私の中学時代は、嫌な思いでばかりが蘇ってきます。
そうは言っても、1,2年は何事もなく学校生活を送っていました。
そう、いじめが始まるまでですね。それまでは、友達と言える人達で学校中は溢れていました。
いじめの原因は何だったかは、私もあまり詳しくは分かりません。
いじめ以降も唯一普通に接してくれていたY君が言うには、私があるグループの1人からゲームソフトを盗んだ犯人だと言うのです。
私には、『はっ?』と、意味不明でした。
全く身に覚えもないし、『なぜ?俺が』と驚きました。
なぜなら、当時、私の家にゲーム機は一つもありませんでしたから、ゲームソフトを持っていても意味が無いのです。ソフトを売る目的で盗んだと言われれば、どうしようもないですが。そう思われたんでしょうね。
記憶をたどってみました。
私が通っていた中学校は、田舎で、全員が小学校からの持ち上がりだしそこまで仲の悪いグループ通しはありませんでした。
ある日、私は友達に誘われて、いつもは遊ばないあるグループの家に行きました。他にもそのグループのメンツが2人ほどいたと思います。
私は、あまりそのグループが好きでなかったので、もしかしたら、初めて一緒に遊んだかもしれません。多分、ゲームなどで遊んだと思います。
恐らく、この時に、ゲームソフトが無くなったので、普段は遊ばない私が犯人になったんだと考えられます。誘ってきた友達は、そのグループと仲が良かったです。
当時、私は人生初のモテ期?で、ちょっと調子にも乗っていました。顔は昔も今もブサイクですが、雰囲気(口下手がクール?だと思われた)と髪型と顔面骨格の成長が奇跡のマッチングを引き起こしたんだと思います(笑)
恐らく、そのグループも私の事を良くは思っていなくて、そのグループにはめられたのか、本当にその中の1人が盗んだのかはもはや知る術はありませんが、盗人=私という、虚構が完成されました。
その事件以降は、私の扱いは酷いものになりました。
そのデマが学校中に知れ渡り、1人を除いてほぼ男女全員からの無視、悪口、イタズラが始まりました。
勿論、小学校からの親友も私から離れていきました。
そのうち、Y君も周りに影響されて、私と登下校で一緒に帰るのが
気まずくなり、私を避けるようになりました。
いじめられた人には分かると思いますが、休み時間、給食、教室移動は地獄、授業中は天国。体育は別ですが。
当時は、必死に自分の存在をクラスの中から消そうとした。そう空気になりたかった。
何をするのも1人で、人が話してると、僕の事をいわれてるんじゃないかってすごく気になりました。人が笑っていると、僕の事を笑っているんじゃないかと。そういう気持ちが強くなれば強くなるほど、心の中で、『私の事じゃない』と何度もいいきかせました。そうしないと、私が壊れてしまいそうなので。
無視は慣れましたが、悪口は私の自尊心と自我をズタズタにしました。私という人物を壊しました。
『盗人は、来んな』みたいな言葉を何回も言われました。
『俺じゃない』と何回も叫びたかった。でも言い返す勇気がなかった。
そのうち、事実を否定するのも疲れてきた。諦めた。
ある時、後ろ頭をハンマーで叩かれたような痛みを感じた時がありました。極度のストレスの影響だと思いますが、その時から、たまに記憶が抜けるようになった。人の声も聴き取りづらくなった。妄想が激しくなった。
学校の中では、いつも下ばかり向いて過ごすようになり、人と目を合わせるのが怖くなり、親以外の人と言葉を交わすのもすごく緊張するようになりました。今でも、人と話す時は、全身から汗が出ます。
他人と接する時は、どんな時でも愛想笑いしか出来なくなりました。他人に嫌われるのが怖くて、そういった行動になったのだと思います。
今でもその癖は抜けず、他人にとってはそれが気持ち悪く更に嫌われるんですけど。その悪循環。
そして、朝起きれなくなり、夜は眠れなくなった。夜はいつも明日学校が無くならないかと妄想に何時間もフケてました。洪水やがけ崩れで学校が潰れないかと本気で祈ってました。もっと不謹慎な事も考えていましたが、言うのは辞めておきます。
朝はいつも1人で、事故に遭ったら学校行かなくていいんだよなみたいな事を考えていました。
それからして直ぐに私は、学校を休みがちになりました。
たまに学校に行くと『あいつ今日は来てるぜ、盗人は来るなよ』など
言われました。
そのうちに登校拒否。
それ以降はどうやって中学時代を過ごしたのかあまり覚えていません。
家ではいつも1人で泣いてました。誰にも相談出来ず、やり場のない怒りと苦しみと受け止められない現実に、私という人格は崩壊したと思います。
当時、死にたいと思った事は、何回もあるはずなのですが、どうしてもそのときの気持ちが思い出すことが出来ません。
もしかしたら、それを思い出すと過度のストレスを引き起こすため、脳が忘れるという防衛機能を働かせたのかもしれないですね。
今思うと、冤罪事件について反論が全く出来なかった自身の勇気の無さと弱さに後悔しています。誤解を解く方法はいくらでもあったのではないかと、時々思い出しては、悔しい思いをしています。
こうして私の暗くて、黒い中学校時代は終わりました。
つい先日、偶然にも元親友だった1人にカフェで何十年振りに遭遇。その人は彼女と来てました。私はぼっち。あっちも直ぐに私だと分かったみたいです。席が近かったので、話し声を聞き取ることが出来ました。『盗人、野郎め』みたいな事を話してました。何十年も前の事なのに、その言葉を聞くと胸が苦しくなりました。私は早々とそのお店から逃げました。
今でも中学の同級生は怖い。それと悔しい。私じゃないのに。
私は中学の同級生が全員嫌い。今でもY君以外は全員死ねとも思っています。復讐したい。そんな勇気はありませんが、夢でたまに奴らの顔が出てくると壊したくなります。そして、酷く悪い気分で目覚めます。
でも、客観的に考えると、盗人と呼ばれる人と関わりあいたい人などいるはずないですよね。だから、私が犯人(もちろん違います)だと信じた元親友達の取った行動も当然。もし私が元親友達の立場だったら、同じような行動を取っていたはず。そう考えると、私の怒りや憎しみは、一体誰に向ければいいの?っておかしくなりそうです。
ただ悔しい。悔しい。
忘れたい記憶は忘れない。忘れたくない記憶は忘れる。
私のような弱い人間にはこの世は生きにくい。当人の能力不足を社会のせいにするなとは分かっていますが。
自分の甘え
過去に対する感情は抑えられないですね。
人生や真実がどうでもいいと思い始めたのも中学校から。
書籍やネットなどで過去を乗り越えられる方法を探しましたが、どれも私の心には響かなかったです。
やはり自分で考えるしかない。現在進行形。
下記は、私の中で良いなと思ったり好きだなと思った自分なりの言葉です。
・過去は過ぎ去ってしまったもの
・明日は明るい日
・楽しい時にやってくる人、苦しい時に去っていく人
簡単な言葉ですが好きです。
今回は、アスペルガー症候群とあまり関係がない投稿でしたが、
私は、中学時代のいじめ体験がアスペルガー症候群の一種である記憶忘れをより悪い方向へと導いた要因の一つだと考えています。
次回は、高校時代の事を書こうと思います。
以上、長文ここまで読んで頂きましてありがとうございます。
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