月曜日の話です。

樫井の古戦場にて、塙団右衛門、淡輪重政、坂田庄三郎の三人の武将の墓を巡った日です。





ここから、羽倉崎の駅まで歩き、さらに、そこから、りんくう周辺に向かいました。目指す目的地は、泉佐野ふるさと町屋館です。



この地図を見ると、まあまあ、歩き回っているのが解るでしょう。この時点で、二時間以上歩いていましたね。りんくうタウンなんか、車や電車で行く場所というイメージありますが、確かに、そうですよね。歩くには、なかなか適さないね。



遊歩道はあるんですけど、周りに自動販売機がないんです。しかも、車がよく走る場所だから、とにかく暑いんです。北斗の拳のケンシロウの初登場みたいに、水を求めたくなるくらいに。この状況で、自動販売機が、どこまで歩いても、見つからないという現状は、生命の危険すらありますよ。



こんなの↑は、よくあるんですけど、自動販売機を、僕は求めておりました。やっと見つけた時は、砂漠の中にオアシスを見つけたようなテンションでした。



しかし、すぐに飲み干してしまう。北斗の拳の世界では生き残れないヤツかも。食事は我慢出来ても、飲み物を断つのは辛いです。


容赦なく照りつける太陽の下をひたすら歩く。ようやく、到着。何となく涼しそうな場所でした。



いきなり出て来たのは、こーゆー建物。覚野兵蔵家屋敷の米蔵です。





この辺りには、豪商がたくさんいたそうですが、中でも、すごかったのは、食野でしょうね。大名に借金踏み倒されていなかったら、日本で一番すごい豪商になっていただろうな。


ちなみに、泉佐野ふるさと町屋館は、旧新川宅でした。元々、醤油作りで栄えた家だったそうです。



だけど、ここ↑で聞いた話は、ほとんどが、食野の話でした。新川家は、醤油作りから、呉服屋になったり、色々と商売を変えてゆく過程で衰えていったそうです。そして、話題の中心となった食野家ですけど、住友などよりも富がある豪商だったにも関わらず、幕末には没落してしまった。それは、大名への貸金が返済されなかった事が原因だったみたい。かき氷を食べながら、ずっと、伝説の豪商、食野家の話を、なぜか、新川家で聞いておりました。うーん、盛者必衰やね。


あ、食野家の話で、ほとんど、終わってしまったけれど、この新川家も、すごい家でしたよ.歴史においても、こんなの↓があったり、



すごいんだけど(描いた人は不明らしいです)、今も、色んなものが、ここには集まって来ます。例えば、これ↓とか。



天正時代のものらしいです。織田信長がいた時代にあったものです。が、邪魔やから持って来られたと言ってました(笑)


こちら↓は、食野家が借金した山本家にあったものらしいです。



立派な彫刻だよね。つーか、当時、大金持ちだった食野家が、なぜ、借金したんだろうな。その辺りも謎やね。借用書も見せてもらいました。借用書が山本家に存在していたという事は、この借金は返済されていないって事ですね。何があったんだ? 食野家‼️


あと、この二つは、最近のものです。




んー、楽しかったね。

一時間以上は、ここにいたかも。泉佐野の本当の姿を見たような気がしました。





しかしね、佐野町場は、まだまだ奥が深いみたいです。この時点で、四時を過ぎていたので、これ以上は探訪を続ける事が出来なかったんです。地図をもらったので、またまた、ここにはやって来るでしょう。



これを手に、もっと、もっと探索したいですよね。今回は二つばかり、面白いものを見て来ましたよ。まずは、こちら↓です。



元銀行跡にあるのは、お多福石です。解りますか?



これは、ちょっと、怖いけどね。お多福の顔が、浮き出ているのが、解るでしょう?



明治28年に設立された泉陽銀行の、初代頭取、山本藤部の屋敷内の金庫蔵に刻まれた彫刻です。


それから、こちら↓ですね。




いろは蔵という土蔵へ、荷物を運ぶ労働者達の船待ち場が、ここにあったそうです。そして、この石は、力石と呼ばれ、労働者達の遊びや、鍛錬などに用いられたそうです。150キロを、遊びで持ち上げるんだから、当時の労働者達の怪力には、驚きしかないですね。


この二つ以外にも、面白いものや、興味あるものが、まだまだ、たくさんあるので、今度は、こちらをメインに、どんどん深掘りしていきたいですね。


それでは、本日の一曲ですね。



世の中って、いっぱい、知らねー事があるから面白いよね。これからも、どんどん、色んな事に興味を持ちたいです。泉佐野は、また、近々行きます。食野家の史跡も、たくさん、ありそうだし。