枕木山【お城・古戦場好きに火がつく】 |   + Mother Lake +

  + Mother Lake +

著作権は放棄していません。写真の無断引用はおやめください。

今回の里帰りもいろいろなところをたずねました。
そんな中でお気に入りの景色をひとつ、松江市と旧美保関町の境にそびえる枕木山、ここからの景色はすばらしいです。

以前ご紹介した、中海に浮かぶ牡丹と薬用人参の島、大根島(右端)。




島根半島と弓ヶ浜、その向こうには大山も望めます。(この日はかすんでいて見えなかった。)



google earthも真っ青なこの景色はボクの大のお気に入り。
枕木山山頂までは麓を走るR431から20分ほど、途中あちこちで先日の豪雨によるものと思われる
土砂崩れが起こったあとをすり抜けてひやひやもんでした。

山頂にある華蔵寺から先は完全に通行止め。
しかしここはちょうどmizzと同じ4年のとき親父と2人で歩いて登ったんだよなぁ...........信じられん。





ここ枕木山は戦国時代、出雲の尼子氏と安芸の毛利氏の古戦場だったところ、片江にも尼子・
毛利の古戦場址といわれる場所があります。
島根半島東端の美保関は日本海の海上交通の重要な港であるとともに、中海・宍道湖への入
り口にもあたるため、両氏の間で争奪戦が繰り広げられてきました。
ここ枕木山からの景色はそれら戦略上の要衝を一望にできるので戦場になったのも納得いきます。


最盛期には陰陽十一州を支配した尼子氏は4代経久の死後急速に衰え、孫の晴久の頃にはついに
毛利氏の軍門に下り、居城である月山冨田城は落城の憂き目に遭います。(奥出雲の帰りに通りか
かったけどあまりの暑さに登る気になれなかったっす。)


また後日説明しますが、尼子氏の家臣に山中鹿之介幸盛という人物がいます。


「我に七難八苦を与えたまえ(のび太のお父さんがのび太を諭すのにも使ったぐらい有名な言葉。笑)」
という言葉で有名な将来の大河ドラマの主人公の有力候補である彼を筆頭とする尼子十勇士は真田十
勇士のモデルとなったとも言われています。
鹿之介のドラマチックな人生はぜひご紹介していきたいです。大河ドラマに採用されれば話は早いのですが。

↓月山冨田城址の山中鹿之介像(画像お借りしています)



その中の1人に片江にゆかりの人物がいます。寺本生死介...........爆(尼子十勇士には変わった名前が多い。笑)
富田落城後片江に隠れ住んでいた生死介は、片江では門前之助を名乗り、現在片江の3割を占める寺本姓の
元祖といわれています。(ちなみにボクは寺本姓ではありません。)


ところで尼子氏はそもそも出雲守護京極氏の守護代として出雲に入りましたが、勢力を強め守護である京極氏
を追い落としてしまうという典型的な下克上を果たします。その尼子氏の発祥の地が実は滋賀県甲良町の尼子
という集落、近江鉄道の駅名にもなっているのでご存知の方もいるかもしれません。

戦国までさかのぼって片江と滋賀がつながりました。


というわけで、最近凝りだした滋賀の古城・古戦場めぐりとあわせて尼子氏や尼子十勇士のことを調べてみようと
思います。もちろん古城古戦場めぐりもこれからご紹介していきます。天守閣があるだけじゃないマニアックなの
をご紹介しますよ。


いよいよ今回の旅も終わりが近づいてきました。