令和6年1月3日(水)


東京都内にある、戦争遺跡を見学しました。


【府中通信施設・通称「府中トロポサイト」】
(東京都府中市)
ここは戦時中、旧陸軍燃料廠でしたが、終戦後に米軍が接収して「府中基地」となりました。通信施設の塔と、特徴的な2基のパラボラアンテナが骨組みだけの廃墟となり残っています。また、在日米軍施設も多数が廃墟状態となっています。
同基地は昭和50年に大部分が返還された後、国有地として財務省が管理をしていますが、基地跡は立入禁止のため、道路沿いから廃墟を望むしかありません。再開発の議論があるようですが、後世に戦争遺産として残すべきです。


【三鷹の戦争遺跡(東京都三鷹市)】
① 調布飛行場門柱

調布飛行場は昭和14年に東京府が調布町・三鷹町・多磨町にまたがる広大な敷地を半強制的に買収して造られました。昭和16年12月の太平洋戦争開戦後、陸軍が利用することになります。現在は、一部が武蔵の森公園となっています。
昭和16年の調布飛行場竣工時、正門として左右に設置された調布飛行場門柱が現在も残っています。


②掩体壕(えんたいごう)
武蔵野の森公園には、「大沢1号」「大沢2号」と名付けられた掩体壕が2基残っています。
掩体壕とは、軍用機を敵の空襲から守るための格納庫です。


※府中基地は2021年9月末、日本へ全面返還された。地元自治体は再開発利活用を計画しているようだが、先は見通せていない。(最後の画像と記事は産経新聞より)















































(産経新聞より)


(産経新聞より)



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