須賀川の旅4 | 今村和代オフィシャルブログ「カラフルライフ~オレンジ色の雲のように~」Powered by Ameba

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大嵐じゃのうぅ~。
じめじめしていて、気分が落ち気味じゃのぅぅ~。
そんな時は、須賀川の旅を思い出すかのぅ。
そんな訳で、4。

市役所を後にして、商工会議所に一旦戻り、その周辺を30分程案内していただきました。

須賀川という街は、別名「馬の背の街」と呼ばれているそうで、
地図で見ると、馬の胴体のような形に見えるので、そう呼ばれています。
坂が大変多く、全部で24本。
それぞれに、由来があり、物語があるそうです。

まずは、治部稲荷坂を歩きました。
治部稲荷には、戦国時代末期の須賀川領主二階堂氏の一族で須賀川城代を勤めた、
治部大輔が奉られているそうです。

写真は、庚申坂。通称、鍋転がしの坂。
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結構、細めの急勾配な坂です。
かつて、坂の上に鋳物屋があり、出来上がった鍋等を転がし出来具合を確かめた、
といわれることから、この名称が広くつかわれているそうです。
想像していたら、とても味のある光景が浮かんで来ました。
ふっと、時代を遡っての映像が、頭の中で映画の一遍の様に流れました。
JINじゃないけど、その時代にタイムスリップしてみたい・・・とも。

十念寺の芭蕉の句碑
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芭蕉さん絡みの代物が多いのです。

須賀川は、室町、戦国時代は城下町、江戸時代は宿場町、
明治時代は商工業の盛んな地として栄えた町だったそうです。
まぁ、神社仏閣の多いこと。
立派なお寺が、並んで建ってたりするんですよ。
その昔、須賀川は、唯一の自治都市だったのだそうです。
全ては、自分たちで賄えるほどの、裕福な街だったそうです。
ここに、歴史有りですな。

地震で綺麗に倒れてしまった石柱。
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歴史を感じさせる物が、倒壊した姿は寂しいです。
昔から、大切に守られてきた町が、ここにもあるんだなぁと、改めて感じました。

あと、少し、廻ったところの写真なぞございますので、また次回。

それが、本日か明日かは、分かりませんが・・・

では、皆様本日も小さな幸せ見つけます。

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