*今日もお立ち寄りいただきありがとうございます。
「高校野球」をモチーフにした短編小説となっております。素人の小説で完全に自己満足で掲載しているだけなので、飛ばしていただいて結構です。読んでいただけると嬉しいです。
『敬遠か、勝負か』
俺の人差し指は「敬遠」のサインだ。とうとうこの指を立てる時がきた。
俺の中で葛藤があった。押さえつけられた何か胸の中をぐるぐるとかき回すもの。それが渦潮の渦のように。
卑怯者、というレッテルは覚悟した。それはうちの選手たちからも口から出てくるものだと腹を括った。
前日、夕闇の中、俺は選手をグラウンドに集めた。
「いよいよ、明日は試合だ。お前さんたちのおかげで甲子園出場が決まった。うちのエース宮脇のおかげで出れたようなもんだ。その宮脇を明日は投げさせるわけにはいかない」
宮脇が下を向いて項垂れている。
「宮脇は肩を故障している。だから投げさせるわけにはいかない。これからの宮脇の野球人生、あるいは人生において肩が重要となってくるからだ。そこで、山下、お前が投げることにした」
地鳴りするような低い声でどよめきが起きる。
「監督、僕は地方大会でも投げたことがないです。無茶ですよ」
それは百も承知だった。俺は苦渋の選択を迫られたのだ。明日の試合はライトの守備の肩のいい山下に託すことにした。
「明日は優勝候補の星明だ。うちがどんな戦法を取っても勝てる相手ではない。ましてや今大会注目度ナンバーワンの高岡君がいるチームだ。彼は間違いなく今後も野球界においてヒーローになるに違いない。そのチームと当たれるのは、お前さんたちの野球人生に取ってもプラスとなる」
愛くるしい笑顔とは裏腹に決めるところで決める星明の高岡はナンバーワンスラッガーとして注目されている。
俺は思った。まともにやっては勝てない。
「そこでた。山下、お前は明日、高岡君に全部敬遠でいけ」
「え? 監督、正気ですか。幾ら何でも、それはできないです。同じ高校生として、勝負がしたいです」
「しかしだ、まともにやって勝てる相手ではない。お前さんたちが生まれる前に、同じことをやった監督がいる。高知の明徳義塾の馬淵監督だ。彼は当時37歳。今の俺より4つも若い。星稜の松井に5打席敬遠を指示した。俺はあの時、中学生でテレビにかじりついていた。アナウンサーが『1球目はどこへ投げるでしょうね。注目です』と言った。馬淵監督は敬遠を選んだ。その後の2打席目も。その次も、結局5打席連続敬遠となった。そのあと、アルプススタンドからメガホンが投げられて、試合が中断した。明徳義塾が校歌を歌っている間も帰れコールが鳴り止まなかった」
「監督、それじゃ僕らは二の舞じゃないですか」
「でも、後から松井自身が言っている。あの時、5打席敬遠されるようなすごいバッターではなかった、と。もちろんそれは彼の謙遜だけれども、ではあの時勝負していたら、必ずホームランを打てただろうか。俺はそうは思わない。むしろ凡打に終わって甲子園を去ったかもしれない。それがあの敬遠によって伝説となったのだ。だから、お前さんたちも、高岡君を伝説の男にしようじゃないか」
俺は覚悟ができていた。
部員たちが帰った後、俺はすぐさま校長室に向かい、戦術について説明した。
「校長、明日は全打席敬遠で行きます」
校長はニヤリとしながら、
「国枝監督、それはやめてほしい。まず、本校の生徒を守ることが君の一番の仕事、役目じゃないか。そんなことをしたらどうなる。まず本校の生徒が狙われる。本校はヒールになって、苦情の電話が相次ぐ。今の時代だ、ツイッターやいろんなところで批判がわく。それでも君は敬遠を選ぶかね」
甲子園は入道雲が湧き、光あふれていた。注目の試合とあってスタンドには満員のお客さん。この中で試合ができる彼らは幸せだ。
俺も監督人生で甲子園に連れてきてもらって最高に幸せだ。
試合が始まった。ここ、ベンチから見ていても高岡君は背丈が高く、体格もがっしりしている。まるでプロとアマチュアが試合をするような感覚に陥る。
山下は先頭打者を三振に仕留めた。初めてのマウンドだったがワンアウトをとってホッとしたのだろう。笑みが滲んだ。
