歴史というのは面白いもんで、偉大な父親の後継者となった息子が、残念というパターンがよく見られる。今、大河ドラマに出て来ている藤原泰衡なんかが、いい例やね。判断をミスったために、父親である藤原秀衡の代まで、勢力を持っていた奥州藤原氏を滅亡させてしまった。武田信玄の後継者の武田勝頼も、頑張ってた方なんだけど、父親である信玄みたいにはやれなかったし、織田信長の二人の息子も、豊臣秀吉に全て持って行かれてるしね。まあ、嫡男だった織田信忠が死んだから仕方ないけどな。そして、そんな豊臣秀吉の後継者となった、豊臣秀頼も何となく頼りない感じだし。


しかしね、中国の歴史に残るバカ息子は、これよりも、分かり易く、バカさのレベルも高いんです。今日のブログは、そんなバカ息子達を紹介していきますね。


まず、最初は、夫差ですね。この人は、呉の国の王でした。夫差の父親の闔閭は、暗殺によって、呉王となったものの、孫武伍子胥を用いて、呉国を一大強国へと成長させた人物です。ただ、ちょっと調子に乗り過ぎていたのか、孫武達の意見を聞かず、に攻め込んで、敗死してしまうんです。闔閭は、息子の夫差に、越王勾践への復讐を遺言し、夫差は、薪の上に寝て、体に痛みを感じる事で、勾踐への復讐を忘れないようにした。



そして、越との戦で、ついに、勾踐を追い詰めた。今こそ、父親の遺言を果たす機会という時に、夫差は、勾踐を許してしまう。伍子胥は勾踐を殺すべき!と言ったんですが、越から賄賂をもらっていた伯嚭の進言を受け入れてしまったんですね。その後、夫差と、伍子胥の関係は悪化。伯嚭が、要らねー事を、夫差に吹き込んでいたそうです。いつの時代も、こーゆークソはいますよね。結局、伍子胥は夫差により、自殺を命じられてしまいます。越からは美女まで送り込まれており、夫差は骨抜きにされていたといいます。結果、国力を取り戻した越に、呉は滅ぼされてしまいました。夫差は、伍子胥に合わせる顔がないと、顔を布で覆って自決したそうです。ちなみに、伯嚭は、悪い家臣の見本として、斬首されたそうです。賢臣より悪臣を用いたための破滅ですね。


次に紹介するのは、胡亥です。皆さんは、秦の始皇帝くらいは知ってるでしょう? 中国を統一した偉大なる皇帝ですよね。まあ、その後は、不老不死になろうと、水銀を飲んだり、ヤバイ世界に行ってしまってますけど(笑) そんな始皇帝の後継者だったのが、胡亥です。



始皇帝の末子でありながら、後継者になったのには、最初から、この若き皇帝を操ろうとする黒幕がいた事が容易に想像出来ます。そんな連中の中で、最も上り詰めたのが、宦官の趙高でした。胡亥は、まさに、操り人形となりました。趙高は邪魔な人間を次々と消していく。その中には、秦王朝の支柱となるはず蒙恬などもいた。趙高は、胡亥を即位させた共謀者の李斯をも死に追いやる。ある時、趙高は、馬を献上すると言って、鹿を連れて来た。胡亥は笑って、これは鹿ではないか!と言ったが、周りの部下達が、みんな、趙高を恐れて、見事な馬ですなあ!と口々に言い始め、その場は、まさに、クレイジーワールドとなる。この時に、鹿を、鹿だと言った、クレイジーワールドに入らなかった人々は処刑された。これが、皆さんが人生で必ず口にするであろう、馬鹿というワードを生み出すに至った。そして、最終的には、胡亥も邪魔になって来たらしく、趙高に殺されてしまった。趙高は、次の傀儡を、子嬰にしようとしたが、子嬰は、胡亥より賢かったようで、逆に殺されてしまった。しかしながら、胡亥と、趙高により、メチャクチャになった秦王朝は、子嬰にはどうする事も出来ず、項羽や劉邦らにより滅ぼされた。中国全土を統一するという偉業を成し遂げた始皇帝の全てを無にしてしまった胡亥は、現在においても暗君として有名やね。


