一水会講演録その2 | 丸山和也 オフィシャルブログ「みんなで創ろう感動と挑戦」Powered by Ameba

一水会講演録その2

 心性の継承者―現代右翼の系譜

 明治維新時に活躍した志士に西郷隆盛はご存知でしょうが、この西郷に影響を与えられた人物に頭山満がいます。
 頭山満は萩の乱に参加して捕らえられ、西南戦争の頃には投獄されていたので、西郷に会ってはいないのですが、後年、彼が鹿児島を訪ねた時、西郷が愛読していた本に出会います。それは大塩平八郎が書いた『洗心洞箚記(せんしんどうさっき)』でした。
 西郷はこの書をぼろぼろになるまで読み、大塩平八郎から大きな影響を受けたと思われます。大塩の詩に「鏡に対し鬢髪の乱るるを憂えず。ただ一心の乱るるを懼(おそ)れよ」というのがあり、西郷の詩にも「我が髪なお断つべし我が心截つべからず」(髪は断ち切ることができても心は断ち切れまい)―という同じ心性のものがあります。髪の毛―身だしなみより心―精神的なものを重要視したこの考え方は大塩平八郎、西郷隆盛、頭山満へと流れていたことになります。彼はこの本を借り受け、結局返さなかったそうです。それ程惚れ込んだのでしょう。
 こうしてみると、西郷と頭山に共通しているのは陽明学的に言うなら心のあり方だと言えます。思想、哲学としてまとめるのは非常に難しいと思いますが、西郷の「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり」―名誉も地位も欲しがらない人は使いにくい―「この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」―だが、そういう人でなければ国家の大事業は成し遂げられない―という遺訓の言葉にその考え方がよく表れています。この考え方が、頭山が設立した玄洋社の骨格ともなったのではないでしょうか。
 右翼と左翼の違いにも見ることができるでしょう。右翼とは心のあり方であり、それに共鳴する人達が集まったものです。一方、左翼は「理」ですね。右翼が「心」「腹」であるなら、左翼は「頭」であると言えます。
 これは東洋と西洋の大きな違いとも通低します。東洋的なものの考え方が「心」とすれば、西洋的なものの考え方は「頭」が根底にあると思います。
 かつて鈴木邦男・一水会顧問と対談した時、鈴木さんが「もう右翼はいりませんよ」と言われた事がありました。何か深い意味があるのだと思いますが、現代右翼の代表的な人物である鈴木さんが何故「右翼はいらない」と発言したのか―これにはかなり驚かされました。
 では右翼がなくなり、左翼もなくなれば何が残るのか。功利主義だけが残るのではないかと思います。
 まさに現在は左右両翼がなくなった功利主義だけの時代ではないでしょうか。誰かの為に命を投げ出してまで付き従うような人はなかなかいないでしょう。
 かつて西郷や頭山の周囲にはそういう人間が集まっていました。西郷の私学校に参加した人々は、明治政府に反対するという理論闘争をする目的で集まったのではなく、西郷隆盛に惚れ込んで命を捧げる為に集まったのだと思います。 
 魂の結び付きとも言えるこのエネルギーは、明治維新にも見られました。高杉晋作も野山獄に投獄された時「先生を慕うて漸く野山獄」という歌を詠んでいます。師・吉田松陰がかつて投獄されていた野山獄にようやく自分も入る事ができ、嬉しく思っているというのです。この様に惚れた人物と命を賭して一体化する事に喜びを感じるという「心性」をかつて日本人は持っていました。