三連休ですね。

初日は、ベスパで走り回りましたよ。はい、護摩山の方に向かいました。雪がしっかり残っていましたよ。



つーか、路面も凍結していて、二回くらい事故りかけましたね。めっちゃ、やばかったわ。この時期は来たらいけないね。



バイカーも少なかったもんね。

常にバイカーで賑わっているイメージのあるスカイタワーも、単車一台もなかったですね。つーか、店も、トイレも閉まっていたし。きゃらさんに聞いたら、冬の間は閉まっているらしいです。



しかも、通行止めになっていました。バイカーがほとんどいない理由も解りました。



こんな季節に、ここには来てはいけないという事ですよ。一つ、賢くなりました。さて、カズシットがここに来た目的は、平維盛が隠れ住んだという伝説の村ですよ。1185年に、壇ノ浦で、源氏に滅ぼされた平家ですけど、その後、落ち延びた平家の人々が隠れ住んだという場所が、日本各地にあるんですよね。そして、和歌山から近く、奈良の端っこである野迫川村にも、そーゆー伝説があるんです。


不安しかない(笑)

人の気配がないんやから。車も、バイクもいない。だから、釣り客を何人か見かけた時は、ほっとしたよ。走っているうちに、この世と違う世界に来たのではないか?と思っていたから(爆笑)


平維盛以外にも、この地に落ちて来た人がいました。長慶天皇です。謎の多い天皇とされ、大正時代になって、初めて在位が認められた天皇です。ややこしいのは、時代が南北朝時代で、二つの朝廷があった事。長慶天皇は、南朝側の天皇で、北朝に対しては、強硬派だったらしいです。各地に伝説が残るのは、彼が南朝の味方になってくれる武将を求めて回ったからですね。野迫川村では、北朝側の追っ手に追い詰められた長慶天皇が自害したという言い伝えもあります。





一生懸命に、南朝再興のために戦い続けた天皇であった長慶天皇が没したとされる地は、全国各地にあり、墓もたくさんあるそうですが、長慶天皇という、戦いに身を投じた天皇がいたのは間違いないんだよね。僕は、貴方の事を必ず伝えますと墓前で約束しました。が、伝説が多過ぎて大変やぞ(笑)


追われた者が、勢力の再興を思いながら過ごすには、大変な山奥ですが、追っ手から身を守るには、好都合だったんでしょうね。




落石があったり(ヘルメットを直撃しました😭)、凍結した路面で滑りかけたりしながら、辿り着いたのが、平家の里ですよ。うん、苦労した。



源平合戦に敗れて、落ち延びた平維盛が、隠れ住んだという伝説が残る場所です。が、これも、長慶天皇の例と同じで、そういう伝承が残る場所が全国各地にあるみたいです。護摩山で、平家の滅亡を占いにより知った維盛が、熊野那智で自害したという話はよく聞きますが、野迫川村では、維盛がこの地で生き延びていたという話が残っています。







維盛塚にも行きました。立派な墓でしたよ。村の人には、本当に大事にされて、今に至るんでしょうね。平維盛が、どのような死に方をしたのか、それは、もう、大昔の事なんで、真実は闇の中かも知れませんが、平維盛という人物がいたという事実は間違いなく、僕は恐らく、この地に逃れて来たと思います。平清盛の嫡孫でありながら、父である重盛が病死した事で、叔父の宗盛が、平家の当主となり、継承者からは完全に外れてしまい、源平争いの戦闘担当として、戦い続けた武将。確かに、富士川の戦いで、水鳥の羽音を敵の夜襲と勘違いして敗走したり、倶利伽羅峠の戦いでは、木曽義仲に大敗したりと、武将としての能力は低かったのかも知れないけど、貴族みたいな武士というイメージの平家の中にあって、闘将であった維盛は、何となく、カッコイイよね。



紫式部の『源氏物語』の主人公、光源氏の再来と言われるくらいのイケメンだったという伝説もあります。紀州のイケメンパンクには程遠いが、ナルシストであるカズシットは、維盛の墓を背景に記念写真を撮りましたよ。



しかし、いい天気でしたね。

和歌山市は春のように暖かったそうですが、野迫川村は寒かったです。鋲ジャンは、防寒着にはならないからね。


帰り道、不動滝を見つけたので、見て来ました。道路から入って、すぐだったので。




山は、夕方になると暗くなるし、凍結もありますからね。あんまし、長居はせずに、滝は、サッと見ただけで、さっさと戻りました。色々と危険な目にも遭いましたけど、いい経験にはなりましたね。そして、長慶天皇、平維盛の二人にも会えて、本当に良かったですよ。


それでは、今日の一曲です。



やっぱり、高い場所に行くと寒いですよね。またまた、風邪が悪化したかもです。



ツーリングは、鋲ジャンはしんどいね。まあ、防御力は高いけどな🤣