【戦争遺跡見学】

地図から消された島に行って来ました。

島にいるうさぎも悲しい歴史を背負って生きてきました。


 【大久野島(おおくのじま)】

(広島県竹原市忠海町)

広島県竹原市の忠海港(ただのうみこう)から船で約15分。大久野島はかつて日本の化学兵器製造拠点として毒ガスの製造が行われ、戦争中は秘密の島として地図からも消されていました。

周囲4キロの島には今も発電場や毒ガス貯蔵庫の跡などが残り、当時の面影を残す戦争遺跡が残されています。


【大久野島毒ガス工場の歩み】

東京第二陸重造兵廠忠海製造所は、日本陸軍の毒ガス工場として、昭和四年に大久野島に設置され、昭和二十年終戦後米軍により破壊されました。この工場は、各種の毒ガスや、号筒風船爆弾が製造されましたが、イペリット(びらん性毒剤)の生産に重点がおかれていました。

(毒ガス障害死没者慰霊碑抜粋)


【大久野島毒ガス資料館】

この島で毒ガスを製造した過程で多くの犠牲者を出すに至った事は誠に痛ましく、その悲惨さを訴え、そして恒久平和を願う目的で1988年にこの資料館が建設されました。(配布資料より)

陶磁器製毒ガス製造器具展示場を併設。


【戦争遺跡】

研究所跡、防空壕跡、毒ガス貯蔵庫跡、長浦毒ガス貯蔵庫跡(100トンもの毒ガスが入るタンクが左右に分かれた部屋に6基置かれていた)、北部砲台跡、発電場跡、中部砲台跡等が現存しています。


【うさぎの島】

また、この小島は約500~600羽もの野生のうさぎが棲息することで知られており、うさぎの島と言われています。瀬戸内海の美しい自然の中でうさぎとふれあいながら過ごせる島です。


【実験動物だったうさぎ】

ただし、当時ウサギは自由に跳び回るのではなく「毒ガス製造の実験動物」だったのです。現地のボランティアガイドは、「『ウサギ島』と呼んでほしくはありません。観光PRには大切かもしれない。でも大久野島は国立公園であり、悲しい歴史を学べる場でもあります」と語っています。