和歌山には、岡公園ってゆー公園がある。ゲイの人たちの出会いの場という、そんな場所でしたね。中には、強引なのもいて、ナンパされた友達もいます(笑) さらに、ヤバイのもいて、ナイフで切られた友達もいます。治安は良くないです。いつの間にか、交番がやって来ましたから(笑)


そんなデンジャラスな場所だからこそ、パンクバンド時代は、写真撮影場所に使った事もあります。




そんな悪いイメージのある公園ですが、昼間はめっちゃ平和です。ただ、今日のブログは、岡公園についてのブログではないです。岡公園に隣接している史跡の一つである武家屋敷について書きます。


ちょーど、武家屋敷の裏側には、カミソリ大臣と呼ばれた和歌山の偉人、陸奥宗光の銅像があります。



紀州★カズシットが好きな歴史上の人物の一人ですね。この人は、明治からが有名ですけど、武士時代も、なかなか面白いですよ。坂本龍馬が暗殺された時は、暗殺の首謀者を、紀州藩士である三浦休太郎であるとして、襲撃し、新撰組と激しい戦いになった。これは、天満屋事件として有名だ。



↑武士時代の陸奥宗光。


けど、今日のブログで紹介する武家屋敷は、陸奥宗光とは一切関係ありませんので(笑)、あんまし、陸奥宗光の事を書いてしまうと、ブログのテーマが変わってしまうので、この辺にしときましょうか。


そして、武家屋敷。

これは、正確には、武家屋敷の長屋門なんです。屋敷の周囲に、家臣や使用人を住まわせる長屋をそのまま、門につなげた感じですね。これ、和歌山の唯一の生き残りなんですよね。しかも、海鼠壁って、めっちゃ、ハイレベルなんです。格式が高くないと使えなかったそうです。



この長屋門、元々は、和歌山城の西側にあったそうだ。その辺りは、武家屋敷が多く並んでいたらしい。明治になって、この長屋門は、陸軍少佐であった白樫甚一という人が、堀止東に移築したんですよね。結果として、それにより、昭和の空襲から逃れる事が出来たんです。数多くあった武家屋敷は、焼き尽くされてしまいましたからね。あれが残っていたら、和歌山ショボイなどと言われずに済んだのに。アメリカ軍のボケが💢



そして、今の、この場所に、また移築されたんです。忙しい長屋門です(笑) けど、これね、メチャクチャ、貴重なものなんですよ。長屋門は、江戸末期の建造で、大村弥兵衛のものです。大村家は、元々は、今川義元に仕えていた一族だったんですけど、桶狭間の戦いで、織田信長に、今川義元が討たれてしまうと、徳川家康の配下となるワケです。そして、徳川頼宣が紀州入りした際、一緒について来たんですね。9代目の大村高行は、10代藩主の徳川治宝に重用されたそうです。


長屋門は、家臣や使用人が住んでいた場所だけど、立派な住居でしたよ。




はい、普通に生活出来ます。

しませんけど(笑)



しかし、和歌山に、あの今川義元の配下だった武将の一族が、屋敷を構えていたなんて、歴史って面白いですよね。



正面から見たら、門にしか見えないけど、裏から見たら、こんな↑感じです。住めるでしょう? 住まんけど😁


ま、こんな感じの長屋門を持つ武家屋敷が、かつては並んでいたそうだから、改めて、戦争反対って叫びたくなりますね。明治維新から、和歌山はどんどん、ショボくなっていってたのに、あの昭和の戦争で、一気に、叩き落とされましたもんね。今では、近畿のオマケという扱いですから。ま、それでも、僕は、和歌山県民として、この町の素晴らしさを、こーゆーブログなんかを通じて、発信していきたいですね。


ただ、間違った情報は、発信したらダメなんで、気をつけないとね。僕は大阪の友達なんかを、和歌山城に連れて来た際、いつも、アンモナイトの化石と言って、見せてあげる石があります。



これ、あるインターネットの情報で、アンモナイトだと知り、得意げに、みんなに教えて来ました。ところが、その情報、誤りでした。つまり、僕は、誤った情報を拡散していたという事になります。これは、よろしくない事なんで、誤りを、こちらで正しておきますね。



これ、偽化石というそうです。化石のようで、化石ではない石ですね。大多数の人間に、アンモナイトの化石だぜ!って言ってしまった😂 こーゆー事もあるので、僕のブログも含め、インターネットの情報は鵜呑みにしない方がいいですよ。けど、騙すつもりはないし、それをキッカケに、和歌山に足を運んでもらえたら、和歌山県民として嬉しい限りです。まあ、自粛警察のバカヤロウがメンドーやから、コロナが落ち着いた頃に来てくださいね。


武家屋敷の長屋門は、岡公園の悪しき治安を守るためにやって来た交番のすぐ前にありますので、ご安心を😁