心が少しばかり他人より小さいものですから、私には人を出し抜くですとか、騙すですとか、そういったことがどうやら苦手であることは生まれ持った性格というものでしょうか、そういう性質は持ち合わせておりません。だからと言って、始終笑顔の聖人君子であるかと言われれば、そんなことはありません。私だって怒り狂う時もあれば、震えが止まらないことだってあります。心に怒りが生じたとき、私はいつも空想をします。それは途轍もなく恐ろしい空想であると自分で自分を慄いたり、あるいはたいそう馬鹿げていると自分で自分を嘲笑したりすることもあります。それでも私が小胆であると自覚するのが、たとい空想の世界や想像の範囲の中であっても、人を殺めたり傷つけたりできないというところです。

 

 私の大好きな小説の一つに梶井基次郎の『檸檬』という小説があります。彼は京の街を歩き回って、レモンを買います。そしてそれを丸善の本屋の本の上に置いてくる。朧げな記憶ながらそんな話であったと覚えております。

 

 少し、今、イライラしています。特段原因があるわけではありませんが、なんとも言いようのない、内からくるこのフラストレーションは、耐え難きものです。

 

 テレビを見ながら、炬燵の上にある蜜柑を食べている私は、なんてちっぽけな存在なんだ、と嘆かわしく思ってきます。テレビでは無名の芸人がさほど面白くもない芸を披露し、それに無理やり周りの笑い声がテレビの中でこだまし、それが乾いた笑いとなって私の元へ届く頃には面白みは少しもないのです。

 

 イライラすること、といえば、思い出しました。いつも行く(この蜜柑を買った店もそうです)スーパーでの出来事です。前の人が使ったカゴに要らないレシートが入っていることが多々あるのです。多々でして。1回や2回のことではないのです。あー。思い出しただけでもイライラしてきます。

 

 私のこのイライラの原因はこれだけではありませんが、とにかくフラストレーションを爆発させる場所が必要だと思っております。

 

 炬燵の上にある蜜柑を一つ手に取ってみました。ズシリと重く、熊本産か和歌山産か見当はつきませんが、美味しいこの蜜柑はやはりいつも行くスーパーでないと手に入りません。これ以上の甘くズシリと重い蜜柑を私は他所で食べたことはありませんから。

 

 私は奇妙なことを思いつきました。そうです。この蜜柑を梅田(京都は少し遠いですから)の本屋さんに置いてきて、爆発したら、いかほど面白いことかと。ふふふ。そう思うとなんだか普段のイライラが治まってきたような気がしてきました。

 

 そしてもう一つ。私は炬燵の上のカゴに入った蜜柑を二つ取り、セーターの胸の部分に入れてみました。昔から乳房への憧れがあり、少しそういった気分を味わってみたかったのです。

 

 家にあったカツラを被ってみました。そして、姉の化粧台の中からファンデーションを取り出し、パタパタと塗ってみました。顔が白くなりました。口紅をも引いてみました。鏡を見ると、別人の私がいました。私は気分が高揚し、姉のブラジャーをこっそりと着けてみました。姉のスカートも借りました。なんだか、股間がスースーして、不思議な異様な感覚を覚えました。そして、蜜柑を二つ、ブラジャーの中へとそっと忍ばせました。ズシリと重い蜜柑は推定Fカップはあるかと思われます。姉だってそんなに大きい方ではありませんから、このような大きな乳房を目にするのは(歴代の彼女が小ぶりな乳房が多かったものですから)初めてに近いかもしれません。私、意外と化粧をした顔には自信があるんです。自分で言うのもなんですが、小顔なもんで(その分、背も低いのが難点ですが)、女性に見えるんです。

 

 街へ出るのにも一苦労です。まずはご近所さんに見つからないように外に出ること。これが結構困難なことで。

 そろり、そろりと玄関の前で忍び足で、そしてキョロリ、キョロリ、とあたりを見回して、一気に外へと飛び出しました。

 

 まずは駅を目指しました。少し小走りに走ると、二つの乳房が揺れます。女性とは普段こんなにも走るのに邪魔なものをつけているのかと思うと、気の毒に思えてきます。そして、走っているうちに、何やら視線を感じました。そうです。男性の視線です。何やら、私の顔ではなく、どうもそれは乳房への視線であったのです。これは十分私に反省の余地を与えました。私も普段、女性の乳房に目がいくものですから、あ、これは相手は気づいているんだな、と女性の立場に立って初めてわかりました。

