『いやそうじゃないのよ』と感じることが偶にあってね、というような話 | 奥様おこりんぼ

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えと。

2023年9月14日…阪神タイガース18年ぶりのリーグ優勝。

祝賀の一夜から、早や十日ほどが経ちました。

道頓堀界隈(戎橋周辺)における『群衆VS大阪府警』…攻防戦(?)の模様が色々と報道されておりましたが、個人的感想としましては…『色々あっていそうだけれど、ふた昔前に比べたら 紳士淑女のお集り じゃないかしら』といったことを思いました。

 

思い出すのは、2003年のタイガース優勝の際の大騒動であります。

(1985年以来18年ぶり)

熱狂したファンに胴上げされた店頭ディスプレイの人形は道頓堀川に投げ込まれ、周辺店舗の看板や街頭ディスプレイに人々はよじ登り(←降りてこない。猫か!(爆))、雑踏警備の警官氏は懸命なる呼びかけ…『かに道楽の蟹の上から直ちに降りなさい!蟹は乗り物ではありません!』…なんなのこの状況。暴動だよね。うん、暴動間違いなく。

 

夜を徹して、実に5000人を超える群衆が戎橋から道頓堀川にダイブし続けたと言われております。

2005年優勝の際も、飛び込み防止で設置されたフェンスを越えて50人以上がダイブ。

そして、18年を経て再び迎えたエックスデー(2023年9月14日)…この日、恐らく死力を尽くしたのではないでしょうか大阪府警の関係諸氏方々。(1300人体制での厳戒警備)

 

大阪市も、道頓堀川の水深を普段より50センチ深く保てるよう事前に水門を開けて対策していたそうであります。

(水深があるなら安全、飛び込んでも大丈夫、いうことではありません。飛び込みダメ。絶対)

 

そしてやはり、どうしても飛ぶ人はいる…9月14日~15日未明にかけて、道頓堀川にダイブした人は判っているだけで26名。

戎橋からダイブした人はおらず、周辺遊歩道からの飛び込みだったそうであります。

 

 

えと。

やっぱりまだダイブする人っているのかァ…と、ニュースを眺めてですね。

こういうことがありますとね…なんだかこう、私ァ…胸の辺りがモヤっと致します。

 

「嬉しかったから、つい…」といった言葉で片付けてしまってもいいことなのかなァ…と、考え込んでしまいます。

 

何故人々は道頓堀川へとダイブするようになったのか…そして何故、戎橋から飛ぶようになったのか。

はっきりした理由は判りませんが、1980年代辺りから、阪神が勝つと飛び込む人が現れる といった空気は、道頓堀界隈で出来始めていたのではと推察できます。年を重ねる毎に『イベントの時に集合する場所』として認知されていったのか、サッカーW杯でも飛び、今やハロウインでも年末年始のカウントダウンでも道頓堀川に飛び込みます…集いし皆様は。

 

道頓堀ダイブにおける死亡事故で有名なのは、2003年阪神タイガース優勝時だと思います。(死亡者一名)

近年では2015年に一名、死者が出ております。

 

死亡事故というものは、起こってしまったら最後です。何をしようとも、取り返しのつかない惨事です。

起こってしまった後に、何か言えることがあるとしたら(…本当に振り絞って、何か言わなきゃ!と振り絞って、敢えて言うとしたなら)、『同じ過ちを繰り返さない為の教訓にしよう』…これが精一杯だと思います。

(でも結局…同じような事件事故は繰り返し起こる。ここが救いのない話)

 

世の中において、こうした『取り返しのつかない事態』を回避する為に努力することは、間違いなく推奨されている筈です。

それでも、道頓堀ダイブで盛り上がる人達に限らず…「ちょっと調子に乗りすぎちゃったかも…アハハすみませーん(笑)」…この程度の認識で、一歩間違えば命に係わるような危険行為を片付けてしまう人は存在します。

 

この「ちょっと調子に乗っちゃったかも」…といったノリは曲者です。『悪ふざけ』『お騒がせ』といった言葉では片付かず、不法行為とみなされた場合、「こんなことしちゃ駄目でしょ、もうやらないでね」といった説諭では済まなくなります。

