ある夜。
ある店で、あるカップルと盛り上がりました。すごく好感の持てるカップルで、挨拶が出来ないとさえ言われている現代の若者にしては、珍しいタイプなんだろうか。


しかし、僕は、アンチ・カップルとまではいかないにしても、初対面のカップルと、ここまで楽しく盛り上がるのは、珍しいんです。それもそのはず。彼らは、和歌山県田辺市出身でした。そして、田辺市は、紀州★カズシットが幼少期を過ごした場所なんですよね。そりゃあ、盛り上がるよね😄

和歌山県田辺市は、源平合戦で活躍した武蔵坊弁慶の出生地として知られています。


弁慶伝説は数多く残っており、通っていた小学校の近くに、弁慶が座った石ってのもありますけど、これは疑わしい(笑)


弁慶のような強者には程遠く、幼き日のカズシットは、軟弱なヤツでした。幼稚園時代から自閉症となり、家族以外の人とは一切、口を聞けなくなりました。入園式の日、僕の前を歩いていた女の子が転倒し、お前が突き飛ばしたんだろ?っていう疑いの目が、僕をあんな状態にしたんだと記憶しています。当時は、子供一人一人と向き合うような教育スタイルぢゃなかったもんね。


懐かしの幼稚園で記念写真撮ろうとしたら、教員が、ぞろぞろ出て来ました。不審者と判断したようです(笑)

あ、今回のブログの写真は、過去に三回訪れた際に撮影したものを使ってますので、服装が違ったり、同行者が違ったりしてますけど、気にはしないでくださいね。

僕は田辺市生まれではないんです。和歌山市生まれですよ。野崎に二歳までいました。野崎の記憶? 緑の壁と、アスファルトじゃない駐車場と、畑の中にある一本道と、その先にあるスーパー。つーか、我ながらによく覚えてるもんだな。皆さん、一歳児、二歳児の記憶ってありますか? 以上が、和歌山での記憶で、後は幼少期は全部、田辺時代の記憶になるワケです。だから、たまに、出身地を田辺市と言ったりします。

家は、マジで、崖崩れでもあったら終わるような場所でした。だからこそ、景色も良かった。夏の花火なんか、部屋から見てましたもんね。


家です。今は、別の人が住んでいます。
もし、ブログを見て、俺の家だぞ、それは!という方がいれば、ご連絡ください。分かんないように加工します。

自閉症の園児なのに、家の近所では、まあまあ、悪ガキでした。赤ずきんちゃんに出て来た、最後、井戸に落ちたオオカミを救出する話を、このブロック塀いっぱいに描きました。


もちろん、大人たちに怒られました。デッキブラシを手に怒っている母が、今でも目に浮かびます。

不法侵入は繰り返すし、人ん畑に勝手に入るし、見知らん女の子を家に連れて来るし(昔はナンパ師だったのね😂)、幼稚園で一言も話さないキャラとは大違いでしたね。あの年齢にして、キャラを使い分けておりました。

主に、遊び場は、でした。
家の近くが山という環境は、僕には、退屈しなかった。この山道は、ずっと、あの日のままで、僕の体だけが大きくなったようだ。


ファミコン時代が訪れても、僕には、この環境があれば、ゲームなど必要なかった。僕が、和歌山に引っ越して来て最初に失望したのは、近くに山がなかった事だった。ほとんどの遊びは、この山が中心となっていた。一人でも遊べたから、僕は山が大好きでした。

しかし、山の中で、おとなしくしている子ではなかったんですね。周辺の大人からは、イノシシや、マムシくらいに、嫌な存在だったと思います。あの当時は、親でもない大人によく怒られたが、現在は、それが、良い事のように言われてますけど、愛がなければ、そんなもん、イジメと同じだ。明らかに、憎しみがあったのを、僕は覚えている、なぜ、怒られているのか、全く解らなかった。奴らの中に敵意というものを確かに感じられた。多くの場合は、自分が悪かったんだが、そうでない場合も多々ありました。


とくに、この駐車場で、石を拾っているだけで、メチャクチャ怒って来たあのオッサンは、きっと、ストレス発散が目的だったんでしょう。あの頃、大人は、器が小さかったと思います。間違い電話かけただけで、ボロカス言われましたからね。子供相手に、あそこまで怒鳴り倒すヤツ。正直引きますわ。80年代って、みんな、そんなに幸せではなかったんでしょうか。