 

 駅の階段を昇り、切符を買い、改札を抜けると、またさらに上に昇ります。しかし、胸の蜜柑とはいえ、二つこんなものをつけていると随分と息苦しいものです。

 意外なことに気づいたんです。それは女性の視線です。女性もなぜか私の乳房を見ているんです。これは意外にも意外でした。

 

 プラットホームに普通電車が入ってきました。私はルーティーンに従って、右足から乗りました。空いている席を探して座ります。

 スカートなんて普段履き慣れないものですから、それに男性の私は足を閉じることを忘れていて、足を大きく広げたまま座ってしまいました。スースーと風が股間に入ってきて、そこでようやく気づいた私は足を閉じました。窓外に見える景色はいつもと違って見えました。男性であるときの見え方と女性であるときの見え方が違うんです。これは不思議です。私の中でもう男性ではなく女性の意識に変わっていました。

 

 地下鉄に乗り換えて、梅田を目指します。男性のアナウンスと女性のアナウンス、英語のアナウンス、いろんな声が入り混じって、しかも広告も入ります。

 

 梅田に着くと、私は一目散に紀伊国屋書店を目指しました。地下鉄の梅田駅から銀行やらカフェやらを通り過ぎて、エスカレーターが見えてきたらそれには乗らずに、向こうの階段を昇ります。そうすると、紀伊国屋書店が見えてきました。

 

 私は本屋さんが心底好きです。と言うのも、そんな人は少なくはないはずです。本屋さんが落ち着くと言う人は世間では多いはずですし、出版不況と言われる中でもこれだけ本が愛されるわけですから。町の本屋さんがどんどんなくなっていくのは寂しく思いますが。

 

 あれ、どうしたことでしょう。今まで私がイライラしていたことはいつの間にどこかに吹っ飛んでいったようです。怒りのコントロールがうまくいったのでしょうか。

 

 私、万年筆が大好きで、紀伊国屋書店の奥の方にも文具コーナーがあって、そこを見るのが大好きなのです。万年筆を見ているだけで落ち着くのです。インクもいろんなインクがあって、見ているだけでもワクワクします。でも、今日の目的はそれではありません。私は、蜜柑を置いて、逃げてくる、と言う目的があるのです。何としても、このミッションを成功させて、この紀伊国屋書店を木っ端微塵にして、と言う妄想であります。

 

 おっと、ブラジャーの肩紐がずれてきました。さっきも地下鉄の中で2回ほどずれましたが、こんなにもずれるものなんでしょうか。

 

 書店の中を色々と見て回りました。いろんな本が売れているようですね。そしてパソコンで色々検索できるみたいですね。とりあえず、気になっていた本を探すことにします。

 検索すると、どうやら入口近くにあるようです。私は入口の方へ向かいました。

 

 喉が渇いてきました。私は外へ出て、喉を潤すことにしました。ジュースを買い、飲みました。クー。うまい。喉を炭酸がシュワシュワっと駆け抜けていき、毛細血管まで広がるこの感覚は生きてる! って感じがします。そして私はまた紀伊国屋書店に戻るわけです。

 

 小説の棚を見て、ビジネス書の棚を見て、自己啓発本の棚を見て。

 表紙を見て、読みたくなったら広げて少しだけ立ち読みをします。ここまでは至って普通の本屋の使い方です。

 

 お、そうだ、そうだ。肝心なことを忘れていた。私は鞄の中から蜜柑を一つ取り出し、店内をウロウロと歩き回りました。

 私は思い当たるところをウロウロウロウロと回りました。ところが、実際に蜜柑を置くとなると、人が多く目立ちすぎて実行できません。どこへ置くのが適当か。迷いました。そして、実行します。私の中でもう一人の私が命令します。

「あそこがいい」

 そうして私が置いたのはレジの横のコーナーでした。

 蜜柑を置いて。

 ダッシュ。

 逃げました。

「お客様、お客様」

 店員が私を追いかけるように叫んでいます。私は一目散に逃げました。

「お客様、お客様」

 店員はずっと私を追いかけてきました。

 先ほどのジュースが効いたのか、催してきました。

 私は店員から逃げるようにトイレに駆け込みました。

「ふぅ。ここまで来れば安心だ」

 

 

 そう思っていた時、お爺さんに声をかけられました。

「姉ちゃん、ここ、男子トイレやで」

 あ、そうだ、女だったんだ、今。(了)

 

*最後までお読みいただきありがとうございました。