萩を散策。

【吉田松蔭の墓】市指定史跡
吉田松陰の墓は、松陰誕生地に隣接し、団子岩とよばれる小高い風光明媚な場所に建っています。
この墓所には、杉百合之助、吉田大助、玉木文之進、久坂玄瑞など一族の墓のほか、門人の高杉晋作などの墓もあります。
吉田松陰(1830~1858)

【吉田松陰誕生の地】市指定史跡
天保元年(1830)に家禄26石萩藩士杉百合之助の次男として松本村で生まれました。誕生地は護国山の麓の萩城下を一望できる「団子岩」と呼ばれる高台で、風光明媚な所です。
 現在ここには、当時の間取りを示す敷石が復元されています。3畳の玄関と6畳2間、3畳2間と台所、それと別棟の納屋と厩という簡素なものだったことが分かります。
誕生之地の石碑の揮毫は、松下村塾の門下生・山県有朋によるもの。文政7年に聴雨を慕って来萩した一字庵菊舎は「閑けさや樹々に聴かれよ 秋の雨」の詩を残しています。


【伊藤博文旧宅・別邸】国指定史跡
初代内閣総理大臣・伊藤博文は、天保12年(1841)熊毛郡束荷村(現在の山口県光市)の農家に生まれました。
この旧宅は、木造茅葺き平屋建ての約29坪の小さな家です。
博文は、安政4年(1857)に木戸孝允の義弟・栗原良蔵の紹介で松下村塾に入りました。
明治42年(1909)枢密院議長として満州訪問の途上、ハルビン駅頭で安重根に狙撃され、69歳でこの世を去ります。
旧宅そばには、萩焼でつくられたほぼ等身大の伊藤博文の陶像が建っています。
また、旧宅に隣接する別邸は東京の大邸宅の一部を移築したものです。

【高杉晋作誕生地】
幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地は、城下町・菊屋横町の一画にあります。当時の間取り図によると部屋数が20以上ある広大な武家屋敷でした。
現在は、南側半分が公開されており、産湯に使ったと伝えられる井戸や自作の句碑などがあります。
晋作は、天保10年(1839)に萩藩大組士、高杉小忠太の長男として生まれました。松下村塾に通い、久坂玄瑞と並んで「松門の双璧」と称されました。
文久3年(1863)に身分を問わない我が国初の軍事組織“奇兵隊”を結成。討幕戦を勝利へと導きましたが、慶応3年(1867) 結核のため、27歳と8ヶ月という若さでこの世を去ります。
高杉晋作誕生地のそばにある「晋作広場」には「高杉晋作立志像」があります。

【野山獄跡・岩倉獄跡】
江戸時代の牢獄跡で、野山獄が士分の者、岩倉獄が庶民用でした。
12室の独房が6室ずつ向かい合わせの構造で、検視小屋や刑場も設けられた。
吉田松陰が収容され、獄内で教育活動を行ったほか、高杉晋作など正義派の志士、正義派と対立した俗論党の椋梨藤太などが収容されていた。
当時の敷地の一部を保存して記念碑などが建てられています。


























































































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