なんらかの処罰を受けて前科者になったからといって人生詰むのが確定する訳ではありませんが、少なくとも前科が付く前の生活には二度と戻れない…この瀬戸際にいるかもしれないリスクに、「ちょっと調子に乗りすぎちゃったかも…アハハすみませーん(笑)」と言う人達は気付いていないのではないか。

 

悪ふざけと不法行為の線引きって、そこそこ曖昧だと思います。ケースバイケースで判断されるであろうお騒がせ行為の結果起こったことは、当事者が解決していくしかないでしょう。

 

それでですね…。この『当事者が解決』というのも曲者です。

前述しましたが、2003年には、5000人以上の群衆が次々に川へ飛び込むという 

警備責任者にとっては地獄絵図 のような状況が現実となりました。

 

飛び込んだ人達は、間違いなくこの出来事の『当事者』だと思います…が、恐ろしいのは、 

飛び込んだ群衆の皆さんには、『問題を解決し、その責任を取る』 ということが、ほぼ不可能である ということなのです。

 

飛び込んだ人の中から怪我人や死者が出た場合…その責任を問われる人は必ずいます。(というか、誰も怪我しなくても死ななくても、大勢飛び込みましたよね、あれだけ警戒しようねって言ったのに。一体何をしてるんですか。ちゃんと押さえないと駄目でしょ…えらい人から叱られちゃう警備責任者諸氏は必ず存在します)

 

例え死亡したとしても、それは飛び込んだ当事者の責任である…といった判断になることは、まずあり得ません。

誰かが責任を取ることになります。(取らされるんです。責任者とはそういう存在です)

 

その場のノリや、注目を集めたい願望や、雰囲気に流されたりして、再三の制止を振り切って飛び込む人がいて…もしかしたらその出来事は、誰かとの会話を盛り上げる鉄板ネタ等、時間が経てば武勇伝のように扱われるのかもしれません。

 

でも、願わくば…考えてみてほしいのです。

 

騒動が起こった際の火消しや、鎮静後の原因の究明、再発防止策やその為のマニュアルの作成…といったことに取り組むのは、それを行う立場にある責任者及び担当者であり、騒動を起こした張本人ではありません。

 

騒動を起こした人が特定され、その行為が条例違反や違法行為であると認定された結果…過料・罰金・禁固刑等なんらかの処罰を受けたとしても、あくまでそれは不法行為に対するペナルティであり、起こした騒動の後始末をしたことにはならない…私はそう考えます。

 

公的な事柄において責任問題が生じた場合、その責任が取れるのは、責任を取ることを許される立場にある人…つまり、その権限を有する人だけなのです。

 

自分では責任を取ることのできない騒動を起こし、その全ての後始末を、その時偶々責任を取る立場にあった第三者にして貰うことになるというのは…如何なものかと思います。

 

 

俗にですね、自分の尻は自分で拭け と申しますでしょう。

でも、「自分でやったことなので、責任は取ります」…いくら格好の良い言葉を並べてみた処で、でもアンタには責任取れないのよ、だってその権限を持たない人なんだから という話になったら、結果としてどうなるか。

 

面目次第も御座いません、ワタクシ自分の尻すら拭けません、と認めることになる訳です。

認めるだけではなく、事態の解決の為…どうあっても誰かから尻を拭いて貰わねばならなくなる訳です。

 

え、嫌だよそんなの恥ずかしい、と…私ァそう思える人間でありたいです。

誰かに尻拭いを頼む羽目になるような…そんなリスクから自分を遠ざける為にも。

 

 

 

 

さて、さて、さて…と。

益体もないことを、だらだらぬるぬると綴って参りましたが…。

 

こういうことをね…たま~にでよいので、時間を惜しまずとっくり考えてみるのって、悪くないと思うのですよ。

 

果たして得るものがあるのか。

 

無駄な時間になるかもしれない。

あるいは実りのある時間になるのかも、しれない…。

 

何が出てくるやら、判りはしないのですけれどね。

でも多分、悪くはない筈なのです。

 

うむ。そう思えるのって割と大切。

というか多分コレ幸せの元。

 

人生を豊かにするとか、そういう感じの、こと。