2018年12月15日は、カズシットの誕生日でもありました。そんな僕にとっては、どんな祝日、祭日よりも重要な日に、ダンビラは、西成のニューワール堂で、イベントを開催しました。



このイベントは、マジで良かった。ニューワール堂でやったライブの中では一番良かった。2018年に始動した新生ダンビラビラビラの、その年内最後のライブでしたが、僕は次の年以降も、この調子でガンガンやれると確信していました。色んな意味で燃えてましたね。




ところが、この頃から、・・・いや、正確には、この少し前くらいから、酒を飲んで、悪い酔い方になるパターンが目立ち始めていた。これこそが、悪夢の予兆だったんだが、カズシットは気にもしていなかった。




みんなから、誕生日プレゼントを頂き、ずっと上機嫌で酔っ払っていました。西成、楽しいなあ❤️って感じでした。





誕生日の夜に、ライブをやる。しかも、自分たちのイベント。全てが、自分の誕生日に重なっていて、この日は、自分のためだけの日と勘違いするくらいになっていたのを覚えています。



↑ビリケンさんから頂いた絵。


ライブも、好調でした。ライブの良し悪しは、自己満足の観点から言えば、機嫌が良ければ良いほど、キマリやすいです(笑)






ちなみに、このライブから、ダンビラビラビラをやめて、ダンビラという名になっています。ダンビラビラビラ→ダンビラの改名案は、旧ダンビラビラビラ時代から出ていました。しかし、いもとまさや氏と、マネージャーが反対したのです。おまけに、拳銃が、日本刀と書いて、ダンビラと読む事にしようと言い出し、ジュンは、素手殺(ステゴロ)にされ、いもとまさやは、短刀(ドス)にされてしまい、咲を、殺気(さき)にしようとしたところで、当の咲から猛反発を受け、改名案と共に、全てが流れたという事がありました。


が、新生ダンビラビラビラのダンビラへの改名は、自然な流れであり、このバンドが、カズシット、拳銃、咲、ジュン、いもとまさやで結成されていた、あのダンビラビラビラとは違う別バンドである事も明確にしており、その点で、カズシットは大いに賛成だった。ダンビラビラビラは、僕にとっては、あのダンビラビラビラだった。



こうして、ダンビラは、ダンビラビラビラというを引きちぎった。アナーキーのようなナッパ服に腕章というステージ衣装に、身を包み、ここからが、ダンビラの真のスタートだった。しかしながら、ダンビラは、この時が、明らかに絶頂期であった。



カズシットに、彼女が出来、ジュンが結婚し、私生活の面で、変化があったダンビラの2019年は、破滅に向かって!というタイトルが相応しい。


だけど、春のうちは、そんな予兆もなく、今年も楽しくやろうぜ!という空気でした。ダンビラは、トモヤが繋がりを持っていたアニマルズに誘いを受けて、四日市での野外イベントに参加する事になった。



四日市に向かう前日、ジュンのマンションの一室で、ジュンの誕生日パーティーで盛り上がるダンビラは、その数ヶ月後に訪れる暗雲なんか微塵も感じさせなかった。


四日市に着いたダンビラ一行は、すぐに酒を購入し、アルコールを体内に取り入れた。まだまだ、カズシットも、酒が全てだった時代だ。そんな時代の最後の一年だったんですけどね(笑)





ライブをやっていて、一番嬉しいのは、仲間が観に来てくれた時。アウェーの時なんかは、マジで、神様に見えるよね。まあ、神なんて見た事ないけど(笑)




興味ないバンドは観ない。

これが、あっちの常識。いいと思うよ。形ばかりの付き合いなんか、要らねーよ!って事。ダンビラも、同様に、観たい奴だけが見ればいい!ってゆー感じだったから、マジで、やりやすかったのを覚えています。






ライブ後は、美味しいものを食べたり、フリーマーケットを回ったり、地元の人と交流したりして、楽しい時間を過ごしました。






しかし、トモヤは、自分のプレイに軽く凹んでおりました。千龍銃では、力強いフロントマンだっただけに、少しのミスも許せなかったのでしょう。意外に、ストイックなヤツかもな(笑)


