桜、咲きましたね。

カズシットも、昨日、桜見て来ましたよ。ま、ついでやけど🤣



そう、キノコがメインですから。その話は、またにするとして、本日のブログは、3月30日の土曜日の事を書きますね。


さてさて、皆さん、関西にも、鳥取があるんですよ。そう、鳥取ですよ。鳥取ってのは、和泉国日根郡の郷名であり、荘園名に由来するそうです。



鳥取には、鳥取砂丘で有名な鳥取市がありますけど、和泉鳥取とは、何か関係があるのだろうか? 電車で、和泉鳥取駅を通過する度に思っていたんだけど、実は、鳥取とゆー地名は他にもあるみたいです。日本書紀に書いている話なので、事実か、どうかは解りませんが、垂仁天皇の息子に、誉津別王という人がいました。ホムツワケノミコトと読むそうです。この人物は、三十になっても言葉を発せず、子供のように泣いていたそうだが、ある時、空を飛ぶ白い鳥に興味を示し、あれは何か?と初めて、言葉を発しました。生まれて初めての言葉が「あれは何か?」って🤣 垂仁天皇は喜んで、天湯河板挙に命じ、白い鳥を捕まえさせました。あ、ちなみに、天湯河板挙は、アマノユカワタナと読みます。この人は、出雲国まで、白い鳥を追いかけて、捕らえる事に成功し、天湯河板挙さんは、天皇から、鳥取造(トットリノミヤツコ)という名前をプレゼントされたそうです。これが、鳥取となったんやね。白い鳥を得た誉津別王は、言葉を話せるようになりましたが、天皇にはなってません。天皇になったのは、ヤマトタケルの父親で有名な景行天皇です。さらに、垂仁天皇は140歳で没しています。・・・って、無理やろ(笑) だから、僕、日本書紀は嫌いやねん。話が逸れました(笑)


今現在の和泉鳥取ですけど、駅の前に、謎の鳥居がありました。



この方向に神社とかあったかな?

駅側から見ると、墓のようなものがありました。



この鳥居は、離れた場所にある波太神社遥拝するためのものらしいです。墓のようなものは、調べてみると、是徳上人の六字名号の石碑だそうです。個人の墓かな?と思って、アップでは撮ってないのね。


しばらく歩くと池がありました。

その名も、濁池。名前が悪いわ。



そして、その近くに、なむあみだぶつ号の石碑がありました。



これも、鳥居の近くにあった石碑と同じく、是徳上人の関係のものかな? ちなみに、是徳上人は、我が和歌山の直川是徳庵を建立し、その地に葬られているそうです。



前情報も持たず、思いつきだけで行動しているカズシットは、なむあみだぶつ号の石碑前を一度通過し、メチャクチャ離れてから、地図で調べて、また同じ場所に戻って来るという無駄な時間を使いました。


それから、和泉鳥取周辺で、気になったのは、事故の多さ。というのは、カズシットの怪談の一つである『フラワーロード』の如く、花が供えられている道もあるし、事故多発の文字がとにかく目立つ。その上、ゴミのポイ捨てもヤバイね。山もあったけど、状態悪い。住んでいる人は気を悪くするかも知れないけど、残念な町だなと思いました。和歌山も、残念な町には変わりないけど、まだ、マシかな?と(笑)


せっかく歴史ある町なんだから、もっと大事にしてほしいよね。とくに、車だよ。乗っているヤツ、全員、ヤンキーか?と思ったわ。人に優しい運転しようよ。狭い道でスピード出したりするから、事故多発するんだと思うよ?



正直、隣駅の山中渓ほど、魅力は感じなかったです。けど、それは、カズシットの個人的な感想ですので。もう少し、自分の街を愛してほしいな。初めて、訪れた人が、もう一度来たくなる町がいいですよね。ま、和歌山も似たようなもんですけど😂 未だに煽り運転する事が、カッコイイ❤️と思ってるアホ、たくさんいますからね。ダサい話ですわ。