四国は何回も来ているんだけど、宇和島は来た事がなかったんですよ。2020年の家族旅行の際、初めて訪れたんです。



↑オレンジフェリーでのカズシット。



フェリーの部屋は良かったんだけど、携帯が圏外で、使えませんでした。だから、超暇だった。家族で乗船しているんだけど、僕だけ離れた場所にある個室でした。幽霊の類でも現れてくれたら、暇つぶしになったんだけど、そんなのも現れないし、マジで暇だった。


この旅行は、三日間、四国で泊まる感じだったんだけど、宇和島は一日目てした。宇和島と言えば、闘牛が有名なんですけど、牛鬼も、また、有名なんですよ。



悪霊を追い払うんだってよ。

まあ、確かに、このいかつさなら、悪霊も逃げていくだろうな😄


そして、宇和島と言えば、宇和島城でしょう。城ファンの皆さん、お待たせしました😄 またもや、テキトー(先に言っとく😅)な城ブログです。



宇和島城は、藤堂高虎によって、1596年に築城されました。また、藤堂高虎か!(笑) ま、仕方ないでしょう。全国の二十以上の城に関わってるんだから。まさに、築城名人ですね。



そんな藤堂高虎が、築いた城ではあるけど、実は元々は、愛媛を舞台に海賊を率いて反乱を起こした藤原純友を追討するために築かれた砦なんですよ。それが、室町時代になって、板島丸串城となる。




↑なかなか、しんどかった(笑) 石段も、あまり、優しさがなかったのは、まさに、戦を想定した城だからだろう(笑)


板島丸串城は、西園寺氏のものとなっていたが、豊臣秀吉の四国討伐で、伊予国は、小早川隆景の所領となる。そして、1595年に、藤堂高虎が入城し、板島を、宇和島と改め、その翌年に、宇和島城を築城するんだよね。



↑宇和島城の給水源だった井戸丸です。


宇和島城は、1614年に、独眼竜政宗として有名な伊達政宗の息子、伊達秀宗が入る。その後、宇和島伊達家が、幕末まで、宇和島城の城主となるんです。




そんな歴史ある城ですが、さすがに、天守閣まで上がるのは大変だった。現代においても、攻めさせない城。さすがは、築城名人、藤堂高虎の作品だ。





ここを、あの時代に実際に攻めていたら、苦労するだろうなあ、とか考えちゃいますね。まあ、元々、藤原純友の乱を鎮圧するために、橘遠保が砦を築いた場所だし、戦には、いい条件の場所だったんだろうね。



今残る天守閣は、伊達氏時代に建築されたものです。日本にとっては、マイナスでしかない太平洋戦争でも、天守閣は焼かれずに済んだ。



山の上にあるので、見晴らしはいいですけど、繰り返しになるけど、この城は疲れましたね。そーゆー顔↓をしてますね(笑)



さて、天守閣の中に入ってみよう。

まあ、昔のままの天守閣なので、入る価値はありますよ。



↑この写真、お気に入りです。ザ・天守閣って感じがするでしょう(笑)





天守は、重要文化財になってます。

この天守閣は、宇和島伊達氏が城主になった時以降のものです。二代目の伊達宗利が、1661年から、城の大改修を行い、その時に建築された天守閣ですね。藤堂高虎時代の天守閣も、自然の岩盤に建つ天守閣だったので、それも、それで見てみたかったけどな(笑)





昔から残る城って、階段が急だったり、段差が高かったり、怖いのよな。これ、天守閣内に入った敵を想定しているとか言う人もいますけど、味方にとっても不便なので,それはないでしょう。昔の日本の家ってのは、城に限らず、こーゆー階段だったのかも知れないですね。




宇和島城は、幕府の隠密にも、調査出来なかったそうだ。宇和島城の城山に潜入出来ず、正確な城の縄張りが掴めなかったそうだ。隠密は、周辺を歩き回って、城の形を、四角形と推測したが、実際は五角形であり、完全に、隠密は、錯覚したようだ。これは、築城した藤堂高虎によるカラクリで、空角の経和(あきかくのなわ)と呼ばれている。また、抜け道なども存在している。


歴史的有名人としては、藤堂高虎だけではない。明治の時代に、活躍した伊達宗城も、この宇和島城の主だった。宇和島藩8代藩主です。大河ドラマにも出て来ましたね。



まあ、いつもながら、中途半端な城ブログですけど、お許しください(笑) 二年前の記憶をたどって書いているんで、重要なものを見ているのに、写真しか残っておらず、埋もれてしまっているといったものもあるでしょうね。それについては、城ファンであるなら、自分で行ってみてくださいね🖤


宇和島は、愛媛出身の父が言うには、超田舎だという事でしたが、栄えてましたよ。





観光客にはウケるスポットなのは間違いないですよね。それは、愛媛県全体に言える事ですけどね。


ホテルの部屋も、フェリー同様、僕だけ一人でした。



窓からは、が見下ろせるという、鉄道ファンなら喜びそうな部屋ですね。まあ、僕は鉄道ファンではないんだけど、それでも、楽しかったですよ。



しかしね、宇和島って言えば、海の幸ですよ。まあまあ、値段はしましたけど、夕食は美味しかったなあ。



酒を飲んでいる時代なら、これ、完全に飲んでましたわ(笑) 代わりに、食後のコーヒーを死ぬほど飲みましたよ(笑) そして、酒を飲まないのに、夜になると、ホテルの外に出たくなるんですよね。夜のお散歩というヤツです。



↑牛鬼かな?



↑牛鬼ですね。宇和島では、牛鬼はマジで大事にされています。



↑融通会所の跡です。第七代藩主伊達宗紀が物価の統制を図ろうとして、設立したんですよね。



↑まだ、コロナ禍が本格的に始まってなかったんだけど、宇和島は、和歌山と同じく、夜は眠るみたいです。お互い、眠らない街、東京の真逆。親しみを感じましたね。



↑オシャレなお店。



↑ロックなお店。


一時間くらい歩いたかな。地元和歌山でも、不審者ですけど、四国においても、同じですよね。しかしね、パトカーに遭遇したけど、声はかけられていませんよ(笑) だから、和歌山よりは不審者レベルが低いのかも知れませんね。ハードコアっぽい人に遭遇しないかな?と、ちょっと期待していたんですけど、そんな人には全く遭遇しませんでした。その点は残念でした。



知らない町に行って、知らない人に会い、知らない世界を知る。僕のように、ガキみたく好奇心が強い人間には、こーゆー遊びは、本当に向いてるよね。別に知らない町でなくても、知らない人と話すのが好きなんだよね。僕には、日本人の多くが持つ差別的な感情は一切ないんでね。こーゆーもん、必要ないですからね。


あーあ、また、何処かに行きてーなー。家族旅行もいいなあ。まあ、家族旅行だと、僕の役目は、これ↓ですけどね(笑)



↑車椅子押す係(笑)


まだまだ、行きたいところは多いですよ。早くコロナが落ち着いて、また、気軽に旅行に行ける時代が来ればいいなあ。ま、とりあえず、宇和島のブログは、これで、終わっときますね。今日も読んでくれて、ありがとね。