イラつくぜ。
動画が、なかなか、貼れない。
ウクレレを触っている時は、非常に機嫌がいいんだが。
カズシット、昨日も、色々と行って来ました。まずは、九度山に。
まあ、去年もブログに書いたんで、説明はしないですけど、これが、九度山の春の名物です。
それから、九度山のダチも紹介しよう。
彼も、過去にブログに書いた事があるので、詳しく説明はしません。このタイムトラベラー?のロン毛イケメン↓が、大正時代に作ったものです。
まあ、変わり者と呼ばれていたそうだから、僕とは気が合いそうですね。うん、天才ってヤツは、存命中は評価されないものなんですよ。
九度山に行く事があれば、是非、これは見てあげてください。
それから、真田ミュージアムにも行って来ました。前にも一回行っているんだけどね。
真田昌幸、幸村父子は、徳川家康に敗れて、この地に流されていたんです。ただ、地元の人達と、真田父子の関係は良かったらしいですけどね。だから、未だに、この町では、真田昌幸、幸村は、英雄として愛されています。
真田幸村(信繁)の子である真田大助も忘れてはいけないね。九度山生まれやしね。この人物、大助という名前で知られているが、本当は、真田幸昌という名で、生存説もあったりします。若くして死んでるから、やっぱ、生きていてほしいと思う人が多かったんだろうね。
真田ミュージアムにも、メダカ↑がいました。やっぱ、メダカ愛好家は、メダカが泳いでいるのを見ると、嬉しくなるもんです。九度山メダカと称していた無人のメダカ販売店は、もう、ありませんでした。これについては、残念ですね。睡蓮鉢に、九度山メダカを考えておりましたからね。
昼食は、こちらでした。
鮎だぜ。これが、めっちゃ美味しかったのよ。お店の方とも仲良くなり、しばらく、話していました。
頭からかぶりつく人は、あまりいないらしいです。はい、骨まで全部食べちゃいました。これ、オススメです。
そして、九度山で、ラストに訪れたのは、こちら。
旧菅野家です。江戸時代に、高野山真蔵院の里坊として建立された建物です。里坊というのは、山寺の僧などが、人里に構えている住まいを意味します。この旧菅野家は、避寒地となっていたそうです。ここを、度々、訪れていたのが、大石順教尼です。彼女は、十七歳の頃に、養父に刀で斬りつけられ、両腕を失います。その後、口に筆を咥えて、字を書いたり、絵を描いたりするようになり、さらには、尼僧となり、障害者の支援に励んだそうです。大石順教尼は、この菅野家で、多くの書画を書き残しています。写真撮影はNGなんで、写真はありませんけど、カズシット、メチャクチャ感動しました。大石順教尼、とても、両腕を失った人物とは思えません。常に、ポジティブで、苦難に、立ち向かっただけでなく、自分と同じ苦しみを持つ人の支援に励み、彼らを自立出来るようにするという活動を、障害者に理解のない時代から行っていました。本当の偉人ですね。大石順教尼は、もっと、もっと知られるべき存在であるし、今の、この時代に、必要な人間だと思います。もう、故人ではありますが。大石順教尼の存在を知った事は、本当に良かったです。今回は、彼女に呼ばれて、九度山に来たのかも知れないね。そして、一つの考え方がまとまりつつあります。それについては、また書きますね。
それでは、本日の一曲ですね。
昨日は、九度山の後に、名手にも行きましたが、これについても、後日に書きますね。












