早くも、続きを書いてるぜ。
今日、土曜日も、仕事が休みになったからね。時間に余裕があるって、いいよなあ。今日は髪も切りに行けるし❤️
で、続きやね。
この日の奈良は、まあまあ、暑かった。
自転車をレンタルして、回っても良かったんだけど、最近、日常的なウォーキングも出来ていないので、歩ける時は歩かないといけないなと、歩く事にしました。駅からキトラ古墳までは、タクシーで行きましたけど、そこからは、ずっと歩き通してやりましたよ。オッサンをなめんなよ。
石舞台古墳を見学した後は、
ちょっと、いい雰囲気の通りを歩いて、飛鳥寺の方に向かいました。
こんな道をバスが走るんですから、奈良はすごいです。奈良のバスの運転手、難易度高そうだな。鹿も優先しなきゃいけないし(笑) しばらく、ウォーキングを続け、人でいっぱいの飛鳥寺には行かず、飛鳥寺の近くにある蘇我入鹿の首塚に向かいました。逆に多くの人は、飛鳥寺を目指していて、蘇我入鹿の首塚は、アウト・オブ・眼中って感じでしたね。
けど、日本史のテストには、よく出て来る人物ですよね。スルーは、ひどいんぢゃねーの?って思いました。学校の授業では、蘇我入鹿という悪人を、中大兄皇子と、中臣鎌足がブッ殺して、国を正しい方向に導いたと習いましたが、中大兄は、後に、天智天皇となり、昔の仲間だろうが、一族だろうが、自身の権力を守るために、次々と罠にハメては、粛清を重ねていく。中臣鎌足は、飢えて苦しむ民の暮らしなど、興味なしで、庭園の池に船を浮かべて、遊びまくっていたイメージの強い藤原氏の祖となった人物。蘇我入鹿と大して変わらない悪人だと、僕は理解しています。俺はあんたの味方だぜ!と、入鹿の首塚に語りかけました。
明日香村では、今も、あちこちで、発掘作業が行われています。こちらは、飛鳥京跡ですね。
カズシットが向かったのは、蘇我入鹿が倒された、乙巳の変が起こった場所である飛鳥宮跡です。板蓋宮跡とも呼ばれています。
江戸時代に描かれた乙巳の変の絵を見てみると、床が、板なのが分かりますよね?
これが、板蓋宮の名前の由来と云われています。
小学生の時に読んだ日本史の漫画では、イケメンの英雄ヅラした中大兄と中臣鎌足が、悪人の蘇我入鹿を斬り倒すシーンが描かれていましたが、まさに、ここが、その舞台です。
歴史というのは、常に勝者が記すワケで、結局のところ、本当に、蘇我入鹿が悪かったのか、中大兄たちが正しかったのかは、不明。入鹿は、私に何の罪があるのか?と叫んだと伝わる。本当に無実の罪だったのかも知れない。ただ、こーゆー事件が、ここでありましたよ!くらいしか、歴史は本当は教えてくれないかも知れないな。後の事は、自分で想像するしかないな。そんな事を思った、蘇我入鹿終焉の地でした。
今は、建物すら建っていない、この場所で、当時を想像するのは、史跡巡りの楽しみなんですよね。そう、必要なのは、想像力です。
645年、乙巳の変が起こった場所。そんな歴史の舞台に、僕は立っている。時代は変わってしまったけれど、降り注ぐ太陽の光とか、風は変わらないんだよね。あ、入鹿が殺された日は、大雨だったらしいです。
明日香村では、また、新しいものが発見されたり、それによって、今まで語られていた歴史が変わったり、これからもあるんだろうな。だから、十年後、このブログを読んだ人は、何や、これ! 嘘ばっかり書いてんじゃねー!ってなるんだろうな(笑) けど、そうやって、説が塗り替えられていくのは悪くないですよ。それだけ真実に近づいているという事だから。ん? 逆に、真実から遠ざかっている可能性もあるけどな(笑)
何にしても、また、この明日香村には来る事になるでしょう。今回、キトラ古墳の壁画の見学に来るというイベントが発生したために、明日香村を色々と回る事が出来ました。
キトラ古墳に導かれたのかも知れないですね。これで、明日香村のブログは、終わりますね。
それでは、今日の一曲。
あ、今日はね、久々に、パンクのイベントに行って来ますよ。周りの人間には、また、コロナを警戒されるので言ってないですけど(笑) めんどくせー時代だよな。























