紀伊風土記の丘って聞けば、古墳のイメージがあるでしょう?
紀伊風土記の丘には、岩橋千塚古墳群がありまして、かつての紀伊がどれほど、力を持っていたのか、知る事が出来ます。
それから、紀伊風土記の丘は、歴史とは関係なく、ハイキングコースとしても親しまれていますよね。
ただ、初夏に行くのは、あまり、オススメしませんよ。毛虫が大量に発生していて、悲惨な目に遭います。思い出しただけでも、痒みが生じるよ。
そして、紀伊風土記の丘のもう一つの魅力が、古い家が移築保存されているところでしょうね。今日のブログでは、それを、紹介したいと思っています。訪れたのが、2020年になるんで、現在とは少し変わっているかも知れないですけど、その辺りは御了承くださいね。
紀伊風土記の丘は、イノシシもよく出現するので、雨は降ってなくても、傘☂️を持っておいた方がいいかもです。
これ、意外に対策になります。イノシシが、こちらに向かって来たら、イノシシに向けて、傘を開くんです。これで、イノシシは驚いて逃げるみたいです。試した事はありません(笑)
さて、それでは、さっさと、移築住宅を紹介していきましょう。前置きが長いと読まれなくなるからね(笑) つー事で、まずは、旧柳川家住宅です。
黒江で、漆器の製造、販売をしていた家で、当主は、代々、平兵衛と名乗っていたそうです。嫌でも、平兵衛と名乗らなきゃいけない宿命だったんですね。けど、それを誇りにしていたんでしょう。
トイレ↑もありました(笑)
そりゃ、そうか。でも、皆さん、ここ、実際に使用してはいけませんよ。呪われても責任は持ちませんので。
続いては、旧谷山家住宅です。
海南の下津にあった漁師の家ですね。
下津の塩津浦は、江戸時代の海運業の要地であり、紀州網漁の基地としても栄えていたそうです。この谷山家も、代々、海運業と、網漁を中心に営んできたそうやね。
この建物は、1749年に建てられたものですね。ただ、倉が、主屋よりも、ちょっと古いようなんで、主屋だけが、1749年に建て替えられたとされています。
この旧谷山家住宅と、先に紹介した旧柳川家住宅は、裕福な家だったように思われます。ちなみに、この紀伊風土記の丘を訪れた夜に、僕は、幽霊を見ています。シャイな幽霊だったらしく、僕が目を覚ますと、さっと、逃げてしまいました。白い着物に、黒髪の女性でした。多分、旧柳川家住宅の人か、旧谷山家住宅の人でしょうね。うーん、多分、柳川家の方だと思いますけど。つーか、幽霊にしっかり気に入られているカズシット。もし、当時、僕が生きていたなら、モテたかも知れないなあ。
さて、ブログを続けます。
本日のブログ、写真がアホみたいに多いので、出来るだけ、文章は簡潔にしますね。
で、こちら↓は、移築住宅ではありませんよ。ちょっとオマケみたいな感じで紹介しますね。
これは、竪穴住居です。鳴神の音浦遺跡で発掘された古墳時代後期の竪穴住居跡を元に、復元したものですね。
古墳時代って、権力者がいたり、まあまあ、文化を持っていた時代ですけど、農民は、原始時代と変わらず、こーゆー住居で生活していたんだよね。
住めば都なんていいますけど、ナメクジが苦手な僕には、とても生活出来そうにない環境でした。
さてさて、再び、移築住宅の紹介に戻りますね。こちらは、旧谷村まつ氏住宅ですね。
有田川町の粟生という地にあった農家の住宅です。建築年代は不明との事ですが、200年前に建てられたという伝承はあるそうです。
谷村まつって、やっぱ、女性ですよね? じゃ、あの幽霊は・・、まさか? 無いですね。イメージ的に、谷村まつさんって、絶対、おばあちゃんやん(笑) あの幽霊、若かったし(笑) 全国のまつさんに先に謝罪しときます🙏
でも、この家、何となく温かみを感じたんですよね。普通、人の住んでいない家は寒いもんね。旅行なんかで何日間か、家に誰もいなくなるだけで、帰って来た時に、寒ッ🥶ってなりますもん。だから、この温かみは不思議でしたね。気温ぢゃなくて、心の方の温もりですよ? 多分、まつさん、そこにいますね?