よく母親に連れられて、買い物に来たのが、ここでしたね。


当時の姿のまま、残ってたのが、めちゃくちゃ嬉しかったんですけど、店員さんには、マジで警戒されていましたね。そーゆーのに、僕は敏感なんですよね。やっぱ、田辺市は、田舎だから、派手なヤツを見ると、悪者だと思ってしまうのだろうか。一応、当時は、田辺に着いてから、まず、最初に、こちらに挨拶しておいたんですけどね。


まさか、逆効果というヤツか?(笑)
怪しいのが町をうろついているから注意しろ!とでも言いやがったのか? それとも、同行していたツレが、その時は、彼だったからか(笑)


まあ、彼と、カズシットが一緒にいたら、マジで関わりたくねーみたいですからね。いつだったか、コンビニ前で、暴走族とトークを楽しんだ事があるんですけど、我々と楽しく語らったのは一部だけで、後の連中は、メチャクチャ遠くに離れていたもんね。僕たちは、いつも、心はオープンなのに(笑)

話が脱線しましたね😅
まあ、田辺の思い出の地として、カズシットの中で、上位に入っているのは、ボングーですね。母親によく連れて来られたお店ですよ。


自分で食べるパンやから、自分で選びなさい!という感じです。2018年、けいさん、りかさんと一緒に行った時は閉まっていて、もう、やめちゃったのかなと思っていたんだけど、翌年に行ったら営業していて、安心しました。


そん時は、お店の方と、長々と話しましたね。僕の容姿を見て、仕事は出来てるの?とめっちゃ心配されましたけどね(爆笑)

そして、家族で行った思い出があるのは、チャンピオンですぬ。2019年に訪れた時は、残念ながら、閉店しておりました。


たまたま、通りかかった高校生君を呼び止めて、店をバックに一枚撮ってもらいました。カズシット一人だと、みんな、フレンドリーになってくれますよね。


チャンピオン閉店は、我が家族にとっても、残念な知らせだったようです。つーか、あんたら、あそこまで行かんやろ!(笑)と思いましたが。同じ和歌山県でも、和歌山市と田辺市は、めっちゃ離れてますからね。しかし、チャンピオン閉店は、僕も悲しかったです。それだけの年月が流れているって事ですね。

僕が通った小学校は、田辺第一小学校でした。田辺っ子に言わせれば、一番真面目な小学校らしいです。つーか、逆に荒れた小学校とかあるのか?って話だけど(笑)


小学校時代は、担任教師には恵まれたかな。とくに、一年生の時の担任の先生が良くてね。自閉症のカズシットに、友達を作ろうとしてくれたり、何かと気にかけてくれたんですよね。実際、自閉症は小学一年生の時点でなくなり、友達も出来るようになりましたね。普通に会話も出来るようになりました。先生とは、その後、三十年以上に渡り、年賀状のやり取りを続けましたね。もう、亡くなってしまったのか、年賀状の返事が来なくなってしまいましたが。再会したかったなあ。本当に感謝してますよ。ありがとうって言いたかったです。

田辺の小学校って、海に近いからか、水泳の授業が厳しかったですね。これは、和歌山市とは、全然違う。和歌山に引っ越して来た時、クラスの多さの次くらいに衝撃だったのが水泳の授業。


だって、和歌山の水泳の授業、めっちゃ楽しかったもんね。田辺の場合は、泳げないヤツは、何年生になろうが、赤帽のままだったもんな。今は、どうなっているかは分からないけど、あれって、明らかにイジメを生み出すよなあ。イジメって、やっぱ、教育が原因だよね。って、思います。

田辺には、カズシットの好むような史跡も存在します。例えば、これは、田辺城です。


正式には、田辺城水門跡なんですけどね。石垣はもちろん、当時のままです。つーか、皆さん、田辺に城なんかあったのか?って思っているでしょう。当然、ありますよ。当時の和歌山は、江戸幕府を支える要ですからね。


田辺城、今は、この石垣と水門跡くらいしか残ってないんですよね。この城は、徳川頼宣の家老だった安藤直次の一族が、代々、居城として来た城です。安藤直次は、紀州★カズシット、お気に入りの武将の一人ですね。頼宣の家老だから、何でも、頼宣の言う事を聞いて、実行していたと思われるだろうけど、この人は、頼宣を傷が残るくらいに押さえつけて諌めたりするような熱い人物だったらしいですよ。


後年、頼宣は、今の自分がいるのは、安藤直次がいたからだ!と言ってますし、残った傷跡も治そうとはせず、直次との思い出として大切にしたそうです。安藤直次についてはエピソードが、カズシット以上に多い(笑)ので、もっともっと知りたいですよね。



