昨日は、朝から、京都。



やって来たのは、こちらです。



有名店らしく、まあまあ、並んでましたが、ここまで来たら並んでやるぜ!と待つ事、10分くらいで入店出来ました。



んー、美味しかったね。



紀州★カズシットは、ラーメンが大好きなんですよね。ここで、しっかりと食べてから、やって来たのが、安土でした。



戦国の時代、天下統一に近づいた第六天魔王が君臨した安土城に行って来ましたよ。



そう、織田信長の有名な城ですね。




今は城はないんです。城跡となっています。本能寺信長が死んだ後に、何らかの原因で火災が起こり、焼失してしまったと伝えられています。



どこまでも続く石段。

一応、この石段は、天皇の通り道として作られたそうです。つーか、天皇に、こんなところを歩かせたらあかんやろ(笑) そして、信長重臣の屋敷跡もありました。まずは、前田利家さん。




その近所(笑)には、羽柴サル吉の屋敷跡もありました。






羽柴秀吉と、前田利家は、ドラマとかでは、友達みたいに描かれているけど、こんなに近くに住んでいたなら、一緒に酒を飲んだりもしたかも知れないなあ。と、妄想しました(笑)



↑鐘がありました。自由に、ゴーンとやれます(笑)


安土城は、織田信長の城です。信長の重臣たちの城も、墓石やら石仏やらを、石垣などに使用していますが、元々は、信長が、そーゆー事を始めたみたいやね。安土城には、たくさんの石仏が使われていました。



足元にあったりするので、踏みそうになりましたよ。表示はしてあるので、踏む事はないですけどね。中には、こーゆーの↓もありました。




マジで、神仏を恐れない人物だったんだろうね。けど、信長が築城の作業をするワケがないので、工事に関わった人の気持ちを考えると、たまらなかっただろうな。命令だから仕方なく、石仏を破壊したんでしょうね。無理だ、俺には出来ねぇ!とか言っちゃって殺された人もいたんだろうね。


武将の屋敷跡も、次々と目の前に現れます。

こちらは、武井夕庵の屋敷です。



織田信長に仕えたおじいさんの家臣として知られていますね。これ、上に行く程、地位の高い人が住んでいたとしたら、夕庵は、秀吉や、利家なんかよりも重く用いられた人物だったんだろうね。



こちら↑は、織田信澄と、森蘭丸の屋敷跡です。織田信澄は、信長の甥です。本能寺の変で、明智光秀と共謀したとして、織田信孝や丹羽長秀などに攻められ、殺されています。そんな信澄の屋敷の隣には、信長のお気に入りである蘭丸の屋敷跡があります。これを見ただけでも、蘭丸の扱いが解りますよね(笑)





↑黒金門跡。




ルイス・フロイスの日記では、安土城に火をつけたアホとして書かれている織田信雄の供養塔もありました。安土城になぜ、火をつけたかは、よく解らないんだけど、レイス・フロイスの日記に、そんな事を書かれるくらいだから、信雄は、キリスト教に好意的ではなく、ルイス・フロイスに嫌われていたのかも知れないな。


織田信長の廟所は、二の丸跡に、ひっそりとありました。




石段に何やら文字が刻まれていますけど、これ、何と書いてあるのだろうか。




この廟所は、1583年の2月に、羽柴秀吉によって建立されたそうです。



せっかくだから、織田信長の廟所で一枚。お前、絶対、取り憑かれるぞ😂 冗談抜きで、ずっと、陣太鼓と思われる音が聞こえていたんです。よく休まずに、あれだけ叩けるもんだなと感心するくらい。でもね、後で、一緒にいた弟に聞いたら、太鼓なんか叩いていたか?と。彼には聞こえていなかったそうです。めっちゃ聞こえていたけどなあ? けど、あいつに太鼓が聞こえていたなら、絶対、僕に聞いて来たはずですよね。何の音や?って。普通に怖いやろ(笑)


すごい城跡でしたよ。

めっちゃ長くなると、ブログ読む人も疲れるだろうから、続きは、また書きますね。





史跡巡りというよりは、山登りに近い感じでしたけど、戦国の世の英雄、豪傑憧れたのなら、一度は行ってみるのもいいかも知れませんよ。安土城については、もう一回、ブログ書きますので、興味のある方はお楽しみに。



城跡にはトイレはないので、入る前に済ませておきましょうね。飲み物も持って行った方がいいです。


それでは、今日の一曲。



安土城の後、彦根城にも行ってるんですよ。なかなか体力あるでしょう。しかも、日帰りだぜ。そして、これから、片男波ビーチクリーンという(笑) 45歳、カズシット、まだまだやれるぜ。