2022年8月21日(日)

 我が日本国内においては、まだまだ「猛暑」が続いている地域もあれば、また、この一ヵ月においての降雨量が、過去に経験した事のない驚異的な降雨量を記録、それが続いている地域も多くあり。
 また、その間、新型コロナウイルスの第七波の感染拡大が止まらず、これもまた異常な感染者数増大をなっているようだ。
 感染者数増大となれば、当然のように病床現場の逼迫状態が広がる一方。
 さらに、死者数も大きな数を示している。

 上記のような状態になるまで、お偉方、役所といえば、「行動制限なし」を掲げてこの夏を過ごす方針をノーテンキに掲げて実行していたことになるのだが・・・・。
 この件、この方針、ちょっとオカシイのではあるまいかね?

 と、私のような者が疑問を投げかけても相手にはされないようである。
 まっ、私のような初老オヤジは、役所のお偉方から「我が身は我が身で守れ」と言われるのがオチだろうが・・・。



【欧州内~「異常な気象」多発のなかにて】


 我が日本だけではない、地球上の多くの地域・地点にても、「異常事態なる気象」が発生が続く夏となった。
 夏が過ぎれば終るわけではないであろう。冬になれば、またまた冬の異常事態が始まるようである。
 気象・気候が異常となれば、我々人間の生活状況にも異常をきたすわけだろうから、人間達の「生」についても当然乍ら「異常事態」「異状事態」を覚悟せねばなるまいな。

 まっ、このような事態にはならぬように、なんとかせねばならないのであるけれど。


 このような不穏な地球上の世界の中、
 せめて「音楽演奏会」の中にては、ひと時の「涼」を求めてという時間があって、それはとても貴重な時間であると思う。
 せめて、この位の「涼」は求めてもいいのではと・・・。

 さしずめ「暑気払い」コンサートとでもタイトルを付けても宜しいかと。

 二日前、北ドイツのハンブルクにて開催された音楽会。
 アンサンブルがフィンランドの古楽器演奏楽団。
 そして、プログラムのメインがヘンデルの「水上の音楽」が編成されている。

 猛暑の夏、まだまだ居坐るであろうが、すこしでも「涼」を味わえる事を愉しみながら、日本に居てもこの音楽会を楽しみたく。


①フィンランドの古楽器アンサンブルによる「暑気払い」コンサート~at HAMBURG~



*G・F・ヘンデル:「水上の音楽」、第二組曲 ニ長調、HMV.349

*Viljami Niittykoski~ヴィルヤミ・ニーッチュコスキ/Timo Alakotila編曲:Kesän muisto (Erinnerung an den Sommer)

*Viljami Niittykoski~ヴィルヤミ・ニーッチュコスキ/Kreeta-Maria Kentala編曲:Kaustislainen marssi (Marsch aus Kaustinen)



*G・F・ヘンデル:「水上の音楽」、第一組曲 へ長調、HMV.348


*Viljami Niittykoski~ヴィルヤミ・ニーッチュコスキ/Iikka Kotaja編曲:Tunnelmasta toiseen (Von einer Stimmung zur anderen)

*Viljami Niittykoski~ヴィルヤミ・ニーッチュコスキ/Lauri Pulakka編曲:Vauhdin hurmaa (Mit vollem Schwung)


*G・F・ヘンデル:「水上の音楽」、第三組曲 ト長調、HMV.350
*G・F・ヘンデル:「王宮の花火の音楽」、HMV.351


(アンサンブル)Finnish Baroque Orchestra~フィンランド・バロック管弦楽団


 2022年8月19日 エルプフィルハーモニー(Grosser Saal)、ハンブルク






 まさしく、「暑気払い」「納涼」という言葉がピッタリの時節であると。
 まして、ここ数年は、この八月の後半であっても、欧米も我が日本もまだまだ「猛暑」「酷暑」が続いている「異常」状態なわけであるから。

 いいね、ヘンデルのこれらの曲。ひと息出来るなぁ。いいなぁ。
 さらに、Viljami Niittykoski~ヴィルヤミ・ニーッチュコスキなる作曲家の楽曲、今の時期こうして耳にすると、その中から聞えてくる叫びが感じられるのであるが・・・・、如何であろうか?

 

【いつの間にか使用頻度が上昇の「言葉」「単語」】
~心の中では「違和感」持ち続けているのであまり使わないようにしているが~

 普段、会話や記述等々で何気なしに使っている「言葉」の中にて、どうも違和感が拭いきれない「言葉」がある。
 その数というのは、年々と多くなってきている。

 その中の言葉・・・・。
 この新型コロナウイルス感染問題の報道などにて、よく使われる単語、言葉の中いても・・・・ある、ある、ある。

 「コロナ禍」「with コロナ」などはその代表的な二つ言葉。
 私、その使われる頻度が高まるほどに違和感が逆にたまるのであるが。
 どうも、このような言葉にすると、その言葉が「曖昧」方向にむかってしまって、なんだかその「感染の危険性、その裏側」の本質から遠のくような感じがする場合がある。
 私のような偏屈な心の持ち主は、さらに、ある人達が敢えてその「曖昧さ」を狙っていて、敢えてこのような言葉を多用しているのではと考える一面も大いにある私である。

 自分では使わないようにしたいのだが、でもでも、やはり使用してしまっている事あり、あとから「シマッタ」と反省すること多いにあり。



【「夏よおまえは」】

 ベッツイ&クリスの歌にてヒットしたなぁ、この曲もまた。


②夏よおまえは

作詞:麻生ひろし
作曲:井上かつお
編曲:青木望

唄:ベッツイ&クリス

 1970年6月1日リリース



 いいね、この歌も。




【そしてこの楽曲もまた懐かしく】

 1973年の9月21日のリリースだと記録がある。

 「帰れない二人」。井上陽水の歌。
 いいね、これがまた。


③ 帰れない二人

作詞:井上陽水、忌野清志郎
作曲:井上陽水、忌野清志郎

唄:井上陽水

 1973年の9月21日リリース




 いいな、陽水の世界・・・・。

 年々と心に染み入る、その度合いが自然と増す。
 私が老いるにしたがって、その染み入る度合いが増す。不思議だなぁ、この陽水の歌の世界。