一方、リーダー、拳銃は、子供のように遊んでおりました。



ダンビラにとっては、遠足みたいなライブでした。ライブの出来は、カズシット的にはまあまあ、満足でした。ダンビラは、自分が楽しむためにやっていたしね。誰かに評価されるためのバンドではないし、人がどう思おうが、どーでもよかったですね。GLAYとか、チェッカーズになるために、バンドしてるワケぢゃなかったし(笑)


彼女に、距離置きたい!と言われ、そのまんま、自然消滅しちまった恋愛。実は打撃は全くなかったんだけどね。まあ、それだけ、色んな失恋、告白しての玉砕を経験してるからね。でもね、飲酒量は増えたね。自分に対する苛立ちでね。しかし、新しい出会いというのは、常にやって来るもんで、この時は、御坊パンクスとの出会いもありました。




そんな御坊パンクス一味が応援に駆けつけてくれた和歌山ヴィンテージでのライブが、カズシットの中では、ダンビラの、ダンビラらしいライブの最後でした。






これは、和歌山の春のイベントの代表的な、マジカルミュージック・ツアーというイベントで、和歌山のバンド、ミュージシャンなどが、あちこちの店で、ライブをやるという、町全体でのライブイベントだったんです。




四日市の野外イベントと同様、パンクとか、ロックとか、とくに興味のない人々も来ているワケです。かつて、ダンビラビラビラでは、そーゆー状況でのライブの時に悪態つきまくり、客が、ぞろぞろと出て行ったという事がありましたが、ダンビラは違いましたね。ちゃんと、ウケておりました。




まあ、どちらが、ロックとしては正しいのかって事は置いといて、とりあえず、客にウケたんだから、我々としては嬉しかったです。んー、ダンビラビラビラの続編として始まったこのバンドですけど、ダンビラビラビラとはマジで違うタイプのバンドになっていきましたよね。


カズシットは、全開に酔っ払い、対バン仲間や、駆けつけてくれた仲間と、ワイワイやってました。




この日が、楽しい酔っ払いのダンビラの最後の日だったんですよね。僕にとってはね。その夏、ニューワール堂でのライブで、酒にやられ、ブラックアウトした僕は、ステージ上で、拳銃と喧嘩になり、それが、あちこちに飛び火して、店に警察が来るような騒ぎにまで発展しました。もちろん、その事は覚えていません。



ステージに上がる直前から、翌朝のホテルで目覚めるまで、明らかに、僕には別の人間が憑依しておりました。そして、この時、ダンビラは幕を下ろしつつありましたね。


酒を飲んで、メチャクチャな事をやらかし、極悪パンクと自称して来たダンビラビラビラ。別バンドになったとはいえ、ダンビラは、それを受け継いでいたバンドでした。しかし、そのフロントマンが、酒をやめて、自分のライフスタイルを見直しちゃったんだから、それは、ダンビラの終了と言っても過言ではないでしょう。


同年12月15日。またまた、僕の誕生日が、西成のニューワール堂でのライブと重なったんですけど、そこには、以前のハイテンションではない、ちょっと変なカズシットがいました。





断酒して、まだ半年にも満たなかったこの時期は、シラフのキャラを確立出来ていなくて、周りの空気に合わせようと必死になっていました。だから、とても、不自然な自分だったんです。


ただ、ライブは、うまくやれましたね。



それも、そのはず。

酔ってないんですから。歌いやすかったね。それに、お客さんの反応も、マジで分かるんですよ。みんな、歌詞を聞いてましたね。



ノリだけではなかった。

みんな、ちゃんと、見ていてくれたんですよね。それを知った時、泣きそうになりましたよ(笑) いや、泣かんけど(笑) ダンビラ、そーゆーバンドぢゃないからね。



らしくないライブではあった。

だけど、盛り上がった。これが、拠点である西成でのラストのライブとなった。夏に、ブラックアウトして、メチャクチャなライブをやらかしてしまったニューワール堂で、最後に、いいライブが出来たのは、本当に良かった。



