お待たせしました。
亀池ブログの続きになります。前回は、コケとか、キノコとかの写真を貼りまくり、興味のない人にはスルーされたはずのブログ(笑)ですけど、今日は、亀池の歴史なんかも紹介するから、さらに、スルーされるブログになる事でしょう。
いきなり、キノコを撮影しているカズシットの写真から始まってますけど、この日は、カズシット、亀池に、コケを見に行ったんです。結果として、色々と見ましたけどね。ホコリタケが多かったな。
さて、亀池ですけど、造られたのは、江戸時代になります。
1710年に、井沢弥惣兵衛によって造られました。ため池としては、和歌山県で最大級の池です。
井沢弥惣兵衛は、元々は豪農の出身でありながら、二代藩主、徳川光貞に、召し出されて、勘定方に就任し、徳川吉宗が紀州藩主になった時には、紀ノ川流域の新田開発で活躍した人。徳川吉宗が将軍となってからは、井沢弥惣兵衛も江戸に行き、引き続き、新田開発に尽力したそうだ。
亀池は灌漑用の池として造られ、付近の村々の田畑で、米が1300キロリットルも出来るようになったそうです。約7000人分ですね。
しかも、この広大な池を、55000人という人数で、3ヶ月で完成させているんだよな。あんな道具も不十分な時代に。やっぱ、昔の人はすげーわ。
亀池の名物といえば、吊橋なんですよね。
中島にある徳川家の別邸である双青閣に向かうには、この吊橋を渡るしかないのです。
紀州★カズシットは、高所恐怖症です。吊橋は苦手な方です。ですが、渡らないと先に進めないのであれば、渡るしかないでしょう。
びびりながらも渡り切りましたよ。ここまで来たら、戻る方がキツイもんね。人間、何とかなるもんやね。
現れたのは双青閣です。
残念ながら、中には入れませんでしたが、徳川家の別邸です。徳川頼倫が、徳川入国三百年を記念して、大正9年に、和歌浦東照宮の下に建てたもので、昭和43年に、ここに移築されました。
立派な建物なんですけど、中に入ってみたかったな。アッコさんは何度か入った事があるみたいです。
この別邸を建てたという徳川頼倫ですが、明治の生まれなので、武士としての徳川家の人間ではありませんね。渋沢栄一や、南方熊楠とも交友関係があったそうです。
南葵文庫の設立者でもあります。息子の徳川頼貞は、音楽資料コレクターとしても有名ですよね、カズシットも、一度だけ、勉強会に参加させてもらった事があります。
海南の名所であります。が、ここに来たという事は、また、吊橋を渡って戻らなければならないワケです。池の中にある中島だから、戻るしかないんです。というワケで、再び、恐怖の時間でございました。
まあ、吊橋苦手な人にはキツイかも知れないけど、亀池はいい場所だと思いますよ。散歩されている人もたくさんいました。井沢弥惣兵衛が造った亀池は、これからも、大切に守られていくんでしょうね。また一つ、海南が好きになりました。














