参議院文教科学委員会にて委嘱審査を行いました | 丸山和也 オフィシャルブログ「みんなで創ろう感動と挑戦」Powered by Ameba

参議院文教科学委員会にて委嘱審査を行いました

7日午前、平成27年度一般会計予算などにつき、予算委員会から審査の委嘱を受けて開かれた文教科学委員会にて、丸山和也委員は下村博文文部科学大臣に対し、「ロースクール制度創設の意義」、「道徳教育のあり方」をテーマに30分間、質疑を行いました。

以下、会議録を掲載致します。
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189-参-文教科学委員会-004号 2015年04月07日

○委員長(水落敏栄君) ただいまから文教科学委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告をいたします。
 去る一日、平木大作君が委員を辞任され、その補欠として秋野公造君が選任されました。
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○委員長(水落敏栄君) 政府参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 委嘱審査のため、本日の委員会に、理事会協議のとおり、内閣官房日本経済再生総合事務局次長田中茂明君外十三名を政府参考人として出席を求め、その説明を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○委員長(水落敏栄君) 御異議ないと認め、さよう決定します。
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○委員長(水落敏栄君) 去る三月三十日、予算委員会から、本日一日間、平成二十七年度一般会計予算、同特別会計予算、同政府関係機関予算中、文部科学省所管について審査の委嘱がございました。
 この際、本件を議題といたします。
 予算の説明につきましては既に聴取しておりますので、これより質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。

(中略)

○丸山和也君 自民党の丸山でございます。今日は二点、いわゆるロースクール制度の問題とそれから道徳教育という、この大きな視点から質問したいと思います。
 ロースクール制度がつくられてもう十年を超えるんですけれども、そもそも日本の司法というのはそんなに強くなくて、むしろ私は、アベノミクスの第四の矢というのは司法の強化ではないかと思って、個人的にはそういうことをいろいろ発信しているんですけれども、大臣はこの前、所信の中で第四の矢ということで別の意味で使われていたんですけれども、まさに司法も、日本というのはこれから司法を強くしていかないと、日本の国というのは世界の中で立ち行かなくなってくると私は思っているんですね。
 それで、例えば司法試験という合格者数を見まして、日本は直近で千八百何十人か、それで例えば隣の、隣国中国というのは、はっきりした数字は分かりませんけれども、四万人から五万人の毎年合格者が出ていると言われているんですね。二千人弱と四万人の合格者を出す国が隣り合わせにいるんですね。だから、彼らは資格を取って必ずしも弁護士になるわけじゃないですけれども、リーガルな知識を持ってまた世界各地で、中国だけじゃなくて世界各地で議論を展開し、また、紛争を有利に解決するために闘っていく戦士になっていくわけですね。
 そういうのを見ていますと、いや、アジアがこれから中心の、社会の中で大きな成長力を持った、潜在的可能性を持った国だと言われているんですけれども、当然、企業の活動、個人の交流、それから国と国とのいろんな関係がやっぱり熱くヒートアップしていくと思うんですね。これは必ずしも悪いことじゃなくて、堂々と自己の権利、主張をしていく、価値観を通していく中で避けて通れない道であるし、グローバルな社会では常識だと思うんですね。そういう中で、非常に日本の司法が脆弱であると。こういう点から、私は、この司法制度改革も国民の中に身近な司法ということとともに、国際社会の中で日本の強い司法をつくっていくということも大きな目的であったんではないかと思うんですね。
 それから、もう二十五、六年前になりますけれども、レーガン大統領が登場してきた頃は、やっぱりアメリカも結構、日本に産業競争力という意味では押され押されていたんですね。それで、レーガンの言っていた言葉に、安倍さんの言葉ともちょっと似ていますけれども、強いアメリカの復権、安倍さんは日本を取り戻すという自民党のスローガンでありますけれども。やっぱりあの頃、レーガン出てきて、日本の産業競争力を見てみますと、日本の製品はまずクオリティーがいいと。それから、価格競争力においても安いというか強いと。さらに、アフターサービスも優れていると。これじゃ日本に勝てない、当面勝てないということで非常に危機感を持った。ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた頃ですけれども。
 その中で、レーガンが戦略的に、じゃ、日本の弱い点はどこかと、徹底的に探せということで、政府の命令で委員会をつくってまで研究したそうです。レポートもありますが。それによると、日本が決定的に弱いのは紛争解決力だと。要するに、紛争に対して闘う力が、戦闘力がないと、ノウハウの蓄積もないということを発見したと。それ以後、知財含め、プロダクトライアビリティーあるいはその他のいろんな訴訟を圧倒的に日本の大企業に対して、中心に訴訟を提起してきました。ほとんど日本はやられました、無条件降伏に近いような形で。莫大な金も払わされました。
 そして、日本は大変痛い目に遭ったわけでありますけれども、こういうことも契機になって、やっぱり最後は司法の争いといいますか、紛争の中で勝たないと本当の正当な評価は得られないと、不当な闘いにも負けてしまうということも反省もあって、やっぱり日本に強い司法をつくろうということで、大きな司法制度改革の中でこのロースクール制度もできたんじゃないかと。そして、多くの法曹を輩出し、国際的にも日本の企業、個人の利益、そして国の利益を守れる、そういう社会をつくっていこうということでこのロースクール制度もできたんじゃないかと思って私はいるんですけれども、この点について下村大臣はどのような御認識をお持ちなのか、お聞きしたいと思います。

