リハビリ目的の病院で、少しずつ出来ることが増え、歩行器で歩くところまで回復していました。

9月下旬、父から電話が着ました。お母さん、がんが再発した、病院の先生からは年内頑張れるか分からないと言われたと。先生からはお母さんに話すかどうしますかって言われたけど、決められないという事でした。私は何も言えませんでした。余命宣告は難しいところです。一番見ているのは父です。なので、言ったほうが良いと思えば言ってもらえばいいし、辞めようと思えば辞めればいい。私は父の選択を尊重しようと決めました。

母とは少し話は出来ました。他愛のない話です。仕事頑張ってねとか、身体大事にねとか。いつもなら話が尽きないと言わんばかりに話をするのですが、お互い口数が少ない状態でした。

10月になると話が出来なくなる日が増えてきて、会話が難しい状態だったようです。それでも、私の誕生日までは頑張ってくれました。10月21日の夜に亡くなったと父から電話がありました。10月21日は私の誕生日の2日後でした。

通夜、告別式には親交のあった方が来てくださり、お別れをしてくれました。皆さんには本当に感謝しかありません。



母への余命宣告ですが、父は最期まで言えなかったそうです。9月末、佐賀から母の妹が面会に来て、話をしたそうです。そこで母は長くないことを悟ったようでした。母は父を責めることはしなかったそうです。
母の闘病、看取りを通して、余命宣告をするかしないか難しい問題だと思いました。正解がないからです。これからずっと、これで良かったのだろうかと自問する日々になるのかなと思います。

長々とした文章ですが、備忘録として残しておきます。