「真希、どこにいるの」 | おさんぽ日記。

今でも、この記事を読むと、何かできることはないのか、考えてしまいます。


(2013年5月15日 毎日新聞)


東日本大震災:「真希、どこにいるの」捜し続ける両親


 東日本大震災で10メートル以上の津波に襲われた宮城県山元(やまもと)町。宮城海上保安部は15日、行方不明になった大久保真希さん(当時27歳)の両親の依頼で、勤務先の跡地近くの海を捜索した。見渡す限りの更地に、両親は毎週日曜日、真希さんが好きだった缶コーヒーを置いてきた。「どこにいるの。会いたい」。この日も手がかりは見つからず、真希さんの帰りを待つ日々が続く。


 真希さんの勤務先は36人が死亡・行方不明になった常磐(じょうばん)山元(やまもと)自動車学校。父三夫さん(60)と母恵子さん(55)は震災後1カ月間、海岸で真希さんを毎日捜し回った。目の前には、なぎ倒された松林、大きくえぐられた浜辺の水たまり、延々と連なるがれき--。日曜日には、真希さんが好きだったブラックの缶コーヒーを持って学校跡地を訪れ、「好きなお菓子を持ってきたよ」「今日は風が冷たいね」と、親子のティータイムを過ごしてきた。


 2年以上が経過した今、がれきの撤去も終わり、表面上は静かな浜辺に戻った。「ここも捜した、あそこも捜した」と三夫さん。「こんなに海辺がきれいになってね。どんどん捜せる所がなくなっちゃったね」と恵子さんは涙を拭いながら、毎週浜辺を歩き続ける。


 震災の行方不明者は宮城県内で今なお1312人(10日現在、県まとめ)。県警は毎月11日の月命日などに沿岸部を一斉捜索するほか、県警と海保は、行方不明者の家族らの要請に応じて個別に捜索に協力している。同海保が家族の捜索要請に応えたのは今年3回目。同校跡地の約4キロ先の漁港を中心に午前9時から、水中ソナーも使ってダイバーら約30人が捜索したが、終了した午後3時までに手がかりは見つからなかった。同部警備救難課の古郡伸一課長は「丁寧に捜索することが、ご家族の心の支えになることを願っている」と話していた。


 恵子さんは「すぐに帰ってこられない場所にいるんだろうね。でも真希ちゃん、大丈夫だよ。必ず迎えに行ってあげるからね」と太平洋を見つめた。


(記事URL:http://mainichi.jp/select/news/20130516k0000m040



今も、娘さんを捜し待ち続けるご両親。


毎月11日は、警察も行方不明者の捜索を行うが、やはり、それだけでは足りないのだと思う。


何か自分のできることを始めてみようと思います。