○国務大臣(下村博文君) 丸山先生のおっしゃったことはそのとおりであるというふうに思います。ただ、なかなか、今の法科大学院もそうですが、グローバル社会に対応していくための司法関係者をどう養成するかというところまで行っていない部分があって、国内問題だけで終始議論されているし、また、対処策としてもそのようになってしまっている部分があるのではないかと、それが今法科大学院の改革が言われているゆえんでもあるのではないかと思います。
 これからの二十一世紀の司法を支えるふさわしい法曹を養成していくためには、そういう意味で、日本国内では和をもって貴しとなす、共生的な和の精神、それはそれで大切にしていかなければなりませんし、司法による決着よりは、よく飲みニケーションと言われますが、そういう世界、それは今までの日本のプラス点でもありましたが、しかし国際社会はもう通用しませんから、国際社会の中ではやはりきちっとした司法の人材を育成していくと。まさに今おっしゃった紛争解決能力をどう身に付けるかということが必要だと思いますし、そのために、今までのような国家試験ではなく、法科大学院を中核とするプロセスとしての法曹養成制度、それを発展させると、そういう趣旨がこの法科大学院設置のときにあったのではないかと思います。
 この法科大学院については、司法制度改革以前に比べて、そういう意味では幅広くかつ多様な分野で活躍する人材を輩出するなど一定の成果を上げてきたということはありましたが、一方で、志願者、入学者の減少や司法試験合格率のばらつきなど、早急に取り組むべき課題そのものが顕在化してきたということも事実であります。
 こうした課題に対し、プロセス養成の安定化に向けて、昨年十一月に、組織見直しの促進、教育の質の向上、誰もが法科大学院で学べる環境づくりを柱とする総合的な改革方策を公表したところであります。これに従って法科大学院の抜本改革を迅速に進めるということと同時に、これからグローバル社会の中で、ある意味ではもう法的な紛争を解決するための人材養成をしていかなければ我が国そのものが経済成長にもマイナスとなってしまうというような、人材育成が同時に問われていると思いますから、そういう視点というのはこれまで余り法科大学院の人材育成の中でも議論されて十分に来なかった部分もあると思いますので、新たなニーズに対応した対処策についてしっかり検討し、また進めていく必要があると思います。

