お久しぶりです。

ペタをいただいていた皆さん、ご訪問できずにスイマセンです。

ここ数日、絶不調でございました…(>_<) 

またお邪魔しに行きたいと思いますのでヨロシクお願いします。

さて…

毎日、検察の証拠データ改ざんのニュースが飛びかっていますね。

三権分立法治国家としての根幹を揺るがす大事件だと思ってる方もいれば、「また?」的に感じている方もおられるでしょう。

そして、改ざんとともに問題視されているのが「隠ぺい」です。

これこそ「また?」的に感じますが…

さてさて…まず「隠ぺい」をした事ない方がおられるものか確認しておきたいところですね。「嘘」も然り。

誰でも「し得る」こと。

誰でもしてる事なのに、したら叩かれる。

決して「隠ぺい肯定」ではないです。

ただ、クローズアップするところが違うのかなぁ…と思って…

誰でもし得る事なのに、これだけ叩かれるのは、「責任が重い」から。

隠ぺいする事で、どんな責任を「放棄」したのか?をもっと扱えないかな~と思います。

民間企業の隠ぺいと、検察の隠ぺいでは…背負っている責任の違いから、同じように報じるのはいかがなものか…と思います。

日本人は、長い年月をかけて“村社会=横並び好き”の文化を築き、その中で「責任を取らなくても済む」システムを取り入れてきたように感じます。

それがつまり…限られた集団の中での「まぁ別にいいんじゃないの?」つまり「隠ぺい」を生むシステムですね。

「不倫は文化だ」なんて言った方がおられましたが、「隠ぺいは文化だ」的な感じでしょうか…

考えてみれば…「責任を取る」という事がどういう事なのか?を学校で習いました? 親から教えてもらいました?

今回の検察の問題は、確かに深刻な問題ですが、同時に…「責任」というものについて考えてみたいですね。

自分自身は…どんな立場でも責任が取れるのか?