11月は、色々とあり過ぎたな。あまり、よくはなかった。2023年では、一番、良くないだったかもな。パンクと、メダカと、キノコに救われた月でしたね。


12月最初の週末は、1日の金曜日の夜から始まった。久々に訪れたモコモコミュージアムだ。久しぶりという感じはしないけど、久しぶりみたい🤣


出迎えてくれたのが、こいつ↓でした。



春雨君の作品らしい。呪物展に並んでいそうだな。普通に怖かったぞ🤣


そして、食したのは、こちら↓です。



パイです。美味かったなあ。カズシットの好きな味。そんなパイのお供は、もちろん、コーヒーなんだけど、この日は、五杯も飲みましたよ。バカか?🤣



締めのアイスコーヒー↑です。風神のグラスがいいよね。コーヒーも美味しかったけど、ここでの時間が、カズシットを元気づけてくれましたね。本当、ここの雰囲気が好きです。酒飲まなくても、楽しいです。



結局、閉店まで居座ってしまいました。リンキンパークのコピーバンドの動画を鑑賞しておりました。春雨君のオススメで。


さて、次の日の土曜日。

朝四時半からジム。腰痛も、随分と治って来たから、腹筋メニューを追加する。60回連続でやって、悶絶する。何事も、段階を踏みましょう。そんな筋トレから始まった朝だが、昼には、別の試練が待ち受けておりました。やって来たのは、ラーメン屋の神座です。



そう、こいつ↑を食するために。

そして、こいつが、激辛だと聞いていたから、備えもしっかり。まずは、炒飯。




これがないと、マジでヤバかったぜ。じゃじゃーん❤️と登場。見るだけでも辛そうでしょ?



これを見た瞬間、時が止まってしまったカズシットでございました。



そんなリアクションを見て、店員が笑ってました。とんでもないもんを注文してしまった!と思ったけど、ここで、リタイアするとか、ダセーから、最後まで食べましたよ。もちろん、完食でございます。



顔の表情は、ヤバイ事になっているので見せられませんが、辛くても、美味しかったですよ。んー、辛さで言ったら、今までで一番かも知れませんね。


まあまあ、ボリュームあったので、昼間もウォーキング。近所の史跡巡り。実は、我が近所も、なかなか、歴史が深いエリアなんですよ。鷹匠が住んでいたと思われる鷹匠町から吹上の方に進むと、こーんな石碑を発見。



高校時代の通学路なんで、いつも見ているはずなんだけど、足を止めて見たのは初めてかな。延命院墓地の裏の方にあるんだけど、何書いているのか、全く解らないなあ。


我が母校の近くの公園にも行ってみました。



これ自体↑に、もう、歴史を感じてしまうんだけど、この場所、実は、現在の和歌山工業高校があった場所らしいです。



この辺の歴史も調べてみると面白そうです。ブログを書くにあたり、色々と調べておりますが、和工と、和歌山第二工業高校(通称和二工)が合併した光風工業高校という存在も明らかになりました。んー、知らねー事、多いなあ。



はい、不審者のカズシットです。吹上の周辺は、金持ちの豪邸が多いので、カズシットのような人間がうろつけば、不審者になってしまいます。職質の多くは、大体、この周辺で喰らいましたね🤣


和歌山人には聞き慣れているであろう、堀止という地名。



この名前にも由来がある。

1651年に、由井正雪の乱という事件が起こり、その幕府転覆計画に、紀州藩主、徳川頼宣も関わっていたのでは?と疑われる事になったんですね。そのため、新たに作ろうとしていた堀の工事が中断。ややこしい事をしたら、幕府にさらに疑われるので、堀を作るのを、ここで完全にやめてしまったそうです。だから、堀止という地になったと。


この周辺には、今も残っている古い家がたくさんあります。今回は二軒見て来ました。まずは、三尾家住宅です。



天保12年に建築された家です。有形文化財に登録されております。それから、続いて向かったのは、木綿家住宅です。



こちらも、有形文化財に登録されており、昭和15年に建築された家です。こんな身近にも、史跡はあるんですよね。


もっと見たかったんですが、辛いのを食べる腹痛になるカズシットは、史跡よりも、トイレを探す事を優先しなければならなくなり、この場を離れる事になりました。


和歌川のトイレに駆け込んで、難を逃れたカズシットは、しばらく、紅葉を眺めておりました。紅葉は、夕焼け時が最高ですよね。




和歌川は、戦国時代に、織田信長と、我が先祖、雑賀衆が争った地。死の川とゆー不名誉な名前がついた時代もありましたが、今の和歌川は、随分と綺麗になりました。




結局、腹痛は、夜まで続き、八時過ぎには布団に入る事になったカズシットでございました。たまには、そんな休日もいいでしょう。