○丸山和也君 まさにおっしゃったように、非常にこれ危機的状況だと思っているんですね。なかなか目標を作っても、日本の社会というか、法曹も含めて、そう変わっていけない、いかないということですね。
 私も司法制度調査会の責任者としていろいろ考えているんですけれども、なかなか、かといって何千人を輩出して、合格者を出して、それでいいんだというふうに、日本はやはり非常に調和型の社会ですし、それから法曹資格者の就職ということも真剣に考えますものですから、就職できない人が何人いたっていいんじゃないかという議論になかなかならなくて、しかし、他方ではやっぱり質、量共に充実させていかないと、やっぱりこういう危機的状況というのは、アメリカ、欧米に対してだけでなく、先ほど言いました中国等を含めて、あるいは韓国等を含めて、国際的な司法的闘争力に非常に弱いというか、欠けているという点を是非強い危機意識を持って解決していくという必要があると思うんですね。
 それに関連しますけど、知財に関しても、例えば日本の特許侵害訴訟というのは大体年間二百件と言われている。アメリカは年間約四千件、中国は年間約八千件。知財立国と言われて久しいんですが、たくさんの知的財産持っているんですけど、これの侵害とか紛争もたくさんあるんですけれども、なかなか訴訟までして白黒付けるということは日本の社会ではなかなかやらない。何となく、お互い、もごもごというか、手を握り合って適当なところで妥協をする、和解する。これは一面、何でもかんでも争いにしないといういい面もあるんですけれども、こういうスタイルというのがやはり、大臣もおっしゃったように、国際社会ではなかなか通用しない、特に知財では通用しない。だから、なかなかそのノウハウなり力量が蓄積されないんですね、国内においては、ローヤーあるいは弁理士の中においても。
 したがって、こういう紛争が起こっても、日本で訴訟をやっても、これが、そういうサポートする能力ある専門家が少ないということと、それから裁判所で認める賠償額というのは非常に低いと、恐らく十分の一から百分の一だと思うんですね、アメリカやあれと比べると。日本で一億円賠償額が認められたとすると、簡単にはいきませんけれども、アメリカだったら百億円は認められると。すると、誰も日本で起こさなくなってくる。外国の企業もばかばかしいと。しかも、時間が掛かるということですね。
 知財高裁もできたんですけど、日本の特許侵害訴訟の場はあるんですけれども、国際的に見て、非常にこれがむしろ増えるどころか減ってきていると。かつての特許庁長官荒井さん、私もちょっと本を持ってきましたけれども、「知財立国が危ない」という本を出されていると。本当に、なかなか土俵はできたんだけど活用されていないと、変わっていかないというか、これも一つの非常に知財を側面から見た司法の危機だと思うんですね。
 そして、私は、これはどういうところに一つ大きな原因があるかと思うと、やっぱり日本の良き伝統である調和型、あるいは集団型、組織社会の中で、権利を主張して物事を堂々と解決していくということがなかなかやりにくい社会だと。あるいは、それは教育においても、やっぱり協調性が重んじられる、和が重んじられるということで、権利を主張して闘うということをややマイナスに評価する側面が強過ぎるんじゃないかと思うんですね。すると、小さな世界ではいいんですけど、広く世界に出ていくと太刀打ちできないという。
 私も海外での経験が幾つかありますけれども、やっぱり戦闘力が落ちるんですね。日本国家の、日本人の、日本企業の国際的な戦闘力というのはやっぱり弱いですよ。だから、闘う前から飲み込まれているというか、やられちゃうんですね。これは何度も悔しい思いをしましたけれども。
 そういう意味で、私は何も紛争を起こせと言っているんじゃないですけれども、強い日本人、強い企業、強い国家をつくっていくためには司法の力を強化していく以外にないと言ったら言い過ぎかも分かりませんけれども、極めて大事だと。教育においても、こういう観点から日本人を鍛え上げていくという、堂々と優しさを持ちながらも戦う戦闘能力の強い日本人をつくっていかないと、世界の中でやっぱり生き残れないというか、堂々と正しいことが主張できないように思うんですね。
 ですから、是非、文部大臣においては、こういう観点から、大所高所から教育行政をつかさどっていただきたいということをお願いして、次の、大臣の、今日是非お聞きしたいと思っていたんですけれども、道徳教育のことについてお聞きしたいと思うんですけれども。
 日本でも道徳教育の重視が叫ばれてきました。そして、私は、これは反対じゃないんですけれども、ひとつ今日はある角度から人間教育と道徳教育の違いというか、あるいは違いがあるのかないのか、力点の置き方はどこにある。私は、人間教育というのは教育の根本だと思うんですけれども、しかし、道徳教育というのも大事だと思うんですけれども、このさじ加減の違いというか、どこがどういうふうに人間教育と道徳教育は違うんでしょうか、あるいは同じなんでしょうか。
 大臣、ひとつお聞きしたいと思っています。