自身のキャラには苦しみましたけど、関西のパンク仲間は、いい人ばかりなので、その場を楽しむ事は出来ました。酒無しパンクって、大変な道を歩み始めてしまったなあ。と思いましたよ。けど、ダンビラは、既に、僕からは離れたものになっていた。


2020年。まず、ダンビラは、マネージャーがいなくなったんです。さらに、コロナ禍で、予定していたライブが次々と、中止、延期になり、それが、僕とバンドとの距離をさらに遠ざけたと言ってもいいでしょう。その年の9月に、愛知高原での野外イベントに出る事で、ようやく、ライブが出来た。これが、ダンビラの最後のライブとなった。



コロナ禍の中での遠征ライブは、僕は正直に言うと、乗り気ではなかったんです。が、あの状況で、ネガティブな意見は避けないと、もう、そこで、バンドが終わってしまう空気があった。多分、みんな、そんな感じだったと思いますね。空気読めねージュンだけは、例外でしたけど(笑)


ライブは、朝早くからの出番だった。

ステージそのものは、うまくいったんです。

けど、あんまし、覚えてないですね。これと言って、何も起きなかったから、逆に印象が薄い。



ライブ後は、ほぼ、単独行動でしたね。これは、想定内でした。既に愛知との関係を築いているトモヤや、アルコールモードに入っている拳銃のようにはいきませんし、トモヤを通じて、愛知のパンクス達と交流したとしても、彼らが、勧めてくるであろう酒を断れば、また、バンド内での雰囲気も悪くなる。色々考えた上での単独行動でしたよ。




打ち上げも、もちろん、単独でした。同じく、単独行動のジュンと、一緒になる事は何回かありましたけど(笑) でも、孤立しているワケではなく、僕も個人で、楽しんでおりました。美味しいものは食べれたし。



翌日も単独行動は続く。

これが、街の中だったなら、オシャレなカフェにでも行って、地元の人と交流したり出来るんですけど、山奥だからね。それに、コロナ感染を警戒していたから、極力、人が多い場所は避けたかったんです。愛知にいる事なんて、家族にも、その時は言ってませんからね。コロナなんか、持ち帰ったら、シャレになんねー!と思ってました。まあ、その一年後、和歌山で感染して、お持ち帰りしてしまうんだけどね(笑)





誘ってくれたアニマルズのライブを観るまでは、ひたすら、山道を歩き、その空気を楽しんでおりました。


そのライブから、しばらくして、ダンビラは解散を発表しました。2008年のダンビラビラビラ結成から、12年後に、ようやく、この極悪バンドは完全に終了したのでした。しかも、極悪バンドには似合わねー、空気の綺麗な高原でのライブを最後に。



バンドは、愛知県でのライブを、これから、どんどんやって行くような感じでした。転倒したら自力で起き上がれない父親を放置して、毎回毎回、遠征ライブをするワケにはいかないのが、現状でした。ファッキン・ブルシットを脱退したのも、その理由だったのに、バンドを続けていくうちに、その状況を無理矢理、無視してでも、続行させようという気になっていたんだろう。もし、僕に、バンド熱があったなら、この時も、無理矢理でも、バンド継続に尽力していただろう。ですが、もう、あの時点で、それはありませんでした。そして、今も、それは、微塵もありません。


ダンビラ解散後、トモヤと拳銃はすぐに、次のバンドを結成しました。僕は、ファッキン・ブルシットのライブで、ゲストボーカルとしてステージに立ったのを最後に、バンドは、引退を決意しました。


この先の事は解りません。

また、ステージに立っているかも知れないし、髪を切って、ライブそのものにも行かなくなるかも知れないし、結婚するかも知れないし、メタル化するかも知れません(笑)


が、思い出は思い出として、ずっと大事にしたいと思います。そして、元メンバーの成功を陰ながら応援します。二回に分けて、ダンビラについて書きました。正直、しんどかったです(笑) 終わりがあまりにも、ドラマチックぢゃないからね。バンドは、解散する時期も大事ですよ。セックス・ピストルズみたいな解散だと伝説になるんでしょうけどね(笑)