サッカーではないですよ。作家ですよ。念願の出版という夢が叶うかもです(笑) 

でも、その前に訃報です。
ヴィヴィアンの親に当たる夜桜六匹衆が、夜桜五匹衆になってしまいました。いつも、一番最後に出て来るアイツが、昨夜は出て来ない。下で★になってました。


これが最後の集合写真となりました。

この容器は、一匹増やさず、五匹のままでいきたいと思います。生まれる命あれば、死ぬ命もある。仕方ない。


んー、その事もあって、紀州★カズシットは、詩集にしようかと思う。メダカの写真と、自作の詩の組み合わせ。とか、なかなか、よろしいのではないだろうか? ★になった子たちも、そーゆー形で残しておきたいと思ったんです。もはや、自分の創作活動にまで、メダカが影響して来るレベルですね。まだ、どーゆー感じに書くのかは、決定ではないですけど、メダカの写真は使っていきたいですね。


さてさて、悲しい事があった昨夜でしたが、いい月が出ていました。



ところで、皆さんは、月にウサギがいると思ってましたか? 僕は幼い頃に、そう教えられ、子供時代は、月には、ウサギがいるんだと本気で思っていました。僕のイメージでは、砂漠のような場所に、ウサギがたくさんいるという、ちょっと、普通に、自然界にあるようなイメージですけどね(笑)



↑こんなウサギではないと信じたいですが(笑)


まあ、小学四年生くらいまで、普通に月はウサギの生息地だと思ってました。餅をついたり、二足歩行だったり、人間の言葉を話したりという、漫画的な要素はなく、ただただ、ウサギたちの楽園が広がっていると思っていたね。


けど、あれって、いつから言われ始めたのだろう。ちょっと調べてみました。


これね、インドのジャータカ神話が由来となっていました。帝釈天が、飢えた老人の姿となり、キツネ、サル、ウサギの元に現れます。キツネ、サル、ウサギは、そんな帝釈天が化ける老人のために、食べ物を探しに行きます。サルは、木の実や果物を、キツネは、魚を持って来たのですが、ウサギは何も持って来れなかったので、自ら、火に飛び込み、食料となったそうだ。つーか、帝釈天、要らん事すんな💢 帝釈天は元の姿に戻り、ウサギの慈悲深い行動を、全ての生き物に見せるために、その姿を月には映したそうだ。それが、月に、ウサギがいるという話になったみたい。マジで帝釈天、クソやんけ💢 最初から、わざわざ、そんな事せんでもいいのに。ちなみに、月のウサギが餅つきをしているってのは、中国から始まった話ですね。


メダカ愛好家は、メダカが亡くなると、メダカが★になったといいます。僕も、最近は、そうゆーんですけど、ウサギを飼っている人たちは、ウサギが亡くなると、月に帰ったというそうですよ。今でも、月と、ウサギの関係は切れていないんでしょうね。


しかし、七夕の天帝といい、今回の帝釈天といい、神の類は、ろくな事をしないんだよな。こいつらに、罰を与える存在も必要だろうと思ったりしますね(笑)


最後に、昨日、母が撮影した、ヒメダカの動画を貼っておきますね。




月夜に泳ぐヒメダカ・・・。

いいですね。まあ、僕は月のメダカといえば、月弓をイメージしますけどね(笑) けど、ヒメダカの、こんな姿をなかなか見れないので、ありがたいです。