○国務大臣(下村博文君) 非常に本質的な御質問をいただきました。人間教育と道徳教育の違いは何かということでありますが。
 まず道徳教育は、これは学校で行う今度の道徳の特別の教科化、その位置付けでありますけれども、それは教育基本法において、教育の目的として人格の完成を目指すことが示されております。人格の基盤となるのが道徳性であり、その道徳性を育てる道徳教育には時代を超えた普遍的な必要性、重要性があるというふうに考えます。さらに、自らを律しつつ他者とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの道徳性を育む道徳教育の必要性、これはグローバル化の進展の価値観の多様化の中で、先が見通せない今だからこそますます強まっているものではないかというふうに思います。
 そういう意味で、具体的に子供たちに今までの道徳と、それから、これから道徳の教科化の中で具体的に求めるものは何かということについて申し上げたいと思うんですが、今まではそもそも教科書もありませんでしたけれども、副読本とかがあって、それを教師が副読本を子供に読ませたり自分が読んで、この内容についてはこんなふうに解釈することが必要ではないかというような、ある意味では、これはどちらかというと、教師の指導書に、この物語はこういうふうに読み取るべきだというふうな、沿った、そういう道徳の教え方をしていた部分が多かったのではないかと。
 今度、道徳の特別の教科化で目指すものは、教科書を作りますが、その教科書を、これはこんなふうに読み取るべきだということを教員が指導するということではなくて、物語を読んで、例えば正義というのも一つしか正しいものがないということではなくて、いろんな見方があるわけであります。ですから、一つの物語も読むことによって、A君から見たらこの物語は登場人物はこんな心情でこんなふうに考えるべきではないかと、B君から見たらまた違うことがあるかもしれません。そういうふうにアクティブラーニングといいますか、子供たちにそれぞれ自分の意見、主張をさせることによって、その中で正解は一つではないけれども、しかし、人がより良く生きていくためにどう考えるかということを問題提起をする場として、新たな道徳の特別の教科化として位置付ける。そのことによって、それぞれ人格の完成を目的とする教育基本法にものっとった、そういう教育の不易的なものとしての普遍性、それを大切にしていく必要があるのではないかということ。
 それから、あとは発達段階に応じてですから、やっぱり社会におけるルールとかマナーとか、基本的な人間関係どうすべきかというような、ごく、そういう意味での基本的なことも教えるところは教える必要があると思います。人間学というのはもっと本質的な部分で、人が人としてどう生きるか、幸せというのは何なのか、人生というのはどう生きるべきかと。これは先ほどのように正解、解答があるわけではなくて、人によってみんなそれぞれ違うというふうに思います。
 ですから、もうちょっと発達段階が経た中で人間学的なものというのはこれは問われてくると思いますが、まずは小中学校における部分は、人間学というよりはもうちょっと基礎、基本としての人の生き方という意味での道徳、それが違いとしてあるのではないかというふうに考えます。

○丸山和也君 ありがとうございました。
 今大臣がおっしゃった言葉を引用させていただくと、正義は必ずしも一つでないという言葉がありまして、一つの象徴的な、あっ、余りにすばらしいお答えなので興奮しまして、覆水盆に戻りますから。
 今おっしゃった、私がなぜそういう質問をさせていただいたかというと、やっぱり人間学というのは、あるいは人間をつくるということは、より根本的な、根源的な問題だと思うんですね。それで、道徳というと、もしかすると、あるいは目的性が入ったり思想性が入ったり、あるいは時の為政者の意向が強く入るというような批判もあることもあります。そういう意味で、道徳というのはやや目的的な点がある側面もあると思うんですね。
 ですから、余り型にはめた道徳を押し付けるとなると、これはやっぱり一つの、非常に道徳の型にはまった品行方正な、道徳的にすばらしい人間はできるかもしれないけれども、ダイナミックな、あるいは奥深い、あるいは道徳的にはちょっと問題あるけれどもすばらしい面白い人だなとか、あるいはいろいろな人が……(発言する者あり)いや、私のことじゃないですよ、やじが飛びましたので。そういう活発な人間ができなくなるかも分からないということで、やっぱり僕は、根源的には人間を育てるということが教育の本質だと思うんで、そこからやっぱり更に各論として道徳というのもあり得るんじゃないかと思っているんですね。
 そして、今大臣の答弁の中で、低学年と高学年を少し分けて話されましたし、お話聞いていますと、道徳を通じて更に人間学まで、あるいは人間の部分まで迫っていくんだというようなお言葉もありまして、ちょっと安心したんですけれども。
 ですから、小さな枠にはめた道徳ということになりますと、やっぱりこれはいろんな価値観もありますし、考え方もありますし、それから世界中やっぱり基準もいろいろ違いますから、そういう意味で、人を育てる役所としては、何といいますか、そこの違いも意識して、道徳の教育においては究極は、究極は人間なんだと、人間を育てるんだと、その一つの現実的な在り方として道徳というものがこういうふうに重要なんだという、そこら辺をしっかり踏まえていただきたいと思うんですね。
 そして、今日は大臣ばっかりお聞きしますけれども、大臣は、国会木鶏クラブというクラブがあるそうなんですけれども、それの会長をやられているとお聞きしたんですけれども、私の知っている範囲では、木鶏クラブというのはいわゆる雑誌、「致知」という雑誌がございますけれども、この「致知」の愛読者が中心となってというか、愛読する方々がそこから思想的に、よし、まさに人間学を勉強しようというか競い合おうということでそういうグループがつくられて活動されていると聞いているんですけれども、そういう理解でよろしいんでしょうか、木鶏クラブについて。

