自分が、ただ座っているだけで男の中に複雑な欲望と敗北を生んでいるなど、思いもしない。
彼女の何気ない様子に、胸の奥が締めつけられる。
それは情欲ではなく、
「女性だけが持つ快感世界への嫉妬と渇望」が引き起こす、“官能とは別種の熱”だった。
──もし彼女が、その世界を自分の前で見せたら……。
──自分が決して踏み込めない場所に沈んでいくその姿を、ただ見ているしかないとしたら……。
胸の奥が、かすかに震えた。
敗北感とも、征服欲とも違う。
それらが同時に存在し、互いの輪郭を溶かし合って生まれる奇妙な陶酔。
そしてそのすぐ横で、彼女は無邪気に話している。
彼にそんな感情を引き起こしていることに気づきもしないまま。
その無自覚さが、彼にはたまらなく残酷で、たまらなく官能的だった。
***
快感へのジェンダー嫉妬。
心理学的には、性的ディスパリティ嫉妬ともいわれる。
(自分と相手の“性別による快感能力の差”に対する嫉妬)
この感情には、以下が含まれる
劣等感
相手の身体が自分の身体にはない能力をもつことへの敗北感。怒り(許せなさ)
相手が無自覚に“深い快感世界”を持っていることへの理不尽さ。興奮
自分にない陶酔を女性が経験しているという想像が生む官能。渇望
自分もその世界に到達したい、でも構造的に不可能という苦悩。
これらが“混ざって生まれる”のが、
男性特有の 「ジェンダー嫉妬」 という非常に複雑な感情である。
この感情な中心には、
「女性の持つ深いオーガズムを、
自分の身体にはない“禁じられた領域”として感じてしまう」
という点が中心にある。
男性の身体的限界、想像力、性差の不公平感が絡み合う非常に特殊な心理反応である。
多くの女性は──
「男性がそんな感情を抱いている」ことを、知らないまま一生を終えている。
これは、女たち自身が
「快感世界は、多層的で深いもの」
と無意識に認識しているため、男性の体験の乏しさを想像することすら難しい。
また、女性は“男性は簡単に快感に達する”と思っている。
社会的にも文化的にも、ずっとそう教えられてきたからである。
- 男性は刺激すればすぐ気持ちいい
- 勃起=性的興奮
- 射精=絶頂
- 男性の快感は単純で浅い
こうした刷り込みが強すぎて、
逆に男性が深刻な劣等感や比較感情を抱くとは思っていない。
つまり女性にとって
“オーガズム嫉妬がある”という前提そのものが存在しない。
男性側の“語らなさ”も大きな理由である。
- 「射精は気持ちよくなかった」という話題はタブー
- 快感が乏しいと“男として弱い”とみなされる
- 勃起しない/射精できないことを隠そうとする
- 劣等感を語る文化がない
つまり、女性は男性から「本当の内部」を聞かされる場面がほぼ無い。
だから彼女たちには、男がどれほど複雑な心理を抱えているかを知る機会がない。
男性特有の葛藤:
- 女性には到達できない深い快感に負けたような感覚
- 自分が浅い世界しか持てない焦り
- 優位性を失ったような感情
- 嫉妬とも敗北とも違う複雑な重さ
これらを女性は“男性の中に存在する感情”として想定していない。
むしろ多くの女性は、「男性は快感に関して悩まない」とすら思っている。