2月2日が、シド・ヴィシャスの命日で、翌3日が、リッチー・ヴァレンス、バディ・ホリー、ビッグ・ボッパーの三人のロックンローラーが、飛行機事故で他界してしまった日なんです。1959年の昨日ですね。



この事故は、ウィンター・ダンス・パーティーというツアーの時に起こったんです。移動手段に用いていたバスのエアコンが壊れた事が原因になったようです。ツアーメンバーに、凍傷で入院した人までいたくらいだからね。まあ、ひどい状況だったみたいです。バディ・ホリーはイライラしていたらしく、結局、彼の提案で、三人だけ飛行機で移動する事になったんですね。提案者のバディ・ホリー。風邪を引いていたビッグ・ボッパーと、それから、コインの勝負で勝って、飛行機の席をゲットしたリッチー・ヴァレンス。しかし、パイロットを含めた4名全員が帰らぬ人になるんです。飛行機は、トウモロコシ畑に墜落してしまったんです。この悲劇は、ドン・マクリーンの名曲『アメリカン・パイ』の中で、音楽が死んだ日と歌われています。長い曲なんで、時間がある時にでも、YouTubeなんかで検索して聴いてみてください。いい曲です。


確かに、1950年代のロックンロール時代は、あの事故で終わったようなイメージがあります。60年代になると、ロックバンドの時代が来ますからね。けど、パンクの意識に比較的近いのは、実は、50年代のロックンロールだったりするんです。ロックバンドは強大になり過ぎたために、若者たちの身近な存在ではなくなったんですよね。シド・ヴィシャスなんかも、50年代のロックンローラーであるエディ・コクランを愛したといいます。


紀州★カズシットも、ロックンロールは通っております。シド・ヴィシャス同様、エディ・コクランも好きだし、歌的には、リトル・リチャードが好きだったりします。容姿に全く自信がなかった若き日も、ロックンロールは特に意識しました。ロックンロールに救われたのは言うまでもない。それでは、誰が、ロックンロールというワードを世界に広めたのか、皆さんは知ってますか? それは、このお兄さん↓です。




アメリカのDJ、アラン・フリードですね。彼はラジオ番組で、黒人音楽だったリズム・アンド・ブルースを数多く紹介し、それを、ロックンロールと呼んだんですね。結果として、ロックンロールが世の中に広まったんです。黒人差別が、今よりも、まだ、クソみたいに激しかった時代だけに、アラン・フリードは攻撃されまくり、最後は、仕事もなくし、アル中になって悲しき死を迎えている。けど、この人の功績はデカイよ。音楽に対して、一切の偏見を持たなかった人物だからこそ、ロックンロールは世界全土に広まったんでしょうね。アラン・フリードには感謝しかない。同時に、今も残る差別主義はファックでしかないね。差別主義は何も生み出さない。生み出すのは憎悪だけ。クソだね。


たくさんの人々の人生に関わって来たロックンロール。そいつと出会ったばかりに、死んだ人も少なくない。けど、ロックンロールというを追っていたから、その瞬間は、すげえハッピーだったって思うし、思いたい。


 

僕もそうだ。今では、バンド熱なんか、全くないし、夜通し、ラジオはかけているけど、そこまで、めっちゃ、音楽に興味あるワケでもない。ロックが人生の全てだ!なんて言えなくなったけど、それでも、バンドで歌い、ステージで暴れていた、あの頃は、ハッピーだったと思う。ロックンロールからの贈り物は、間違いなく、最高だったよ。