2年前にこんな記事を書いていた。
2年前の5月に再び動けなくなった時、それでも何とかなると思っていて、7月に入院を勧められた時には入院すれば元気になると思っていて、9月、車いすを利用するほど弱っている息子を見て、「元気にならないかもしれない」と初めて思った。
発病したときからずっと不安でいっぱいだったけど、「元気にならないかもしれない」とは本気で思わなかった。
20歳で治る神話
体質として付き合っていく病気
どこかでそういう物にすがっていたんだろうな~
「元気にならないかもしれない」と覚悟してから、いろいろなことが変わった。
私も息子も自分と向き合って、病気と共に生きていこうと本気で思うようになった。
もちろんそれまでも向き合っていたつもりだけど。
「人生のある一時期だけが病気。今は我慢の時期」という意識から
「これからの人生ずっと病気」という意識に変わったというか。
あきらめというかなんというか、もうダメなんやろな~みたいな。
変わったからどうってものでもないけどね。
強くなったわけでもなく、悟ったわけでもなく、ただ、泣いてもわめいても何も変わらないことがわかった。
毎日辛いけど、しんどそうな息子を見るのは本当に切ないけど、じゃあ辛いからどこかに逃げてしまおう、というわけにもいかない。
どうにもできないから、こういうものなんだとあまり感情を動かさないようにするようになった。
今は歩けます。ありがたいことに。
近くのコンビニまで行けなかった子が、病院の駐車場から受付まで5分くらいをスタスタスタと歩いている。
そういうことに感動する。
だからといって、病気に向き合うってことは大事だよ~なんて言う気はさらさらない。
うちの子も歩けるようになったから、きっとあなたのお子さんもできるようになる、なんてことは口が裂けても言えない。
人の体は未知の部分が多すぎてわからないということ。
人の人生や家族関係は誰一人として同じでないから、自分にとって良いことが人に当てはまることは少ないということ。
経験を積んで、そういうことがわかった。
大人になっても治らないかもしれない。
大人になってから治るかもしれない。
治ったように見えて、治っていないのかもしれない。
治らないと思っていたら、治ることもあるのかもしれない。
りおはまた歩けなくなるかもしれない。
逆に走れるようになるのかもしれない。
走れるようになった後で、また歩けなくなるかもしれない。
けど、今日は歩ける。今日笑顔で過ごせている。それが大事だと思う。
人生いろんなことが起こるたびにジタバタして、苦しんでもがいて、そうやって人は成長していくらしい。
けどね、生きるって本当に大変だ。『魂のステージアップ』的な話を聞いても、なぐさめになんかならないよ。
できるなら、次に生まれてくるときは、自分も健康で家族も健康で、魂がちっとも成長しない毎日がいい。