【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)大阪市平野区

 

 

 

 

平野公園の一角に鎮座されている、【赤留比売命神社】(あかるひめのみことじんじゃ)は、主祭神 阿加流比売神(あかるひめのかみ)をお祀りしている神社です。

 

現在は、杭全神社の境外末社となっていますが、かつては、住吉大社の末社でした。

 

 

由緒について;当社の祭神、赤留比売命は新羅(しらぎ)から来た女神で天之日矛(あめのひぼこ)の妻と伝える。

 

 

天之日矛(あめのひぼこ)は、記紀等に伝わる新羅の王子。父は新羅第4代国王脱解王(脱解尼師今)とされる。

『日本書紀』では「天日槍」、『古事記』では「天之日矛」、他文献では「日桙(ひぼこ)」のほか「天日槍命」・「天日桙命」・「海檜槍(あまのひぼこ)」とも表記される。

『日本神話』・『古事記』等では帰化人、『播磨国風土記』では神と位置づけて記述される。

出石神社(兵庫県豊岡市)
天之日矛(あめのひぼこ)が将来した神宝の神霊、およびアメノヒボコの神霊を祭神に祀る。

 

 

 

当地を開発した渡来氏族の氏神として、その創建は詳(つまびら)かではないが、平安時代につくられた延喜式神名帳(えんぎしきしんめいちょう)に当社が記載されている。俗に三十歩社(さんじゅうぶしゃ)と呼ばれるのは、古来から祈雨(きう)の神とされ、室町時代の応永年間(おうえいねんかん)に干ばつがあり、僧の覚証(かくしょう)が雨乞いのため、法華経(ほけきょう)三十部を読経し霊験を得た故事によるとか、当時の境内地の広さが三十歩であったによると伝える。

 

またかつて住吉大社の末社であった由縁で、七月三十一日に行われる同社の例大祭「荒和大祓」(あらにごのおおはらい)に、当地の七名家(ひちみょうけ)より桔梗(ききょう)の造花を捧げる慣例となっている。

 

 

明治三十年に背戸口町より移された境内末社、天満宮、琴平神社とともに、大正三年、杭全神社境外末社となり今日に至っている。社殿背後の土塁(どるい)と松山池は環濠集落(かんごうしゅうらく)の名残りが見られる数少ない場所の一つである。 

 

 

 

 

 

住所:大阪府大阪市平野区平野宮町2-1-67

 

アクセス:大阪シティバス「平野公園前」下車 北約100m

 

 

 

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