できれば三人で抑えて四番の高岡君と初回の勝負は避けたい。
祈る気持ちで山下を見る。二番バッターとはいえ油断はできない。相手はどのバッターも四番を打てる実力がある。たまたま星明だから二番なだけであって。
山下が振りかぶって投げると、見事にセンターに打ち返された。ダブルプレー以外では、高岡君に回ってしまう。
次のバッターは高岡君に埋もれてしまってはいるが、強打者だ。
山下が投げる。打つ。ショートの深いところ、二塁へ投げる。アウト、一塁は間に合わない。
これで高岡君との勝負は避けられない。
俺は人差し指を立てた。敬遠のサインだ。
山下は俺の方を向いて首を振った。勝負がしたいという意思表示だった。
俺はもう一度人差し指を立てた。
山下が振りかぶって高岡に向かって投げた。大きく外へ外れるボール。やや冷やっとしたがコース的には悪くない。山下が四球連続でコースを外して一塁に歩かせた。
五番バッターは三振に終わった。
山下がベンチに戻ってきた。
「監督、次は勝負させてください」
俺は悩んだ。
勝負なのか教育なのか。勝つことを教えるのも教育だ。でも人間として立派に正々堂々と戦うことを教えるのも教育だ。
「わかった。好きにやれ」
俺の決断は彼に任せることにした。
一回の裏、うちの攻撃は三人で終わった。
山下がマウンドに立つ。他の打者には正々堂々と投げている。地方大会の登板がない中でよく頑張っていると思う。
浜風が吹いている。選手権の旗がひらひらと波打っている。
俺は深呼吸をした。空を見上げて『栄冠は君に輝く』の歌詞を思い出していた。
雲は湧き、光あふれて。天高く純白の球。
この歌は三番に作詞をした加賀大介の思いが詰まっている。
「空を切る 球の命に 通うもの 美しく匂える健康」
足を悪くした加賀大介が地元かどこかの学校のグラウンドで駆け回る選手を見て、やはり健康が一番大事だ、とこの歌に盛り込んだのだ。
伸び伸びとグラウンドで羽ばたく選手を見て、俺は考えを改めた。
彼らにとって、野球をする、ということは健康があってのこと。本当に楽しそうな彼らを見て、これが野球なんだな、と思った。
風を打って、大地を蹴って。悔いることのない、白熱の力、技。若人よ、一球に、一打にかけて、青春の賛歌を綴れ。
山下がこちらにサインを求める。
「いけ」
俺が下した決断は、勝負だ。
山下の笑みがこぼれる。高岡はバットを上段に構えて、山下を睨みつける。
山下が思い切りボールを放る。ストレートがキャッチャーミットに収まる。高岡のバットは空を切る。
「ストライク」
アンパイアの大きな声が球場に響く。
それでいいんだ、それで。俺も頷く。
山下が二球目を投げる。
カキーン。
金属バットのいい音が響き、放物線を描いたボールはそのままセンターバックスクリーンに叩き込まれた。
ホームラン。
その後も、うちのチームはボコボコにやられた。点数も地方大会ならコールド負けになるぐらいにコテンパンにやられた。
試合は負けた。
俺はなぜか嬉しかった。選手は伸び伸びと野球を楽しんだ。そして、地元の高校生の中で一番最後まで野球ができた。
「監督、すいませんでした」
一番に謝りに来たのは山下だった。
「すまん。俺が間違えていた」
俺は素直に謝った。
「監督は悪くないです。打たれたのは僕ですから」
山下が大人の対応をする。
少しだけわかった気がする。なぜ俺が爽やかに散れたか。それは、正々堂々と勝負して負けたからだ。これだけ打ち込まれたらどちらにせよ負ける。でも、それでも高岡君に敬遠をしていたら、目的も何もあったもんじゃない。
次の日、スポーツ新聞の一面に高岡君のホームランのシーンが掲載された。打った瞬間わかるホームランだった。と同時に俺は小さく写る山下の表情に気づいた。
打たれたのに笑顔だった。俺は山下の笑顔に救われた。
それは、子どもの頃、父親に投げたボールが打たれても、打たれても楽しくて仕方なかったことを思い出させた。それでも何度も何度も父親に挑んだことを思い出した。(了)
*過去に書いたものなので情報などに古いところがあるかもしれませんがご了承ください。
最後までお読みいただきありがとうございました。