↑公園で遊ぶカズシット(笑)

田辺時代はいじめられっ子だったのか? それは、実はよく解らない。犬が苦手というのが、周囲に知れて、確かに、そのネタでバカにされたし、イジメというのはあった。けど、僕は和歌山に来てからの方が、ひどいイジメに遭ってるし、田辺って、そこまで、不幸な場所でもなかったような気がするんですよね。けど、イジメがあったのは事実だし、和歌山に来てから、復讐心をずっと燃え上がらせていたのも事実です。


でも、それって、田辺を恋しく思わないように、あえて、憎んでいたのかも知れません。学校はともかく、僕は田辺の環境は好きでした。山も、川も、身近にあったから。


一緒に遊ぶヤツがいなかったとしても、外では、遊ぶネタに困らなかったもんね。それに、父親が、あちこち、連れて行ってくれたんです。山や川、海、本当に最高の環境でしたよ。

田辺には、会津川という川があります。
転校する前、僕は飼っていた小さな鯉を二匹、放したんです。和歌山には連れていけないからと。


この会津川では、マジでよく遊びました。子供同士で、海や、川に行ってはいけないという、当時の親たちの共通の決まり事があったんですけど、僕たちは、ランドセル背負ったままで、川遊びを楽しみ、帰宅してから、めっちゃ怒られるという事を繰り返していましたね。確かに子供同士で、こーゆーリスクの多い場所に出かけるのはよくないです。だけど、実際に、危ない目に遭わないと、どのように危険なのかも解らない。バカでも、ヤバイ一線は超えないようにしようって考えてますよ。今だから言いますけど。

ファミコン時代は到来していましたが、僕は家にファミコンがなく、友達ん家で、ファミコン遊びをする時も、ほとんど、触らせてもらえず、見てるだけという、つまんねー時間。僕は当時、ファミコンが大嫌いでした。ファミコン以外に流行ったオモチャと言えば、ゾイドメカシリーズだったな。このオモチャ屋によく通ってましたよ。


実は、同級生の家だったんですよね。今は売っているオモチャも、あの頃とは変わっちゃってるんですけど、営業しているって事は嬉しいですよね。ちなみに、テレビゲームは、和歌山に引っ越してからハマるようになります。近所に、山や川のない生活になったので、そんな僕を、かわいそうに思ったのか、両親が、ゲームを買ってくれたんですよね。

田辺に住んでいながらも行った事のない場所も、もちろんあります。行っているかも知れないけど、記憶にはないので、行っていないと判断しますけどね。この場違い感がハンパないエリアですよ。


田辺の有名な料理店である銀ちろです。1959年の創業だそうです。意外でしたね。明治くらいからやっているようなイメージでしたから。しかし、メニューは豪華でしたよ。


ちょっと旅行に来た気分。
この時は、けいさん、りかさんと、田辺にライブを観に来ていて、昼食のために、ここに来たんですよね。これ、さすがに、子供時代は行かないでしょう(笑)

ついでに、子供時代は絶対に行かなかった場所も。夜の飲み屋です(笑) 


田辺は、になると、めっちゃ賑やかになります。この地に、もし、長く住んでいたら、僕も、毎日のように通っていたんでしょうね。そんな気がしましたね。

田辺を去って、三十数年。
先述した通り、復讐に燃えていた時期もありましたけど、奴らに会ったのは、九歳くらいの時がラストなんで、顔を思い出しても、ガキの顔しか出てこないんですよね。そんなのに、憎しみを持つのは限界があります。復讐心というのは、時間が解決してくれるかも知れませんね。

そして、音楽に関わるようになってからは、田辺出身のミュージシャンとも出会うようになり、そこから、友達関係や、先輩後輩の関係が出来ていきました。





僕は先述したように、和歌山市生まれで、田辺には親戚など一人もいないワケで、父親の仕事の関係で住んでいただけの町なので、正確には出身地でも何でもないんですけど、それでも、田辺出身と聞けば、親近感が芽生え、嬉しくなるんですよね。それは、やっぱり、田辺市が僕にとっては特別な町だからでしょう。


関西の中心地、大阪から離れるにつれて、奇抜なファッションは、ん?と思われるようで、田辺市も確かに、僕を一目見ただけで、うっ?という間が生じますが、話してみると、実はすごく仲良くなれますよ。

コロナ禍の中で作った、田辺商店街の、このポスター。


最高ですよね。こーゆー楽しい町なんですよ、和歌山県田辺市。こんなブログを書いていると、また、行きたくなって来るなあ。