○国務大臣(下村博文君) 御質問ありがとうございます。
 月刊誌の「致知」というのは、普通の本屋さんで売られている本ではなくて、定期購読者だけで成り立っている、それが十万人いるということですから、大変すばらしいことだと思うんですが、人間学を求める、そういう月刊誌であります。より良い生き方を学んでいくことを目的として、この月刊誌の「致知」をテキストに購読者の方々が全国各地に木鶏クラブというのをつくって自主運営をされておられます。
 木鶏というのは、御承知だとは思いますが、荘子に収められている故事に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じない闘鶏における最強の状態を表す言葉で、道を体得した人物は他者に惑わされることなく鎮座しているだけで衆人の範となる、そういう意味があって木鶏という言葉を使っているというふうに聞いております。
 その中で、国会の中で、結構国会議員の中でこの「致知」を購読されている方が多いということを聞いて、国会の中に木鶏クラブをつくるということになりまして、特に国会の中でございますので、この月刊「致知」をテキストというよりは、この「致知」に出てくる、よく執筆されているような方に講師になっていただいて、そして人間学を学ぼうということで、国会議員五十人近くが二月に一度ぐらいでありますが開催をさせていただいておりまして、その会長をさせていただいております。

○丸山和也君 こういういろんな活動というのはすばらしいと思います。恐らく超党派だと思うんですけれども、いろんな政治的主義主張を超えた方々が集まって、所詮は、所詮というよりは、究極は人間ですから、そういう人間の原点に立ち戻って深めていこうということで、非常にすばらしいと思うんですね。
 かつては国会にもいろいろこういう会があったようですけれども、今はかなり少ないと思うんですね。ですから、是非活発にやっていただきたいと、まあ私は一回も行ったことはないんですけれども。私も、月一回この参議院の地下の道場で座禅会のようなのをやっていまして、もう五年になるんですけれども、何名かの国会議員の方も来ていただいたり、(発言する者あり)いや、外国人はまだ来ていないんですけれどもね、日本の国会議員の方、それから秘書の方がたくさん来られて、毎回二十名ぐらいでやっているんですけれども。
 こういう台湾の李登輝前総統が日本の国会議員に宛てたメッセージを書かれた本を読ませていただいたんですけれども、やっぱりこれやや批判的に、批判的というか叱咤激励の意味で書かれているのを読ませていただくと、最近の国会議員というか日本の政治家というのは非常に優秀な人が多いけれども、それで忙しく勉強はよくするけれども、人物の勉強、人物を究めるという努力は非常に怠っているんじゃないかと、それをほとんどやっていないんじゃないかというふうに書かれていますね。
 だから、そこで李登輝さんがおっしゃっているのは、一例ですけれども、例えば黙々と便所掃除をすると、そんなことをやっても誰も見ていないし汚いしと、あるいは瞑想をするとか座禅をするとか、あるいは木鶏クラブもそうでしょうけど、まさに人間の修養ということをせずしてリーダーとして立ち行く箔がないと。そういう政治家ばかりが増えると、頭はいいけれどもやっぱりリーダーにはなり得ないんだと、本当のリーダーになり得ないと。すると、日本という国全体がそういう人たちで成り立ってしまうと。やっぱり日本のグローバルの中での尊敬なり一目置かれる存在にはなかなかなり得ないんだということを日本に対して叱咤激励する意味で書かれているところを読みまして、やっぱり政治家というのは政策の勉強はもちろん大事なんでしょうけれども、魂を磨くというか、先ほど大臣がおっしゃったように人間を研究するというかつくっていくという、こういうことが極めて大事で、まさにこれが教育の根幹だと思うんですね。
 そういう意味で、文科省というのは法務省と並べて私は最も大事な役所じゃないかと思っていますので、司法の戦闘力と、それから人間をつくるという意味で、是非大臣には、今般大臣にはいろいろありましたようですけれども、とにかく、まさに木鶏を目指すということで頑張っていただかないと困ると、また是非頑張っていただきたいということを申し上げて、私の質問を終わらせていただきます。
 以上です。

(中略)

○委員長(水落敏栄君) 以上をもちまして、平成二十七年度一般会計予算、同特別会計予算、同政府関係機関予算中、文部科学省所管についての委嘱審査は終了いたしました。
 なお、委嘱審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○委員長(水落敏栄君) 御異議ないと認め、さよう決定します。
 本日はこれにて散会します。
   午後二時五十六分散会
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15040701bunkyo
参議院文教科学委員会

15040702bunkyo
質疑に立つ丸山和也委員

15040703bunkyo
答弁に立つ下村博文文部科学大臣