一水会講演録その4 | 丸山和也 オフィシャルブログ「みんなで創ろう感動と挑戦」Powered by Ameba

一水会講演録その4

 政治家の保身が国益を踏みにじる―船長釈放の愚行

 現代の政治では、残念なことに政治に人物は求められませんね。話題になるのは政策、演説、または政治的駆け引きばかりで哲学は顧みられなくなっています。
 李登輝・元台湾総統は「戦後の日本の政治家が小粒で駄目になった最大の理由は、人としての修業をしなくなったからだ」と語っています。そして、人としての修業とは「精神の修行であり、その一例として便所掃除とか人の嫌がることを自ら進んでやる事」であると説明しています。
 かつて、その様な人間像が評価対象とされていた時代がありましたが、現代ではそういった評価は一顧だにされません。政策の評価ばかりが先行する。それが、現代日本において政策面では優秀で専門家も多く生まれる一方、器の大きい政治家を見出せなくなった原因ではないでしょうか。
 ペラペラ喋る事のできる政治家はたくさんいますが、本当の人物といえるような政治家は本当に少なくなりました。
 政治家が国益よりも自己保身に走った典型的な例は、先の民主党政権における尖閣沖漁船衝突事件の対応に見る事ができます。
 あの当時、政府関係者は逮捕した中国人船長の処分について「法に従って粛々と進める」とコメントしていました。しかしあっさりと釈放してしまいました。これはどう考えてもおかしい話です。私はその時、仙谷由人官房長官(当時)に電話で問い質しました。
 逮捕された船長は当然、起訴され判決を受けその後強制送還されるべきであり、これが本来の「法に従って~」の流れではないのかと。しかし、「そんなことしたら(来月に開催される)AEPCが吹っ飛んでしまうわ」と彼は答えました。そこで私が、それでは日本が中国の属国みたいではないかと追求すると、彼は米国をも意識したのかもしれませんがあろうことか「日本は今でもそんなもんやないか」と答えたのです。
 国益が絡む問題なので、後に国会でも追及しましたが、彼ははぐらかしてしまいました。その後記者にその件でのコメントを求められたとき、彼は私を指して「あんないい加減な弁護士のことは相手にしない」と言い放ちました。これは私だけの問題でなく、日本としての気概に関わる事件として捨て置けないので、訴訟を起こし、まだ係争中です。ただ、国家賠償請求(公務員である官房長官の行為の責任は国にあるとの法の理屈)となる関係で、今は形式上は国(その代表は安倍さん)が相手方になってしまい、やり辛いことになっていますが。
 なんにせよ、中国人船長の釈放は国際的に見てもおかしなものと報道されました。ちょっと騒げば日本は折れてしまう腰砕けの印象を全世界に与えてしまったと思います。中国船の領海侵犯が常態化したのも、この事件の釈放劇のせいでしょう。これは大きな失態でした。
 もう一つ重要なのは、先の船長釈放は一種の「指揮権発動」だったということです。政治が司法に介入する「指揮権発動」は、かつて一度だけありました。昭和二十九年の造船疑獄における法相の指揮権発動です。
 当時、佐藤栄作・自由党幹事長は収賄の疑いで逮捕されるだろうと言われていました。しかし、時の法相・犬養健は佐藤藤佐検事総長に取調べの中止を命じます。法相の指揮権発動により検察の追及はストップされ、佐藤幹事長は逮捕されずにすみました。しかし、政治の司法介入は世論の大きな批判を呼び、犬養法相は指揮権発動をしたその日に辞任、数ヵ月後に吉田内閣も総辞職しました。
 では、この尖閣沖事件における指揮権発動ではどうだったでしょう。船長釈放を指示したのは、仙谷官房長官でしかあり得ません。当時、菅首相は外遊で不在でした。彼は那覇地検の次席検事に「こんなもの起訴できるのか」と迫ったのでしょう。暗黙の圧力です。検事は会見で「日中の外交関係を配慮した苦渋の決断」としてコメントしました。でも外交関係を判断するのは本来検事の仕事ではないでしょう。検事は法律に従って粛々とやるだけです。
 造船疑獄と同じく、法相による指揮権発動として船長釈放をすれば世論は黙っていない。だから検察に責任を擦(なす)り付けたのです。この姑息な手段のおかげで国際的に日本の権威は失墜してしまいました。
 この事件当時、菅内閣は小沢一郎派との内紛に勝利して政権を作った直後で不安定な時期でした。念願の官房長官となった仙谷氏は、尖閣沖事件で内閣が崩壊することや、自らが長官の椅子から滑り落ちる事をより切実に恐れたのでしょう。結局自分達の地位を失いたくない為に取った行動が、国益を踏みにじったことになるのです。まさに気概を喪失した自己保身そのものです。
私はこの事件で義憤を覚えました。これは理屈を超えた心性から来るものです。この義憤という感情も日本人には普遍的なものであったはずです。歴史の節目節目で、義憤に駆られた行動が多く表れでます。
 もっとも資本主義、新自由主義、グローバル・スタンダードの世界では功利主義、合理性が優先されます。成功して富を為す事が重視される一方、心性は低く見られる傾向にあります。その意味で、心性の継承者である現代の右翼・一水会の使命は重いでしょう。