さて、最後に、紹介するのは、劉禅ですよ。まだ疲れてない? 大丈夫?(笑) 書いている本人が疲れて来てるんやけど?(爆笑) まあ、劉禅について書きますね。まずは、皆さん、三国志は知ってますか? 中国の歴史で、一番人気があるよね。ゲームやアニメ、漫画、小説、映画、ドラマ等になっていますよね。僕は三国志はNHKの人形劇から入ったんですけどね。そんな三国志の名シーンの一つに、趙雲子龍というイケメン武将が、赤ちゃんを抱いて、敵の中を突破したというのがありますが、その赤ちゃんこそが、劉禅なんですよね。



劉禅の父親は、三国志演義前半の主人公でもある劉備玄徳です。貧しい民から、どんどん、のし上がり、蜀を建国し、皇帝にまでなった人物です。しかし、義弟である関羽、張飛の仇討ちとして呉国を攻めている時に病に倒れ、白帝城で没します。この時、劉備の後継者となったのが、劉禅。当時、十七歳でした。ただ、劉備は、息子に、不安を持っていたようで、最も信頼している諸葛亮に、もし、劉禅がダメなら、お前が蜀の主となれ!と遺言しています。しかし、諸葛亮は、国を奪う事なく、臣の立場で、劉禅を補佐し、魏国と戦い続けました。この時は良かったんですね。ところが、そんな諸葛亮も、病没します。ちょうど、その辺りから、黄皓という宦官が、劉禅に引き立てられた。こいつが、滅亡へのカウントダウンとなった。黄皓は、力を持つようになり、気に入らねー奴を左遷したりするようになる。劉禅の弟、劉永もその一人だ。また、魏軍と戦い続けている姜維からの援軍要請を無視し、劉禅には、敵は来ない!と伝えていた。劉禅は酒と女に溺れ、国に迫る危機を知らずにいた。結果として、姜維が魏国と、まだ戦っているのに、蜀そのものが、魏国に降伏する事となってしまった。三国志演義では、国を滅ぼした元凶として斬首された黄皓だが、実際は賄賂のおかげで、生き延びているみたいだ。劉禅は魏に送られ、安楽公として、65歳まで生きた。ある宴席で、魏の司馬昭に、蜀は恋しくないですか?と聞かれた劉禅は、笑顔で、ここは楽しいので、蜀を思い出す事はありませんと答えたという。元蜀臣も含め、皆が唖然としたそうだ。三国時代の蜀将たちを祀る武侯祠に、劉禅の像が作られる度に、ブッ壊されるそうで、劉禅は今でも嫌悪されているみたいだ。幼名の阿斗から、阿呆(アホ)というワードが生まれたともいう。


このように、中国史における三人のバカ息子を紹介して来ましたが、皆さんは、この中では、誰がマトモに思えましたか? 僕は、呉王夫差ですね。散り際が、他の二人よりもカッコ良かったからね。一番嫌いなのは、劉禅ですね(笑) 僕、三国志ファンなんで、蜀を滅亡させた劉禅に対するイメージは悪いです。横山光輝氏の漫画『三国志』に登場する劉禅とか、マジで、ぶん殴りたくなりますもん(笑)


しかし、共通点はありますよね。そばについている悪臣の影響は、メチャクチャあるよね。夫差に仕えた伯嚭、胡亥に仕えた趙高、そして、劉禅に仕えた黄皓。この三人が、主を暗君にし、国を滅ぼした元凶ですよね。そして、こんな悪臣を重く用いてしまった主君自身が一番悪いのではないだろうか。


そして、こちらは、日本。戦後の混乱期を生き、渡米して、農業を学び、帰国後は、超仕事人間として頑張った男の息子が、まさに、これ↓ですね。



今回、紹介した中国史における、三人のバカ息子と同等の親不孝者ですが、このような見かけによらず、超がつく程の歴史好きであります。三国志の話も、歴史の話も、たくさん持ってますんで、また、色々と、ブログに書きたいと思っています。それでは、皆さん、素敵な日曜日をお過ごしください。