コロナが始まったころから、ODの福岡の会は行っていない。
私のODに関しての知識も、もうずっとアップデートされていないし、息子が中学高校生活を送っていたのはずいぶん前になる。
今後も新たにODになったばかりの方に呼び掛けて会を開くことはないと思う。
だから福岡の会のブログももう閉じた方がいいのではないかとこの1年くらい思っていたのだが、数か月に1度くらいメールが来る。
たいていは福岡の会を開く予定はないのか?という問い合わせだ。
いただいたメールには、できるだけ丁寧にお返事するようにしている。
そのメールをきっかけに何往復かやり取りが続くこともある。
ODについてはすでに知識があいまいになっているので、ごく基本的なことしか伝えられない。
自然と話を聞くだけになるがそれでもありがとうと言ってもらえる。
このコロナ禍の間、患者さんもその家族もとても孤独を感じているようだ。
情報は以前より簡単にたくさんの量を得ることができるようになったけれど、直接生の声を聞きたいという希望はあるのだと感じた。
けれど、やはり福岡の会のブログはいったん閉じようと決めた。
ブログを抹消するのでなく、また誰かが親の会を開きたいと思ったときに、何かの参考になればいい。
いつも集っていた会場の利用方法等もわかると思う。
そんなメッセージを残して年内には閉じようと思う。
閉じるに当たって、今私の思っていることを書いてみる。私にとって、ODは得体のしれないものだ。
よく知ってるくせに人に説明するのは難しい。私の中でいつまでも痛みも収まらないし、思い出すこともつらいような複雑な気持ちで、ただ触れたくないだけなのかもしれない。
発病して数年は、診断書の病名は起立性調節障害で、私も人に説明するときには息子は起立性調節障害という病気にかかっていると言ってきた。
けど、入院した頃から起立性調節障害は症状なのだという感覚に変わっていった。
インフルエンザの場合、だるさ、発熱、咳という症状があるように、りおは何かよくわからない病気になって、その症状として血圧異常、頻脈、倦怠感、立位保持の困難さがあった。他にも動体視力の低下、体温調節の異常、ブレインフォグ、感覚過敏、過眠という症状もあった。
診断名は途中から特発性慢性疲労と変わったが、これも除外診断であり特効薬もない。
診断名が起立性調節障害から特発性慢性疲労に変わっても、薬も体調も症状も治療法も主治医も何も変わらなかった。
ってことはりおの場合、診断名に特に意味はなかったのかもしれない。
起立性調節障害という病名は、まだまだ知名度は低いけど10年前に比べたらとてもポピュラーになった。
けれどポピュラーになったからと言って解決したわけではない。
もしもお子さんが起立性調節障害と言われたら、診断がついたらともう安心、すぐ治るよと考えるのではなく(もちろん、大多数の患者さんは比較的早く良くなるけれど)、症状が出ている限り生活の活動量を減らしてほしい。
多くの場合、原因は簡単にはわからない。
けど、お子さんが今までと同じ生活の仕方を続けることは無理があると自覚してほしい。
体力差、体格差、体の丈夫さ、ストレスへの耐性など、人の能力はそれぞれ全然違う。
他の子ができるからって、自分の子ができるわけではない。
別に悪いことではない。
それも全部ひっくるめて子どもの能力なのだから。
人と同じことができないことはとても悲しいことだけど、何年ももがき苦しんだ後にはきっと、前よりもっとすばらしい人生が待っていると信じている。
病気になってよかったなんて絶対に思わないけど、もう病気にならなかった人生は想像できないくらいりおの人生の一部になった。
りおがそういうこと全部自分のエネルギーに変えてくれることを祈っている。
みなさんのお子さんの未来もきっと、すばらしいものになると祈っている。