この家が建っていた粟生という地は、林業が盛んで、シュロやハゼの生産を行っていたそうです。シュロは、ヤシみたいな植物で、縄として古くから利用されています。それから、ハゼですけど、木蝋として使われていたり、ハゼ餅として食されてもいたそうです。
一生懸命に働くまつさんの姿が目に浮かびますね。まあ、イメージは、おばあちゃんですけど(笑) しかし、何つーか、働くための家みたいな感じだよね。そんな遊び回る事もなく、ただ、生涯、働き続けたんだろうな。そんな中に、幸せとかもあったのかもな。
たまに、家に行ったら、これ、持って帰りな😀と、野菜くれたりするおばあちゃんだったのかも知れませんね。つーか、まつさん、ずっと、おばあちゃんイメージですけど、男性だったら、ごめんなさい🙏 ないとも言えませんので(笑)
やっと最後ですよ。
この時点で、読んでるヤツ、いるのかよ?(笑)って感じだけど。まあ、読者を信じますよ。読者を信じないブロガーは、ブロガーにあらず‼️ですよ。そして、最後に紹介するのは、旧小早川梅吉氏住宅です。
日高川町にあった建物で、この主屋は、250年前に建てられたと考えられています。小早川家は、家の前に、茶園や畑を持っていて、野菜や椎茸栽培を行っていたそうです。
梅吉とゆー名前から、愉快なオッサンが浮かび上がりますけど、実際は、どうだったんでしょうね? 人嫌いな爺さんだったのかも知れないし、子供を連れて、アユなんか釣っていたおじいちゃんだったのかも知れないし、家だけを見て、色々と想像するのは、楽しいね。
それに、ここに、梅吉さんもいますね。確実に。つーか、いてほしいよね。谷村まつさんと、小早川梅吉さんがお互いの家を出入りしていたら、すげえ楽しいだろうな。そんな事を考えちゃいました(笑)
茅葺きの屋根は、風雨によって傷んでしまうので、二十五年から、三十年ごとに、葺き替えられるそうです。運が良ければ、その工事を見る事が出来るでしょう。
そして、これ↓が、移築前の小早川家住宅です。
ちょっと拡大して貼っておきますね。
熊やイノシシと近所で遭遇しそうな場所ですよね。まあ、カズシットには、生きていく自信はありませんね(爆笑)
けどさ、いいよね。昔の家って。
史跡というのは、昔の人の息遣いを感じたりして、心が、すごくホットになったりするんですけど、移築住宅は、さらに、ホットになるよね。なぜなら、この家々が、特別、歴史的に何かをやらかした人物の家ではなく、我々と同じように、毎日毎日を生きていた民の家やからね。その当たり前の日常が、温かく感じるんだろうね。
紀伊風土記の丘は、まだまだ、これからも行く事になるでしょうね。何回見ても、新しい発見があるんですよね。だけど、シャイな幽霊を連れて帰って来てしまうかもです。あのよー、あんた、さっさと逃げちまったけどよ、夜中に、目覚まして、見知らぬ女が、腹の上に座っていた僕の方が、本当は逃げたいくらいなんだぜ。言いたい事があるなら言いなさい。その代わり、寝起きで、いきなり、バーン‼️は反則な。あれ、マジでビビるから。せめて、夢の中にしてね。僕はあんたに敵意ないから。柳川家の人だよね? それとも、若き日の谷村まつさん? 女装した梅吉だったなら、しばくよ💢(笑)















































