Facebookの一大グループ「クラシックを聴こう!」である人が、オペラの演出については忌憚のない批判が新聞でもSNS上で出てくるのに、音楽の演奏については忌憚のない批判が滅多に聞かれないし、それが憚れる雰囲気があるのは何故か? という事を書いている人がいた。どうも筆者の趣旨は、演奏についてガンガン批判をしたいという趣旨のようだった。

 確かに演出については、オペラの新演出のプレミアでは殆ど必ずブーイングが出るが、ピアノのリサイタルでブーイングが出たのを個人的に経験したのはレヴィットのベートーヴェン・ソナタのリサイタルくらいだ。十数人くらいの人がコメントを寄せいてたが、「演奏するのは技術がいるからだ」(演出には技術はいらないのか?) とか、「目に見えるもののほうが人間にはわかりやすいからだ」という意見と共に「全く同感です」との意見もかなりの数が出ていた。これをきっかけにあのグループが演奏に対する批判コメントが溢れるグループになるのか注目したい。「こっちは金を出しているんだし、プロだからしっかりしたものを出すのが当たり前だろう」みたいな感覚は違和感と覚えるというか、道義的に間違っていると思う。そもそも、しっかりした演奏とは何なのか? 全員の好みに合わない尖った解釈が演奏者の芸術的信念に基づいているとしたらそれを、「俺は金を払っているんだから、俺の聞きたいものをやれ」みたいな昭和のサラリーマンみたいな感覚で一刀両断にするのはいかがなものか? 

 ここまで書いてくると、これは何を批判の基準にするのか (考えの違いは批判の対象になるのか)ということと、伝統と革新に対する態度の違いが混ざり合っていることがわかる。オペラの演出が遠慮なく批判されるのは、演出の方が演奏よりも自由度が高いからに他ならない。演奏の方は曲がりなりにも作曲家が書いた通りに演奏している。百年前の演奏を忠実に再現したらそれだけで拍手喝采になる。一方で演出は初演の演出を忠実に再現したら、お前は仕事やっているのか? みたいな話になるが、オペラに通い慣れている通な人ほど、自分が見たことがある演出を基準に反応するから、それから大きく違うものが出てきた時のネガティブな反応はより出やすい。オペラの聴き手は自ら歌ったり楽器を演奏した経験がある人が多いから、演奏することがどれだけ大変な事かわかっている一方で、演出をした経験があるオペラの聴き手は限りなくゼロに近い。ゆえに、演出の制約とか何を考えてそのような演出をするに至ったかを共有できる人(当然自分もその一人)は聴衆の中にはいない。

 故に自分としては演出の批判は殆どするつもりはない。